第72話 王冠
目を真っ赤にしたエルが、カルハースが差し出した縄から後ずさった。
「そんなの嫌だよ……」
「駄目だ、お前に選択肢はない!」
とカルハースが厳しい口調で、エルに詰め寄った。
「本当にイオアン君に騙されていたのなら、これで証明しろ。そうでなければ、お前たちは共謀していたと見なすぞ!」
「騙されてないし、グルでもないよ! 何かの間違いなんだよ!」
「間違いじゃない! イオアン君自身が認めているんだ。結局、正体を明かす気はないようだがな。馬泥棒のことを報告されてみろ、我々が死ぬんだぞ。お前がわざわざ連れてきた、このイオアン君のせいでな!」
「……こんなことになるとは思わなかったんだよ」
「過ぎたことはいい。だから、それを挽回するチャンスを与えようというんだ」
「俺は挽回なんてしたくないよ……」
ぼろぼろとエルは涙をこぼした。
「エル、いいか」
とカルハースは、椅子の上のイオアンを見上げた。
「お前がやらないのなら私がやる。だが、お前の手で彼の首に縄をかけることが、せめてもの慈悲じゃないのか? 自分が招いたことの責任をとるんだ!」
泣きながらエルは、カルハースから縄の束を受け取ると、それを解いて、イオアンの真上を通っている梁に投げかけた。その頭上に縄の端が垂れるように調節し、イオアンの前に、もうひとつ椅子を置いた。
椅子の上に立ってもエルのほうが背が低いので、麻袋を被っているイオアンを見上げることになる。爪先立ちになってエルが、
「イオアン様……」
と囁きかけたので、イオアンも屈んで聞き取ろうとした。
椅子の左右にはダルトンとブシェルが立っているので、ふたりには聞こえないような小声でエルが、
「ねえ、俺だけには本当のことを教えてよ……」
と話しかけた。
「……そういうわけにはいかないんだ」
とイオアンも囁くように答えた。
いちばん自分の正体を知られたくない相手なのだから。
「エル、たぶん私の人生は……ここで終わることに決まっていたんだよ」
エルがすすり泣いた。
「そんなわけないに決まってるじゃないか……」
「エル……私は楽になりたいんだ」
「なんなんだよ、楽になりたいって!」
「私は間違った時代か、間違った場所に生まれたんだ。もしかしたら、その両方かもしれない。これからも同じ苦しみが続くんだろう。もう私は疲れたんだ」
「じゃあ、休めばいいじゃないか!」
「そうだな、休めればいいんだが……だが、心が休まったときがない。エル、私はお前が考えているような人間じゃないんだ。自分のことしか考えていない酷い人間なんだよ。だからもう、私のことは忘れてくれ……」
「俺だって、酷い人間だよ!」
そう叫んだエルは、しゃくり上げながら縄の先で輪をつくった。
「むかし好きだった人が、首を吊って死んだんだ……」
「……いまの私と同じようにか?」
「ううん、その人は自ら死んだんだ。見つけたときには、もう手遅れだった……」
「そうか……かわいそうに」
「そうじゃない、俺のせいで死んだんだよ。俺がその人を追い詰めた!」
エルは、麻袋を被ったイオアンを見上げた。
「だから、あんなことは二度と起こって欲しくない! 俺はこれ以上、罪を背負って生きるなんて無理だよ!」
そう叫んだエルは、イオアンの胸にすがりついて泣いた。イオアンは抱き着いてきたエルの体の震えを感じた。
「ねえ……ふたりでどこかへ逃げようよ」
とイオアンの耳元でエルが囁いた。
「海の綺麗な南大陸がいい。真っ白な砂浜がどこまで伸びてるんだ」
「何を言ってるんだエル、私はイグマスの外では生きていくのは無理だ。何の役にも立たない人間なんだから……」
「大丈夫だって、俺が食わせてあげる」
「私は体は弱いし、お前の重荷になってまで生きたくない」
「重荷なんかじゃないよ、死んじゃったら、そっちのほうが重たいよ!」
ブシェルが椅子の上のふたりを見上げ、次いで、カルハースへ顔を向けたが、カルハースは小さく首を振って、そのままにさせろと合図した。
イオアンは、麻袋の中で重たい溜息をついた。
「生きている以上、この重荷から私は逃げることはできないんだよ」
「どうしてさ?」
「石切り場で見せた首飾りを覚えてるだろう? これをつけている以上、私には責任があるんだ」
「そんなの捨てちゃえばいいじゃん!」
「駄目だ。それこそ私が生きている意味がなくなる……」
「そんなのおかしいだろ。その首飾りのために死ぬなんて!」
「そうだな……おかしいとは思う。だが、この首飾りなしに生きるよりは、首飾りをつけたままの自分で死にたいのさ、この愚かな私は……」
「じゃあ俺より、その首飾りのほうが大事だっていうのかよ!」
とエルがイオアンの胸を叩いた。
「そうじゃない。ようやく楽になれるチャンスなんだ。頼むよエル、私を逝かせてくれ。まだ奥方様のドレスを着ているのか?」
エルは鼻をすすり上げながら、ぼろぼろのドレスを見降ろした。
「そうだよ、もう汚れちゃったけど……」
「そうか、エルは死の天使だな。もう準備はできてるんだろう? その縄を首にかけてくれ。もう私は生きていく意思がない。早く舞台から降りたいんだ」
仕方なくエルは、イオアンの頭の上から王冠を被せるように首に縄をかけた。震える手で短剣を取り出すと、余った縄の先を切り落とす。
「エル、むかし好きだった人が死んだのはお前のせいじゃない。その人なりの何か事情があったんだ。誰にも分からないんだよ、他人の気持ちなんて。たぶん、その人も自分の重たさを支えきれなくて、楽な道を選んでしまった……だから、その人の代わりに、私がお前を許すよ。ブッケルムのことはありがとう。これからは頼んだぞ」
エルが泣き叫びながらイオアンを抱きしめると、それを見たカルハースが合図した。椅子の上のエルは、ダルトンによって引きずり下ろされた。




