第40話 関所2
ブッケルムは軽快に飛ばしている。
だんだんセウ家の関所が見えてきた。
石造りの建物には、中央に馬車が一台だけ通れる幅の門があり、左右には人が通るための小さな出入口がある。砦にある城門ぐらいの規模だった。
二週間ほど前にも、エルは対岸のイオミア側から、この関所を観察している。
そのときはディオン――〈首なし騎士団〉のダルトンの息子で、エルより二歳年下のまだ十三歳だったが、すでにエルより背が高い――と一緒に、隠れ家のまわりで馬を走らせ、土地の感覚を体に覚えさせているところだった。
関所の手前のファッシノ河には、石橋が架けられている。
帝国の軍用道路として架けられた数百年前には、幅が広く渡りやすい平面の石橋として造られていた。
それを、ヨアキム家を危険視しているセウ家が、わざわざ幅が狭くて渡りにくいアーチ状に造り直し、さらに関所も建てたのだとディオンが教えてくれた。
エルとディオンは遠くから眺めるだけに留め、引き返した。通行税を支払うのがもったいなかったからだ。
あのときの記憶と変わっていなければ、関所の衛兵の数はそう多くない。あとは徴税官がいるぐらいだろう。
いまのブッケルムの勢いなら、関所破りが出来るんじゃないか?
そうエルは期待していた。
振り返ると、まだ男たちと距離があった。
先頭を走っているの四十過ぎの男は必死の形相だった。
ブッケルムに追いつきそうになっては、弄ばれるように何度も引き離されたから、相当頭に来ているのだろう。
ほかにも、血走った目をしたエルフたちが追いかけてきている。
捕まったらと思うと、エルは身震いした。
男たちを制止してくれそうな若いアルケタはいない。
もっと後ろを走っているのか、オウグウスの姿も見当たらなかった。
先頭の男が何か叫んでいる。
それはエルに対してではなく、その先の関所に向けてだった。
エルは前を向いた。
関所まで、あともう少しだ。
その前で手続きを待っていたらしい旅人や商人たちが、ブッケルムとその後ろの軍馬たちに気づき、慌てて関所から離れている。
放置されたままの荷車があるが、あとは障害物はない。
だが、後ろとの距離は縮まっている。
「早く降ろせ!!」
という叫び声がすぐ後ろから聞こえ、エルは鳥肌が立った。
馬車一台分の幅しかない門の上から、ゆっくりと黒い鉄格子が降りてきていた。
くそっ、あんな仕掛けがあったのかよ!
もう間に合わない。
このまま鉄格子にぶつかっちまう!
じゃあ手綱を引くか?
けど、ここで止まったら、後ろの軍馬たちに激突されるだろう。
一か八か、あの下をくぐり抜けてみるか?
一瞬の判断を迫られたエルの耳に、ガンガンと耳障りな金属音が聞こえてきた。
鉄格子が中途半端な高さで止まってしまい、それを何とかしようと、下から兵士たちが槍の石突で叩いているのだった。
いける!
まだ三メートルぐらいの空間がある。
背の低いブッケルムなら、問題なく通れる高さだ!
三十頭の軍馬が、地響きのような音をたてて近づいてくるのを見ると、顔に恐怖を浮かべた兵士たちは、鉄格子を放棄して、関所の建物に逃げ込んだ。
もうすぐだ――。
僅かに傾いた黒い鉄格子が、中途半端にぶら下がっている。
まるで、断頭台で落ちてくるギロチンのようだった。
ブッケルムが速度を落とさずに、その下を通過すると、まだ十分な高さがあったのにも関わらず、エルは思わず首を竦めた。
くぐり抜けた!
関所を通り抜けると、すぐに急傾斜の石橋に続いており、その勢いのままブッケルムはアーチ橋を駆け上がった。
するとエルの背後から、
ガシャン!!
という重たい金属音と共に、土埃が盛大に吹いてきた。
詰まりの取れた数百キロの鉄塊が、一気に石畳の上に落下したのだった。
間一髪だった――。
などと感慨にふける間もなく背後から、グシャッ、グシャッと肉が潰されたような嫌な音が次々に聞こえてきた。
狂ったような馬のいななき、苦痛の声をあげる男たちの悲鳴――。
それらが、背後からエルに襲いかかる。
ブッケルムはアーチ橋の頂点まで上ると、勝手に足を止めた。足踏みをして体の向きを変えると、関所へ頭を向けた。
恐ろしいほどの地獄絵図が、否応なくエルの目に入った。
おそらく男たちは、ブッケルムがくぐり抜けたのを見て、軍馬の速度を落とさずに、通過しようとしたのだろう。
その勢いのまま、落ちてきた鉄格子に激突したのだ。
鉄格子の前では、首が折れ、脚が折れた軍馬たちが山のように折り重なっている。
錆びついた鉄格子が血で濡れていた。
鞍から放り出された兵士が叩きつけられたのだ。
血塗れになった男を、後続の兵士が助け出そうとしているが、糸が切れた人形のようにぐにゃりとしたままだった。
あまりの陰惨さに、エルは顔を背けた。
橋の下では、数日前の大雨で、ファッシノ河が茶色い濁流になっていた。
だが、男たちの悲鳴は相変わらず聞こえてくる。
鉄のような血の臭いも。
俺のせいじゃない。
あんなこと、俺は考えていなかった。
まだブッケルムは、頭を関所のほうへ向けている。
そして鼻の穴を大きく広げると、ブルルルッと湿った息を吐き出した。
まるで笑っているかのように――。
エルはゾッとした。
ブッケルムは、本当に〈魔の馬〉なのかもしれない。
まさか、こいつなりの復讐だったのか?
「もう十分だ」
エルは馬の首筋に触れると、震える声で促した。
「俺たちは行こう」
エルが軽く踵で合図すると、ブッケルムは従順に従った。前を向くと、カツカツと蹄の音をたてて石橋を下る。
こうしてエルは川を渡り、イオミア属州に入った。




