第44話 石工たち
石切り場は仕事を終える時間らしく、まわりの巨大な階段のような絶壁から、梯子をつたって、次々にドワーフたちが降りてきていた。
誰もが白い粉まみれになっている。
誰もが大声で叫んでいた。
職人が石に楔を打ち込む音、レールの上の橇を引く牛たちの鳴き声、巨石を載せた木の橇が軋み、石を持ち上げる鉄の鎖が悲鳴のような音をたてる。それらの音が、野外円形劇場のような谷底で反響している。
馬上のエルは、石切り場の入口から呆然とこの風景を眺めていた。
エルに気づいた石工たちが、親方の肩を小突いた。
図面を広げていた老人が顔を上げた。
長い顎髭を生やした親方は立ち上がると、腰の革袋に定規をしまい込んだ。
親方はブッケルムに近づくと、頭巾を脱いで、エルに丁寧に頭を下げた。
「どうしましたかな、お嬢様?」
エルは親方を見下ろした。
不思議そうな表情をしているが、敵意は感じられなかった。
この老人なら助けてくれそうな気がした。
エルは石切り場を見回した。
川から離れるに従って、すり鉢状になっており、奥が狭くなっている。
そこに小屋が見え、石工たちが集まっていた。
一夜の宿を頼もうと思い、そこでエルは気づいた。
喋ったら自分の正体がばれてしまう。
女の格好をした男の頼みなど、胡散臭く思われるだけだろう。
仕方なく、エルは身振りだけで説明しようとした。
奥にある小屋を指さした後で、両手を重ね合わせ、自分の耳元に置き、目を閉じて、頭を傾げる。
枕で寝ている様子を表したつもりだったが、エルを見上げている親方は、
「ずいぶんと可愛らしい仕草ですが、何か頼みごとですかな?」
と言って、訝しげな表情を浮かべた。
これでは、複雑なことを伝えるのは難しそうだ。
諦めたエルは、まずは追われている状況を説明しようとした。
エルは体をひねり、石切り場の入口を指さした。そのうえで拳を高く振り上げ、悪魔のような形相をしてみせた。これは激怒しているセウ家の家臣団に追われている状況を表現したつもりだった。
エルは気づいていないが、ヴェールを被っているので、その気迫迫る表情は残念ながらまったく伝わっていない。
そのため、親方は相変わらず怪訝な顔をしている。
困惑した親方は後ろを振り返ったが、石工たちも肩を竦めるだけだった。
次にエルは、とにかく困っていることを伝えようとした。
両腕を胸の前で交差すると、背中を丸め、縮こまってみせた。か弱い女性が怯えている様子を表現したつもりである。
「分かった!」
と石工のひとりがエルを指さした。
「寒いんでしょ? ここは結構な山の中だから!」
違うって!
エルは大きくかぶりを振った。
石工たちとの細かい意思疎通など無理だと判断したエルは、石切り場のあちこちを指さしてみせた。
とにかく出口を教えてくれよ!
だが、この身振りもまったく伝わらず、
「最近の若い者は、何を考えてるのかさっぱり分からん」
と親方が苛立たしげな表情でぼやいた。
「孫娘とそっくりじゃよ」
エルも焦っていた。
セウ家の家臣団がエルを見失ったことに気づいて、この道を探し出すかもしれない。その前に距離を稼がなければならないのだ。
追いつめられたエルは決断した。
「……私は悪者に襲われているのです」
とエルは出来るだけ上品な裏声で伝えた。
突然エルが口を利いたので、親方は驚いた表情になったが、耳が遠いらしく、
「はあ、いま、なんと?」
と顔を向け、がっしりした手を耳に当ててみせた。
もうヤケクソだ!
「私は、悪者に、襲われているのです!」
とエルは甲高い裏声で叫んだ。
「ああ、なるほど!」
と親方は、泥だらけのエルのドレスを見て、得心したようだった。
「それは大変でしたな!」
「ですから、私はこの先に進みたいのです。どこが出口ですか?」
「出口……ですか?」
「ええ、早く逃げないと!」
「出口などありません」
「え?」
「ここは行き止まりです。大理石を切り出すためだけの場所ですからな」
「ええー!」
エルは目の前が暗くなった。
また引き返して、逃げなくちゃいけないのかよ――。
馬上で、額に手を当てているエルに、
「お嬢様、その悪者は何人ぐらいですかな?」
と親方が気の毒そうに尋ねた。
「エルフの騎乗者が十五人ぐらいだと思います」
「ほう、エルフの悪者が十五人……」
そう呟くと、にやりとした親方が手を組んで、指を鳴らしてみせた。
「そいつはたっぷりと懲らしめてやらないといけませんなあ」
「いえいえ、そんな野蛮なことはやめて下さい。私が逃げられればいいんです」
「そうは言っても、儂らもいろいろ連中には頭に来てましてな!」
と言って、親方が後ろを振り向くと、
「おう! やってやろうじゃねえか!」
と集まっている三十人ちかい石工たちが勇ましく気勢をあげた。
「駄目です。やめて下さい。匿って下さればそれで十分です!」
「そうですか……それは残念ですな」
と親方は長い顎髭をしごいた。
「だが、お嬢様の頼みとあっては仕方ありません。大人しくすることにしましょう。あちらに我々の飯場があります。そこでお休みに……」
そう親方が案内しようとしたところで、エルの背後から険しい声が聞こえた。
「馬鹿みたいに集まって、何やってんのさ?」
エルが振り向くと、逞しい体つきのドワーフの女が三人いた。
「船荷の積み出しは終わったのか」
と親方が訊くと、職人らしき女が文句を言った。
「とっくにね。次が来ないから、わざわざ来たんじゃないか」
「いや、このお嬢様が悪者に追われているというのでな、儂らで優しく保護しようとしてたところじゃよ」
「何だって! この女を信用するのかい?」
「もちろんじゃよ。迷い込んだ小鳥は助けてあげるべきじゃ」
「ったく、親方は若い女に甘いんだから」
「何を言うか!」
「この女はね」
と職人の女がエルの背中を指さした。
「セウ家の人間だよ」
「なんじゃと!」
親方を始め、ドワーフの石工たちがざわついた。
「この女のマントには、でかでかと立ち獅子に十二の星が描かれてる。これってセウ家の紋章だろ? こんな奴をなんで石切り場に入れるのさ?」
しまった!
エルは愕然とした。
マントだけでも脱いでおけばよかった――!
親方が、ブッケルムの背後に回り込み、エルのマントを見上げた。
「お嬢様、これはいったいどういうことですかな?」
「そ、それは……」
「セウ家の人間を狙う悪者なんて到底いるとは思えませんな。儂らを騙して楽しんでいたというわけですか?」
「そうではありません、本当にセウ家の男たちに追われてるんです!」
「セウ家の男たちですと?」
親方が疑わしげな表情で腕を組んだ。
「じゃあ、このマントの立派な紋章はいったい何なんです?」
「それは……いろいろあって……」
「まずいよ、親方……」
地面に耳をつけていた石工が上体を起こした。
「そいつは嘘じゃないかもしれません。お客さんがこっちに向かってる」
「なんじゃと? 数はどれぐらいだ?」
「そこまでは分からねえが、結構な数みたいだ」
親方が渋い顔をして考え始めた。
最終的に職人の女に、エルを上まで連れて行けと命じた。
怯えた様子でエルは馬上から見回したが、まわりの石工たちの表情には敵意や疑いが現れている。
話が通じるような雰囲気ではなかった。
「ほら、こっちだよ」
職人の女が、ブッケルムの手綱を引っ張った。
女はブッケルムを、石切り場の階段のような絶壁へ連れていこうとする。
背後からは親方の忠告が聞こえていた。
「お嬢様、くれぐれも逃げようなんて考えないことですな。繰り返しますが、ここは行き止まりですぞ!」




