第65話 感謝
イオアンは「感謝」という言葉に戸惑った。むしろ、カルハースの話を訊いているあいだ、重苦しい感覚に囚われていた。
ブッケルムとカルハースとの因縁には驚いたが、それ以上にショックを受けたのが、あれほど〈魔の馬〉だと固執していた父親が、〈首なし騎士団〉に対しては、虚偽の証言をしていたことだった。
父親の嘘で、このカルハースという男の人生が狂ってしまったのは確かなのだ。そのことにセウ家の嫡男として責任を感じないわけにはいかなかった。だが、アルケタの家庭教師と名乗っている以上、謝罪をすることもできない。
カルハースが皮肉でも言っているのではないかとも考えたが、少なくともその口調からはそういう印象は受けなかった。
「感謝?」
イオアンは用心深く尋ねた。
「私に感謝するようなことは何もないと思うのだが?」
「いや、そんなことはない。君は我々の呪いを解いてくれたのだよ」
「呪いだって!?」
「ブッケルムの呪いとでもいうべきかな? とにかく、君がブッケルムを解放する決断をしてくれたお陰で、我々は苦境から脱することができそうなのだ」
「ブッケルムを売って、金に換えるということか?」
「いいや、そういうことではない。私が言いたいのは、今回のことで円卓の騎士たちの誤解が解けるということだ」
イオアンはしばらくカルハースの言葉の意味を考えて、合点がいった。
「なるほど。ブッケルムが〈魔の馬〉として戻ったことで、騎士たちに、お前が偽物を売ったんじゃないと証明できるということか?」
「その通り!」
とカルハースが嬉しそうに頷いた。
「それにセウ伯爵が虚偽の証言をした理由も分かった。エルの話では、ブッケルムはセウ家ではまったく実力を発揮していなかったそうだな?」
「ああ。そのせいで虐げられていた」
「金貨三百枚を支払ってそれでは、逆恨みするのも分からなくはない。だが、今回の騒動では、ブッケルムが〈魔の馬〉だと伯爵も確信したんじゃないかね?」
「そうだろうな」
イオアンは石切り場での父親との会話を思い出して頷いた。
「だとすればだ。伯爵も誤解が解ければ、〈首なし騎士団〉との取引を再開するんじゃないかね?」
「……かもしれない」
そうならない理由もあり得ると考えていたが、それを話すと正体がばれるので、イオアンは曖昧な表情で同意した。
「……ということはだ!」
とカルハースが嬉しそうに揉み手をした。
「タタリオン家との取引が始まれば、円卓会議での我々の追放処分も解除されるだろう。君のお陰で、セウ伯爵と円卓の騎士たち、このふたつの誤解が一気に解けるかもしれないのだ。つまり、君が呪いを解いてくれたのだよ!」
「……そうか。それは良かった」
カルハースの言っている意味は分かるのだが、やはりイオアンとしては感謝されることに居心地が悪かった。ブッケルムを助けたのは、自分のやむにやまれぬ理由からであって、誰かのためではなかった。
「そうなのだよ。ああ、呪いとは苦しいものだ」
とカルハースがしみじみと語った。
「私はこの三年間、円卓の騎士たち、セウ伯爵、ブッケルムをいつも憎んでいた。私の一党が崩壊したのは彼らのせいだと恨んでいたのだ。だがこれからは、そういった否定的な感情からも解放される。イオアン君!」
とカルハースが、その手を握りしめた。
「私はいま、感動で涙が溢れそうだ! 髑髏の仮面で君には見えないだろうが」
「……べつに私だけの力じゃない」
イオアンは気味悪そうに、カルハースの手を解こうとした。
「ブッケルムを走らせたエルの力があってこそだ」
「……確かにその通りだ」
とカルハースは暗い声で呟いたが、すぐに切り替えたように明るく尋ねた。
「そうだ、君にお願いがあるのだよ! ブッケルムはこれで証明できそうだが、ルベルマグナの件でも助けてもらえないだろうか?」
「いまは遠い牧場にいるのだろう? 私にどうしろというんだ」
「いや、ルベルマグナについてではない。私の父の取引のことだ。円卓の騎士たちはタタリオン家との高額な契約についても疑っていてね、ルベルマグナの移送について、父が不正を働いたのではないかと考えているんだ」
と溜息をついたカルハースは首を振った。
「悔しいが、私にはそれを覆す術がない。すでに父は亡くなり、私は詳しい経緯を知らないからだ。だが、エルの話では、君は取引を裏付ける公文書を発見したようだな。それを入手できないだろうか。円卓会議で見せることができれば、父への疑いを晴らすことができるのだが……」
「いや、無理だ」
「そんな……すぐに断らず考えてみてくれ。写しだけでもあれば助かるのだ」
「気持ちは分かるが、あれは総督府の機密文書なんだ」
「外に持ち出すのは無理かね。ほら、ちょっとワクワクしてくるだろう?」
「やめてくれ、危険すぎる!」
「危険というなら、君はブッケルムの解放を決断したじゃないか」
「ブッケルムはセウ家だけの話であって、あくまで伯爵様の個人所有物だろう。だが兵站局の機密文書となるとまるで違う。総督府という帝国の政治体制に関わることなんだ。その文書の流出が発覚したら大事件になってしまう」
「では、持ち出しは無理だとして、私が見るのは……?」
「それも絶対に無理だ。総督府のよほどの上位の人間ならともかく〈首なし騎士団〉のメンバーであるお前に見せるわけにはいかない。私ほどの立場だからこそ閲覧できたんだ。悪いが父親のことは諦めてくれ」
「そうか、難しいか……」
残念そうに溜息をついたカルハースが身を乗り出した。
「では、私のほうから提案がある。イオアン君、君も仲間に加わらないかね?」
「な、何を言っている!」
とイオアンは驚愕し、動揺した。
「私はアルケタ様の家庭教師だ。お前たちの仲間になるわけがない!」
「そんなムキに否定しなくても良いではないか」
とカルハースが笑った。
「むしろ、そのままの立場でいてくれたほうが良い。気持ちのうえで我々の仲間にならないかということだ」
「き、気持ちのうえだと? 意味が分からない!」
「まあ、落ち着きたまえ。なにも行動を共にしろという意味じゃない。君は体が弱いそうだから、我々のような生活は無理だろう」
「当たり前だ!」
「イオアン君ほど、セウ家やタタリオン家の内部事情に詳しい人間はそういない。そういう君が仲間になってくれると嬉しいのだよ。追放が解除されたあとも、私の一党は有利になるだろう。是非とも新たな団員になって欲しいのだが」
「いいや、困る!」
「しかし、君はブッケルムの盗みをお膳立てし、オウグウスにも歯向かったぐらいじゃないか。セウ家には思うところがあるのだろう? 我々は同志のようなものだ。いい情報を貰えれば、それなりの報酬は支払うつもりだ」
暑苦しいほどに髑髏の仮面を近づけてきたカルハースに対して、イオアンは苦しそうに顔を背けた。
仲間になるというのは論外だが――、
ここで否定し続けるのも、疑いをもたれそうな気がした。
むしろ、せっかく食いついてきたのなら、〈首なし騎士団〉の情報を得るよい機会なのかもしれない。
イオアンは渋々といった表情をつくり、
「しかし、どうやって連絡を取る? 私は動けないし、お前たちは、いずれまたどこかへ放浪するのだろう?」
と尋ねてみた。
「うむ。確かに、それは問題だ」
「あっ」
「さすがだな。さっそく名案が浮かんだかね、イオアン君?」
「エルに動いてもらおう!」
「エル?」
「目立たない格好をして、私と市場で会うんだ。ブッケルムも知らない人間には、ただの駄馬にしか見えないし」
「……それはどうかな」
「なぜだ、いい案じゃないか。会うのは月に一度ぐらいがいいかな? あまり頻繁に会うと変に思われるから」
「……それは現実的じゃない。他の案を考えよう」
「どうしてだ。エルなら機転も利くし、何なら女装だってできるんだ。これ以上の人選はないと思うのだが?」
「イオアン君……」
とカルハースが苦り切った顔をした。
「我々の筋書きでは、もうエルはいないことに決まっているのだよ」




