第58話 招待
「なんだあれは?」
とイオアンが怪訝な顔をすると、
「さあ」
とエルも首をひねった。
すると、エルはなぜか顔を赤らめながら、
「ねえ、ここも血がついているよ」
と言ってイオアンの胸元まで布で拭い始めたのだが、その手が止まった。
「これって、あの子に見せてたやつ?」
エルが触れていたのは、イオアンの〈綺麗な首飾り〉の金鎖の部分だった。
「あの子?」
とイオアンが尋ねると、
「ほら、ヤヌス神殿の市場で物乞いをしてた女の子がいただろ」
とエルが答える。
「ああ、ニナか」
「そう、その子。俺にも見せてくれない?」
上目づかいで頼むエルを見て、イオアンはためらった。
「たぶん……お前は気に入らないと思うぞ」
「なんでさ」
「セウ家の紋章と同じデザインだからだ」
「分かってるよ。市場でも遠くから見ていたから」
「大丈夫なのか?」
「なにが?」
「その……お前はセウ家を憎んでいるんだろう?」
「それはそうだけど、イオアン様の首に掛かっているなら大丈夫だよ。一度ちゃんと見てみたいんだ」
「そうか……」
イオアンは、マントの紋章を見たエルが吐いたことを思い出していた。
「本当に大丈夫なんだな?」
「うん。首飾りに罪はないからね」
イオアンはローブの中に手を入れると、そっとペンダントを取り出した。
獲物を狙うように立ち上がった精巧な獅子の金細工のまわりに、十二の宝石が円を描くように配置されている。
「触ってもいい?」
イオアンが頷くと、エルは慎重に手を伸ばし、恐る恐るペンダントに触れた。
持ち上げてみるとずしりと重い。
角度を変えると、七月の日の光を浴びて、宝石たちがきらきらと輝いた。
「凄いな、これ。全部違う宝石?」
「そうだ。上から菫青石、紫水晶、柘榴石、紅玉、赤瑪瑙、琥珀、紅縞瑪瑙、黄玉、貴橄欖石、緑柱石、水蒼玉、瑠璃の順番だ」
「なにか意味があるの?」
「十二の宝石は時空の理を表しているらしい。詳しいことは分からないが」
「ふーん、セウ家の紋章にあわせて作ったのか……」
「……そうかもな」
イオアンは曖昧に頷いたが、じつは違うのを知っていた。セウ家の紋章に合わせて、〈綺麗な首飾り〉が作られたのではなく、タタリオン家から〈綺麗な首飾り〉を賜ったことにあわせて、セウ家の紋章を変更したのである。
「でも、なんでこんな凄いのをイオアン様が着けてるんだ? 馬鹿にするわけじゃないけど、家庭教師なんかが持てるようなもんじゃないだろ?」
「そうだな……」
イオアンは夏の山並みを眺めた。
弟たちは今頃、どのあたりを走っているだろうか――。
「……アルケタ様から頂いたんだ」
「アルケタから?」
驚いたようにエルが顔を上げた。
「あの若い騎士か!」
「会ったのか?」
「うん、追いかけられてたときにね。男たちに襲われそうになったのを止めてくれた。もちろん名前は知ってたけど、あんなに若いと思わなかった」
「そうだな、お前より少し上なぐらいだ」
「これをくれたのか……」
「ああ、本当は私ではなく、アルケタ様がつけているべきものなんだ」
「……重荷に感じてるってこと?」
「正直、そうだな」
「返せばいいじゃん」
「そういうわけにもいかない」
「なんでさ、もったいないからか?」
「そうじゃない。自分の気持ちでどうこうできるものじゃないんだ。一度与えられたら、その重さを引き受けるしかない」
「じゃあ外したら? いつもつけてる必要はないだろ?」
「いや、いつもつけている必要がある。そうしないと私は責任を忘れてしまう」
「責任?」
「いろいろあるんだ」
「ふーん」
「それに、あまり触れないほうがいい。毒になる」
「毒!?」
「この首飾りには、強大な魔力が封じ込められているらしい。私はエルフだから耐えられるが、ヒトのお前には害になるだろう」
魔力だけではない。
私が首飾りをかけている意味、つまりセウ家の嫡男であることをエルが知れば、それはきっと不幸な結果になる。
だから、エルには見せないほうがいいのだ――。
自慢げに説明したことを後悔したイオアンは、ペンダントをローブの中にしまい込んだ。長椅子から立ち上がると首筋に触れた。綺麗になったようだった。
「ありがとう」
と礼を言ったイオアンが、憂鬱そうに口にした。
「だが、いいかげん出発しないとな……」
「……そうだね」
とエルもなごり惜しそうな顔をした。
「しょうがないね。その首飾りは何て名前なの?」
「これか? 〈綺麗な首飾り〉と言うんだ」
何気なくイオアンが答えると、エルの顔から血の気が引いた。
「え? 綺麗な首飾り!?」
「変だろう? こんな立派な首飾りなのに、ちゃんとした名前がない。本当は正式な名前があったらしいんだが、ペンダントの力を恐れて口にすることを憚るうちに、こんなありふれた名前で呼ばれるように……エル、大丈夫か?」
「ううん、ちょっとびっくりしただけ!」
笑顔とは裏腹に、大切なことでも思い出したように、まだエルは動揺していた。
「その……本当にイオアン様は戻りたいの?」
「なぜ、そんなことを聞く?」
「だって、仲間の元に戻るのに、あんまり嬉しそうじゃないからさ」
「そうだな。大勢の前で醜態を晒したからな、気まずい思いはある」
「だったら……俺たちのところへ来なよ」
「俺たち?」
「だから、俺たちの隠れ家さ」
「まさか〈首なし騎士団〉の隠れ家のことを言っているのか?」
「そう! 気分が落ち着くまで休んでいればいい」
「休むと言ったって、お前たち騎士団は、皇帝に仕える騎士を目の敵にしているんだろう? セウ家の人間が訪れられるわけがない」
「でも、イオアン様は違うよ」
「なぜだ?」
「だって、あのオウグウスをやっつけたんだぜ!」
「だから、やっつけてなどいない」
「とにかく来なよ。みんな喜ぶからさ」
「そうは思えないが……」
「そんなことないって! 意外とみんな物知りなんだ。学者のイオアン様なら話が合うと思うよ」
「しかし、遠いだろう」
「すぐだよ、すぐ! みんなにイオアン様を紹介したいんだよ!」
「私のような人間など……」
「そんなことないって、さあ行こうよ!」
そう言って手を引くエルに、イオアンは渋々と立ち上がった。
「しかしだな、私のような人間が歓迎されるなど、あり得ないと思うんだが……」
そうぼやくイオアンの声に、張り切るエルの叫び声が、せせらぎが聞こえる川のほとりに響き渡る。まだ山の空気は涼しく、夏の一日は始まったばかりだった。




