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綺麗な首飾り|誰かにかけられた呪いに解きかた  作者: 神代紫音
第二章 川のほとり|朝|川のほとり|朝|イオアンは介抱され、出発する
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第57話 包帯

そうだった。

私はただの家庭教師なんだ。

長椅子に座っているイオアンは、改めて自分にそう言い聞かせた。

エルに悟られないようにしないと――。


イオアンは嘘をつくのは上手ではない。

そもそも、だからこそ白亜宮の貴族や役人たちが好きではないのだ。彼らは息をするように嘘をつき、互いの腹を探り合っている。

イオアン自身は子供の頃から、たわいもない嘘をついて、アルケタをよく驚かしていたが、すぐに自分でおかしくなり吹き出してしまう。

つまり隠し事ができない。

他人には内面を悟られたくないくせに、すぐ顔色に出てしまうのだった。


いっぽうのエルは、バルバドスの姿が見えなくなったのを確認すると、

「ねえ、俺に話って?」

と身を乗り出して、囁くように尋ねた。


「ああ、そうだった」

物思いにふけっていたイオアンが長椅子から立ち上がった。ローブの切れ込みに手を入れると、腰から短剣を外した。

「これを返そうと思っていた。感謝している」


エルは複雑な表情で、美しい短剣を受け取った。

試しに鞘から引き抜くと、血糊がついているためか抵抗がある。エルが手にしている短剣の刃は、うっすら赤黒く汚れていた。


それを見たイオアンが、

「すまない、それは私の血だ。拭き取らずに入れてしまったんだろう」

と謝った。

「せっかく綺麗に手入れされていたのに」


エルは刃先をじっと見ている。

「初めてだったからね、この短剣が人の血を吸ったのは」


イオアンは意外だった。〈首なし騎士団〉の見習いで、盗賊のようなエルなら、過去に人を殺していると予想していた。

この時代、それぐらいの経験は当たり前のことだ。

だが、エルはそうではないらしい。

どこか無垢なところをエルには感じていたので、なぜかイオアンは安心した。

口では生意気でも、やはりまだ子供なのだろう。


エルは渓流のほとりまで歩くと、川砂で汚れを削り落とした。椅子に戻るとスカートを捲り上げ、ペティコートで拭きとった。


先程までの明るさは消え、エルは短剣を見つめながら、

「なあ、イオアン様……本当にこれで死ぬ気だったのか?」

と思い詰めた様子で質問した。


その真剣な表情に、

「さあ、どうなんだろうな……」

とエルに向き直ったイオアンは言い淀んでいたが、初めてエルから名前で呼びかけられたことには気づいていない。

「そのつもりだったが、どこか腰が引けていたのかもしれない。本気だったら、発作を起こす前に命を断っていただろう」


エルが顔を上げて、イオアンを見つめた。

「それって俺のため?」


黙って頷いたイオアンが目を伏せた。

「だが、私はいつも死を望んでいるようなところがあった。たまたまお前が、私に死に場所を与えてくれたと思ったんだ」


「騎士は誰かのために死ねるから、騎士だってこと?」

「そうだ。だが……伯爵様と話して、違うのかもしれないとも思っている」

「でもさ、イオアン様は騎士じゃないじゃん?」

「……そうだな」

「学者なら、そんな命を張ることはない。体は大事にすればいい」

「お前はどうなんだ?」

「俺?」

「昨日から大変だっただろう。疲れてないか」

「ぜんぜん平気さ。でもカルハースは心配してるかも。俺が戻ってこないから」

「もう戻ってもいいぞ。話は済んだからな」

「……イオアン様は?」

「私はもう少し休んでいくよ」

「じゃあ、俺も!」


長椅子に腰かけているイオアンは渓流の水面を眺めた。

日差しにきらきらと輝いている。

いまは第三時(午前8時)ぐらいだろうか。


イグマスに戻ったところで、もう屋敷にブッケルムはいないのだ。

もう話し相手はいない。

これからは毎晩、馬小屋に忍び込むこともない。

自分の部屋にこもり、ひとりで本を読むだけの生活になるだろう。


イオアンはブッケルムへ顔を向けた。

木に繋がれ、まわりの草をのんびりと食んでいる。

ちゃんと別れも告げられなかったが、それで良かったのかもしれない。

もう、エルのものなのだ。

未練がましく挨拶をするまでもない。


唐突にイオアンは立ち上がった。

「私は行くよ。ブッケルムをよろしくな」


「え、もう?」

エルも驚いたように椅子から立ち上がった。

「まだ調子が悪いんじゃない? もうしばらく様子を見たほうがいいって!」


「気分のほうは、かなり落ち着いたからな……」

と言いながらも、イオアンは戻ることを考えると憂鬱になるのだった。


なぜだろう?

エルとなら、セウ家の嫡男として気を張る必要がないからか?

家庭教師のふりをしていれば、何のしがらみもなく、感じたことを、思ったように素直に口にできる。だから私は戻りたくないのか?


ふいにイオアンは不快感を感じ、首筋に手を当てた。

掌を見ると、赤く濡れていた。


「血が出てんじゃん! ちょっと待って!」

そう叫んだエルは椅子に座ると、またスカートを太腿まで捲り上げ、短剣でペティコートを切り裂いた。


「おいおい、何をしているんだ」

「これは安いんだから、いいだろう!」


エルは切り取ったペティコートを包帯のように細かく裂くと、渓流に浸した。


また戻ってくると、

「そこに座って」

と命じ、長椅子に座ったイオアンの首元を拭い始めた。


顔を上げているイオアンは、エルがあまりに丁寧に血を拭き取っているので、

「大袈裟だな、すぐに固まるだろう」

と文句を言ったが、顔を近づけているエルは、

「危ないんだぞ。ちょっとしたかすり傷で死ぬことだってあるんだから。イオアン様にはちゃんと手当をしないと」

と言って、首の傷跡をじっくりと観察している。


仕方なくイオアンはされるがままになっていたが、ドレス姿のエルに、こうして介抱されているのが奇妙に感じられた。


「……もう、いいんじゃないか?」

「そうだね、こんどは傷跡に包帯を巻くよ」

「いや、そこまでやらなくても……」


エルの肩に手をかけて、イオアンは体を引き離そうとしたが、突然背後から叫び声が聞こえたので、ふたりともギョッとして、そちらへ顔を向けた。


それまで岩陰に隠れて、イオアンとエルの様子を覗き見ていた職人の女たちが、石工の親方に長い髪を引っ張られて、連れていかれるところだった。


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