第10話 しきたり
夕暮れごろにマゼンタ宮へ戻ると、侍女たちに待ち構えられていた。どうやらクリストフェルが帰ってきたという話は皇宮中に広まっているらしく、今日は皇帝と皇妃たち、そして皇子と皇女全員で晩餐会を開くことになったそうだ。
その気が重くなるような知らせに、私は嫌な表情を隠すことができなかっただろう。しかし、侍女たちは構うことなく私の支度に取り掛かる。皇帝と顔を合わせる晩餐会の日は、侍女たちが最も気合を入れて私のおめかしをする日だ。
侍女たちにとって、自分たちがお世話をしている皇女が皇帝に褒められる事や、もし次期皇帝として選ばれれば最も名誉なことになるようだ。そのために、侍女たちは私の世話に余念が無い。私が平凡な生活を望んでいることも知らずに。
彼女たちは、私が皇宮を出て行くと言えばガッカリするだろうか。そんなことを考えている間に、今日も彼女たちの完璧な支度が終わる。いつもは支度の時間が長すぎると感じたが、今日は考え事をしていたのであっという間に感じた。
一週間ほど前、初めてプラチナ宮の晩餐会に出席した時は、ボロボロの見窄らしい姿で、靴も履いていなかった。それと比べれば、今の状況は何とも恵まれているだろう。
美しいドレス。綺麗に整えられた髪。年齢に合わせた薄い化粧を施され、侍女を従えてプラチナ宮へ向かう。しかし、私の侍女がついてこれるのはプラチナ宮の前までだ。
私は侍女たちと別れると、晩餐会の行われる大食堂の扉の前に立った。荘厳な扉。この扉の奥には、兄姉たちと皇帝、そして皇妃たちが待っているのだろう。
気が重い。そこにはアンジェリカの味方はほとんどいない。別にクリストフェルの帰還を祝いたいという気持ちもないし、皇位を狙う兄姉たちのギスギスした空気の中で食事をすることに全く魅力を感じなかった。
このまま引き返そうか。そうして扉の前でウジウジしていると、後ろから声をかけられる。
「アンジェリカ」
振り返れば、ユリウスがいた。彼もちょうどプラチナ宮に到着したらしく、扉の前で佇むアンジェリカに不思議そうに声をかけると、隣に並ぶ。
それから、何か合点がいったらしく、少しうつむきながら声をひそめた。
「わかるよ、嫌だよね……中に入るの」
「え、うん」
「僕たちには、母親がいないから……」
アンジェリカの思っていたのとは少し違った理由を言われて、思わず反応が遅れる。そうか、言われてみればそうだ。
ユリウスと私以外の兄姉は皇妃たちがいるが。私の母親は皇宮から追い出され、ユリウスの母親である第四皇妃は既に亡くなっている。この晩餐会における肩身の狭さは、普段よりも感じることになるだろう。
私としては、会話に参加せず黙って食事だけしていればいいと思っているが、ユリウスは気が弱いのでそういうことを気にしそうだ。どう答えたら良いか私が困っていると、また次の客が私たちに声をかけてきた。
「あらあら、ユリウス、アンジェリカ? そんなところでどうしたの?」
優しげな女性の声に名前を呼ばれて、私たちは振り返る。シンプルながら美しいドレスに身を包んだ黒髪の女性が、優雅な足取りで私たちに近づいていた。エメラルドのような瞳を細めて、母性と慈愛に満ちた顔で微笑む彼女は、誰かに似ている。
第一皇妃だ。私は、初めて会うはずだが直感的にそう理解した。先日会った第二皇妃とは異なり、敵意も無ければ傲慢さも感じない。それどころか、大人らしい優雅さと余裕を感じる。
彼女は、私たちの肩に手を置くと、穏やかな表情で言った。
「緊張しているのね。大丈夫よ、私が一緒に入場してあげるわ」
「え、えっと。ありがとうございます第一皇妃殿下。で、でも良いんですか、僕たちと入場して……」
ユリウスはおどおどと第一皇妃にそう尋ねる。普通、こういう場には皇妃と皇子は一緒に入場するはずだ。第一皇妃もクリストフェルと一緒に入場するべきだろう。
しかし、第一皇妃は女神の如く神々しい微笑みを浮かべると、私たちを安心させるように続ける。
「良いのよ。あの子はもう親離れしているから。さあ一緒に行きましょう」
第一皇妃は、私とユリウス、それぞれと手を繋ぐと、扉の前の兵士に一言告げた。そして、扉が音を立てて開く。眩しい大食堂の中には、既に第二皇妃と第三皇妃、さらにエレオノーラ、フェリクス、ヴィリアムの姿があった。
皇帝とクリストフェル以外はこれで揃ったことになるだろう。第一皇妃に手を引かれて入場した私とユリウスを、エレオノーラと第二皇妃が厳しい目で睨みつけてくる。エレオノーラが此処にいるということは、どうやら謹慎は終わったようだ。
第三皇妃は私たちに目を向けることもない。皇妃の中では最も若い彼女は、焦茶色のおさげ髪をしている。双子の髪の色は母親譲りのようだ。
フェリクスはあちこち擦り傷が見て取れた。やはりユリウスの魔法で少なからず怪我をしたらしい。双子は、母親に倣っているのか私たちに目を向けようともしない。
重苦しい空気に、私は息が詰まりそうだった。正直、第一皇妃が一緒に入場してくれて、幾分か気分が楽だと感じる。食事をしに来たつもりだが、どんなに美味しい料理を出されても、この空気では食べ切れる自信はなかった。
第一皇妃は、私たちを末席に座らせると、自分自身は皇帝の席である上座に近い席へ腰をおろす。その隣に座る第二皇妃の纏う空気が少しピリピリと痛みを帯びたのを感じた。
第一皇妃の前の席は空席だ。きっとそこには、クリストフェルが座るのだろう。そう思っていると、再び食堂の扉が開いた。全員の視線が扉に集まる。
「おお、全員揃っているようだな」
そう嬉しそうに笑って入場した皇帝の横には、クリストフェルがいた。金色の髪に皇室の瞳。全く同じ色を持つ二人は、紛れもなく親子だ。
一緒に入場した二人を見て、やはり次期皇帝の最有力候補はクリストフェルなんだな。と、私は実感する。それと同時に、第一皇妃のあの余裕の正体も理解できた気がした。
自分の子供が皇帝と一緒に入場するのだから、自分自身は母親を持たない皇子や皇女と入場するくらい、大したことではないのだろう。理由のない善意や施しよりは、そういう理由の方が余程納得できる。
しかし、他の皇妃たちの視線は冷たかった。まだクリストフェルが正式に次期皇帝と決まったわけではないのに、このように特別扱いするのは面白くないのだろう。私は皇帝とクリストフェルから目をそらす。この晩餐会、早く終わらないだろうか。
そうして、決して穏やかではない雰囲気の中、晩餐会は始まった。話の中心は常に皇帝とクリストフェル、そして第一皇妃である。話を聞く限り、クリストフェルは西部へ視察に行っていたらしい。
西部は発展が遅れており。気候的にも作物が育ち辛く、皇国の中でも市民たちの生活が苦しい地域のようだ。クリストフェルは自分から西部への視察を志願し、自分の目で西部の様子を確認し、市民たちの話を聞いてきたそうだ。
「そう、西部はそんな状況なのね」
「それで、クリス。お前は今後どうしていけば良いと考える?」
「そうですね。西部の気候では作物が育ち辛いので、別の事業を興していくのが良いかと思います。でもその前に、最低限のライフラインさえ確保できていない村も多かったので、先ずはそこの整備から必要かと」
「ほう、最低限のライフラインだと……?」
「はい。飲み水のために半日かけて近くの川まで水を採りに行くような生活をしている者も多いようです。今回私が訪れた村では、一緒に井戸造りを手伝いましたが、本来は全ての村に必要なものでしょう」
私は、会話には参加せず彼らの話を興味深く聞いていた。500年経っても、国の中の貧富の差というのは依然として存在するらしい。
ルクレッシオ皇国も首都のある中央部や、暖かい南部、ヴェルヘルム王国と国境を隣接する東部は栄えている。だが、寒い北部と乾燥している西部はだいぶ貧しい暮らしをしているようだ。
どこの国も似たようなものだ。ヴェルヘルムも同じような悩みを抱えていたが、今はどうなっているだろうか。私は主食のステーキを切りながら、前世の故郷に想いを馳せる。
すると、食器を置く少し大きな音が食堂に響いた。見れば、第二皇妃が厳しい表情で皇帝を見ている。全員の視線が第二皇妃へ向く中、第二皇妃は冷たい口調で言った。
「皇帝陛下。楽しいお喋り中申し訳ないのですが、そろそろ本題に入っていただけますか」
「本題? さて、何の話だ」
「誤魔化さなくても結構です。第一皇子がお戻りになられたら、次期皇帝について考えを話していただく約束でしたわ」
第二皇妃の発言に、食堂の空気が一層重くなる。美味しいステーキのはずなのに、飲み込むのが億劫に感じた。いつかこういう話になるだろうと思っていたが、思ったより早かった。私は我関せずと、皇帝から目をそらす。
皇帝は顎に手を当てて、深く息をついた。楽しい時間を邪魔されたことに腹を立てるような態度だ。そして、仕方がないと言いたげた口調でそれに答える。
「そうだな。全員揃っていることだし、そろそろ皆に伝えようと思う。次期皇帝についてだが、正式な継承者の決定とその公表は、4年後に式典を以て大々的に行うつもりだ」
4年後。それはつまり、クリストフェルが二十歳になる年だ。もう答えを言っているような見え透いた期限に、第二皇妃の表情が更に険しくなった。
クリストフェルやエレオノーラたちの皇位継承争いは、四年後に幕を閉じるわけだ。私は他人事ながら、みんな頑張れと心の中で応援する。皇帝の座には、微塵も興味がない。
そうして重い沈黙が流れる中、第三皇妃がおもむろに口を開いた。
「確認させてください、陛下」
「なんだ?」
「継承者に選ばれなかった子供は、通例通りとなりますか?」
その発言は、私も無視できるものではなかった。継承者に選ばれない子供の中には、私も含まれるはずだ。『通例』とは、何の事だろう。
私は初めてこの場の話に当事者意識がわいた。私だけ不思議そうにしている中、他のみんなは何か知っているらしい。どこか、重たい表情をしている。それは皇帝も同様だった。
そして、皇帝は厳かに一度頷くと、たっぷりと時間を開けてから口を開く。
「そうだ。皇室のしきたり通り、継承者に選ばれなかった者は【皇族の権利を剥奪し、この皇宮から追放する】」
その言葉を聞いた瞬間、私は無意識に食器を取り落とした。
皿の上に落ちたナイフとフォークが、騒がしい音を立てる。誰もが私を見ていた。しかし、そんなことはどうでもいい。
私は、皇帝の発言を反芻する。なんてことだ、そんなことが起こるなんて。そんな。そんな……――。
その瞬間、私自身も驚くことに、自然と涙が流れていた。
視界の端で、クリストフェルが立ち上がったように見える。目の前に座るユリウスも、息を呑むのが伝わってきた。そうか、私だけが知らなかったのか。そんなしきたりがあるなんて、本当に、欠片も知らなかった。
どうして、誰も教えてくれなかったのだろう。
私は、自然と流れる涙を止められずに、黙って席を立つ。これ以上ここにいてはいけないと思い、何も言わずに食堂を飛び出した。
「アンジェリカっ!」
皇帝が私を呼ぶ声が聞こえてくるが、それでも足を止めるわけにはいかなかった。私はとにかくあの場にいてはいけないと、行先も決めずに足を走らせるのだった。
◇
こんな顔のままマゼンタ宮に戻るわけにもいかず、私は昨日シモンと散歩した公園へ来ていた。優しく優雅に水が流れる噴水の前までくると、そこに佇むベンチへと腰をおろす。
嗚呼、何ということだろう。私は改めて感情が昂るのを感じて、周りに誰もいないことを確認する。そして、先ほどは皇帝や皆んなの前なので我慢したが、今度は心のままに大きな声を上げた。
「やっ…………――――たーーーーーっ!!」
そう歓喜の声を上げると私は高らかに両手を上げる。清々しい。なんて素晴らしいんだ。嬉しすぎて涙を流したのなんて、前世を合わせてもこれが初めてだった。
ずっと悩んでいた。どうしたら皇室を出て、皇女ではなく普通の一般人として平凡に生きられるか。その答えは、探すまでもなく目の前にあったのだ。
なんて素晴らしいしきたりなのだろう。本当にありがとうございます。ずっと、自分で皇室から出ていく必要があると思っていた。その時に、どれだけの人を失望させるだろうと、心を痛めていた。
けれど、最初からそんな必要はなかったのだ。
ただこのまま皇女として生きていれば、4年後に、勝手に皇族ではなくなる。私が何をしなくても、自動的に願いが叶う。こんな素晴らしいことがあるだろうか。
最初は、敵国の虐げられている皇女に転生するなんて、本当に不幸だと思った。どうしてこんな仕打ちを受けるのだと、悲しくなった。だが、蓋を開けてみれば最高ではないか。ルクレッシオの無能な皇女で万歳だ。
私は小躍りしたくなる感情を必死に抑えて、嬉しくて再び溢れそうになる涙をグッと飲みこむ。
つまり、私はこのまま4年の間、ただひたすら皇女としての生活を満喫すればいい。そして、4年後は待ちに待った平凡な人生だ。4年後、私は12歳。人生の再スタートにはぴったりだと思う。
最高だ。全てが順調すぎる。平民になる下準備として、ある程度平民の知識や生活していくための知恵を蓄える準備は必要だとは思うが、そんなの楽しいに決まっている。
早く4年経ってほしい。もう、自分が転生した理由とかどうでもよく思えてくる。転生することだってあるだろう。それで良いではないか。いや良くはないが、少なくとも今はそんな気分だ。
私は赤く腫れた瞳で空を仰ぐ。満天の星空がまるで祝福するように、私のことを照らしていた。今日は私にとって忘れられない素晴らしい夜になるだろう。そんな予感がする。
そう、この時の私は浮かれていた。だから自分の涙のわけを、みんながどのように捉えているかなど、全く気にも留めていないのだった。




