第69話 梁
「舞台って?」
カルハースのマントを掴んだエルが、その顔を凝視した。
「これからやるのは、本当に芝居なのかよ?」
「もちろん芝居さ」
とカルハースは答えたが、髑髏の仮面に隠れてその表情は分からない。
「だが、お遊びじゃないぞ。命を賭けて、魂の底から演じることが必要になる。もしイオアン君が我々を信じさせることができれば成功だ。一人芝居だから演技力が必要になるが、たぶん彼なら乗り切れるだろう。観客が五人しかいないのは申し訳ないと思うが、そのぶん我々も真剣に見てあげないとな」
「もし……信じさせることができなかったら?」
「そんなことは起きないと思うが、芝居は失敗ということになる。舞台から降りてもらうだろう」
「舞台から降りるって……どういう意味だよ」
「降りるのは、降りるさ。二度とその役を演じられなくなるということだ」
麻袋を被ったイオアンを見て動揺しているエルに、カルハースが訊いた。
「なんだエル、もしかして、お前も主役を狙っていたのか? 代わりに一人芝居をやってみたいか?」
「え、俺が!?」
「お前は自分の過去を我々に話してくれないからな。これを機会に、みんなの前で披露するというのはどうだ?」
「俺のことなんてどうでもいいって! それより舞台ってどこでやるのさ。この屋敷にそんな場所はないだろ?」
「お前も大袈裟だな、そんな大層なことをやるわけじゃない。ただの寸劇なんだ。暖炉の前だよ。あっちなら邪魔な物が少ないだろうしな」
「なんだ、そうだったのか……」
ホッとした様子のエルに頷くと、カルハースはイオアンに声をかけた。
「イオアン君、いまの話を聞いただろう。君も移動してくれ」
「絶対に嫌だ」
麻袋を被せられ、椅子に座っているイオアンは身構えるように背中を丸めた。
「お前の芝居など、絶対にやるつもりはない!」
「なぜだ? 我々を楽しませてくれ!」
カルハースが理解できないように、両手を大きく広げた。
「君は誓ったじゃないか、エルとブッケルムのためなら命を賭けると」
「なぜそれが、芝居を演じることにつながる?」
「分からないのか? イオアン君が本当のことを喋りやすくするためさ。ただの役だと思えば、君の気持ちも軽くなるだろう?」
「なるわけがない!」
「君はなにごとも深刻に受け取り過ぎるのが欠点だな」
「……舞台を拒否したら?」
「それはつまり、誓いを破ったのと同じことだ。君の誓った内容に応じて、それ相応の報いを受けることになるだろうな」
イオアンは「それ相応の報い」が何を意味するのか、怖くて訊けなかった。視界が遮られ、いつも以上に怯えやすくなっている。
「イオアン君が正しい台詞を喋りさえすれば、すぐに終わる芝居なんだ」
とカルハースが宥めるように告げた。
「ただ、それができなければ、できるようになるまで厳しい稽古が続くがね」
「結局、お前の言う通りになるだけじゃないか!」
「そんなことはないさ。私が筋書きを決めてるわけじゃない。それを知ってるのは君だけなんだ。分かっているんだろう? これは謎解きの物語なんだ。君が真実を語らない限り、この物語は終わらないんだよ」
黙り込んでいるイオアンを見て、カルハースは困ったような顔をした。
「エルからも説得してくれないか」
「……説得って、何をさ」
「もちろん、芝居をすることだ。観客としてお前も見ているんだから、最高の演技をしてくれと頼んでくれ」
困惑しながらエルは頼み込んだ。
「イオアン様、とにかく向こうへ行こうよ。すぐに終わるみたいだからさ」
だが、イオアンは頑なに動かなかった。
動けるはずがない。
そのカルハースのいう「芝居」とやらを始めたら、正体を明かすか、何か酷い結果になるのは分かっている。
「エル、お前が手を引いてあげたらどうだ?」
とカルハースは提案してから気がついた。
「ああ、縛られてるんだったな! 仕方ない、お前たちが連れていってくれ」
髑髏の仮面を被ったダルトンとブシェルが、椅子に座っているイオアンを両脇から抱え込み、立ち上がらせた。イオアンは抵抗しようとしたが、恐怖のあまり体に力が入らず、引きずるようにして部屋の奥、暖炉の前まで連れていかれた。
暖炉は人が入れそうなほどの大きさである。いまは使われていないので、薪の代わりに白樺や柊などの緑の枝が飾られ、爽やかな森の匂いがした。その前には、大きな狼の毛皮が敷かれている。これらが暖炉の上の燭台の明かりで照らされていた。
カルハースは四脚あった椅子のうち、ひとつを掴むと、天井の太い梁の位置を確かめながら、その真下に置いた。
ディオンが縄を渡そうとすると、
「まだいらない。その前に芝居が終わるかもしれん」
と断った。
ダルトンとブシェルが、イオアンを椅子の上に立たせようとしたが、足がいうことを聞かない。体の大きなダルトンが隣にもうひとつ椅子を置き、吊り上げるようにして、イオアンを椅子の上に立たせた。
足が震えているイオアンの体を、ダルトンとブシェルが両脇から支える。
カルハースが椅子の前に立ち、イオアンを見上げた。
「どうだね、舞台に立つと景色が変わって見えるかね? そうか、それを被っていては何も見えないのか!」
と言って、カルハースはくすくすと笑い声をあげた。
「視界を奪われるのは悪いことばかりじゃない。なぜなら暗闇の中では好きなように思い描くことができるからだ。自由なんだよ。頭の中のイメージが、より鮮明に浮かび上がるだろう? エルと出会ってからのことを思い出してくれたまえ」
そうカルハースに命じられると、努力するまでもなく、暗闇の中にいるイオアンの頭の中で、様々な場面が浮かんでは消えた。
そもそもの始まりはブッケルムだった。
死にそうだったブッケルムを救うために、ヤヌス神殿の市場に向かったのだ。
物乞いのニナに相談し、広場で人形劇を見て、そのあとバルバドスに会って、捕まったエルに引き合わせられた。
そのときは、小汚い掏摸の少年としか見ていなかった。
それが〈首なし騎士団〉の見習いだと聞いてから、気持ちが変わった。
ブッケルムを救いたかったのか、それとも騎士団のことが気になったのか、とにかくエルを説得して、屋敷まで来るように取引をした。
屋敷ではエルに、ブッケルムが自ら死のうとしていると指摘されると、エルを女装させ、盗み出すように仕向けた。
あのとき母上の香水を振りかけたのは、咄嗟の思いつきだった。
泊まっている宿を突き止められないかと思ったのだ。
そのあと屋敷の騎士たちが、エルとブッケルムを追いかけ、あわててイオアンもククルビタに跨って追いかけた。
どうせ旧市街を出たあたりで捕まっているだろうと思っていた。
それが見つからず、ファッシノ河の関所では、大怪我を負った騎士や折り重なった軍馬の死体を見かけた。
ポカテルに先導された峠道では、血の痕だけが残っていた。
そして深夜、へとへとになりながら石切り場の横穴で、再会したエルに短剣を突き付けられた。
そこでブッケルムが本当に〈魔の馬〉であることを知り、エルが〈暁の盗賊団〉の女首領に勘違いされていることを伝えた。
私もエルも逃げ道がなかった。
自分の責任を取るために、死を覚悟して、父上に交渉した。
そして私は死ぬこともできず……だが、家臣たちは撤退していなくなった。
川のほとりでエルに〈綺麗な首飾り〉の由来を語り、エルからは〈首なし騎士団〉の隠れ家に招待された。そして……。
イオアンの回想は、エルのすすり泣く声で中断された。その押し殺したような泣き声を聞くと、イオアンの心は乱れた。
「どうしたんだ、エル?」
何も見えないイオアンは、泣き声のするほうへ声をかけた。
「何か酷いことでもされているのか?」
「……そうじゃないよ。俺のことなんかより、自分のことを心配してよ!」
とエルが訴える声が聞こえた。
「このままだと死んじゃうよ。もし何か隠してるんだったら話してよ。死んだら絶対に駄目だよ、もう俺は見たくないんだよ……」
「エルは大丈夫だ」
というカルハースの声が下から聞こえた。
「何か昔のことでも思い出したのだろう。君は演技だけに専念してくれ」
「エル、本当だな? 大丈夫なんだな?」
とイオアンは尋ねたが、エルはすすり泣くばかりで返事は聞こえず、
「イオアン君、もうエルのことは忘れるんだ」
というカルハースの注意が聞こえた。
「いまからダルトンとブシェルが手を放す。集中してくれ。舞台の高さこそ低いが、君は目隠しされ、手も縛られている。不用意に動けば、舞台から落ちて怪我をするだろう。いま舞台にいるのは君ひとりだけだ。さあ、もう一度聞くぞ」
たっぷりと間を取ってから、カルハースが質問した。
「イオアン君、君はいったい何者だ?」




