⑤1500m走・姉のライバルとのレース
-響希・中3秋②-
県駅伝の10日後。今年度で最後になる陸上の記録会。この大会には、文架市、及び、木藤市や鈴梅市など、文架市近隣の中高生の選手が集まる。
本来であれば、一般入試組は駅伝大会の終了と同時に陸上部から引退する。全国的に、まだ引退をしていない中学3年生は、私立高の推薦を前提にした選手、または、駅伝で地方大会や全国大会に進出した選手のみ。清華は夏の時点で引退をした。東中陸上部で、まだ残っている3年生は響希だけだ。
駅伝は敗退し、私立高ではなく優麗高を志望する響希には、もう走るメリットは無い。だけど響希は、この記録会で走りたかった。通常の記録会は、高校生と中学生は別々で行われる。だけど年に2回ほど、文架市で中高生の合同記録会がある。
姉の記録は中2の時に超えた。環奈は自分のことのように喜んでくれた。今の響希は、県内の中学生で3番目に速い。何組か組まれるレース中で、間違いなく1番速いランナーだけが集められた組で走ることになる。
環奈を挫折させたチームメイト・土田太緒は、推薦で亜武良大学附属高校に入学した。勉強よりもスポーツで大学に進学をする生徒が圧倒的に多い高校で記録を伸ばし続けた。太緒は推薦で大学に行くはず。つまり、自身の価値を維持する為に、最後の記録会には必ず出てくる。そして、響希と同じ組にエントリーをされるはずだ。
響希は、姉の仇と争う為に、この記録会へのエントリーを決めた。タイムスケジュールを確認すると、案の定、【田村響希(中3年) 文架東中】がエントリーされたレースに、各校のエースクラスと並んで、【土田太緒(高3年) 亜武良大学附属高校】の名があった。
「おっしゃぁっっっっ!!足が折れても勝ぁつ!!!」
「足が折れたら走れないでしょ!」
応援に来ていた姉が、冷めたツッコミを入れる。中1の時に陸上部の先輩が「練習でも大会でもダラダラしていた長距離ブロックを、時間を掛けて活気と厳しさのあるチームに変えたのは、環奈先輩だった」と教えてくれた。響希が入部した時の陸上部は、ダラダラとした悪い伝統が、環奈によって一掃されたタイミングだった。
入部して最初の数ヶ月は「かんちゃんの所為で厳しくなった」と恨んだ。部活が休みの日に家でダラダラとしていたら、姉に「一緒に走ろう」と家から引っ張り出されて、もの凄く迷惑だった。前を走るかんちゃんに、必死で付いていった。
いつの頃からだろう?本気で走らなくても、かんちゃんを置いていけるようになった。最初は総合ランキングで下から数えた方が早かったタイムが、グングンと上がった。多分、その頃から、走ることが楽しくなった。
「かんちゃん・・・土田さん、やっつけてくるよ」
「うん、響希が勝つように、応援するね」
響希のベストタイムは、4分42秒。太緒の中学時代にタイムは既に抜いている。でも、今の太緒は、響希の6秒先に居る。普通に考えて、勝ち目のある相手ではない。それは、3年間走り続けてきた響希が1番良く知っている。でも今日は勝ちたい。中2の秋に自慢の姉の記録を超えてからは、ずっと、姉を挫折させた仇の背中を追い続けた。
「やっと、一緒に走れる!」
競技開始の30分前、召集場所に行って点呼を取ったあと、軽くアップをしていたら、響希の名を呼ぶ声がした。振り返って驚く。話しかけてきたのは、姉の仇・土田太緒だった。
「環奈ちゃんの妹・・・ですよね?違ったらゴメンね」
「・・・は、はい。かんちゃんは私のお姉ちゃんです」
「亜武良から、声掛かってるます?田村さん速いもんね」
「は、はい・・・推薦来てますが」
「来て欲しいな。
私の後釜が、環奈ちゃんの妹なら、こんなに嬉しいことは無いですよ」
「・・・へ?」
「私ね、環奈ちゃんには、凄く感謝しているんだよ」
「・・・へ?」
「私さ、中学で、最初は短距離やってたんです。
でも、記録はあんまりパッとしなくて、
そんな時、駅伝に駆り出されたんですよ。
たまたま良い記録が出たけど、長距離には環奈ちゃんがいたから、
直ぐに短距離に戻るつもりでした。
でもね、環奈ちゃんに言われたの。
『長距離の方が絶対に良い』
『東中駅伝部が県大会に行く為に、長距離に残って欲しい』ってね。
そのアドバイスのおかげで、今の私があります。
だから、速かったのは私ですが、レジェンドは環奈ちゃんなんです」
「・・・そ、そうなんですか?」
初めて知った。陸上部の先輩達が、姉を「レジェンド」と扱い「駅伝部が県大会に進出したのは、環奈先輩のおかげ」と言ってたのは、嘘や皮肉ではなく本当のことだった。そして、多分、姉に「レジェンド」の名を与えたのは、事情を知らない姉の後輩(響希の先輩)達ではない。姉を誰よりも評価していた姉の仇、目の前に居る土田太緒だ。自慢の姉は、自分が挫折して泣くことを承知の上で、弱いチームのエースになることより、チームが強くなることを選択したのだ。
響希よりもずっと先に居る太緒は、姉が導いたランナーだった。響希は姉の記録は超えている。だけど、まだ、自慢の姉を超えてはいなかった。太緒に勝つことは、姉の仇討ちだけではない。本当の意味で、自慢の姉を越えることだった。響希の中で、口先だけではない「何が何でも勝ちたい」って闘争心が込み上げてくる。
-スタートライン-
〈オン ユア マーク!〉
インコースから3番目に響希、5番目に太緒、8番目に広野ありす(高2、県内高校1位)、10番目に広野すず(中2、県内中学生で2位)、13番目に神白石萌子(高3、県内高校5位)、スタートラインに並ぶ!
パァン!
スターターピストル音が鳴り、足に自信がある15名が一斉にスタートをした!この、文架市周辺地域の速いランナーだけが集まったレースに「負けても良い」と思う者など誰も居ない!全員がトップを目指して「我先に」と前に出る!
響希は、イン側に傾れ込んでくるランナー達を潜り抜けて前に出た!しかし、無理にインに入らずにアウト側でスピードを乗せて入ってきた神白石と広野姉妹に先に行かれてしまい、4番手で100mを通過してコーナーに入る!トップ・神白石、2番・広野(姉)、3番・広野(妹)、4番・響希、5番・太緒。
ホームストレートに入ったところで、トップが広野(姉)に代わり、響希は太緒に抜かれて5位に順位を落とした!更に6位以下のモブが仕掛けてくるが、意地でも前には行かせない!
響希の前を走る4人の自己ベストは、響希よりも優れている!響希には、太緒の背中が、「いつでも仕掛けて来い!」と語っているように見えた!
300m~400m~500m、トップの広野(姉)が2位以下を引き離し、2位~5位の響希までが、四重奏となって走る!前を走る太緒に仕掛けたいが、付いていくのがやっとで、追い上げることができない!これは、上位入賞者が次の大会に進出できるワケではない、ただの記録会だ。それなのに、県内トップ高校生の広野(姉)に引っ張られる展開で、上位層は、皆、とんでもなくハイペースになっている。
700mを通過した辺りで、広野(妹)が神白石を抜いて2位に上がり、続けざまに、800m手前で太緒が神白石を抜き去る!
(ヤバいっ!置いて行かれる!!)
レースは半分を経過したばかり!こんな速いペースで走って最後まで保つのか!?だけど、仇の背中に、これ以上離された追い付けなくなる!響希はムキになって走り、どうにか神白石を抜いて再び太緒との距離を詰めた!
広野(姉)が単独でトップを走り、10m程離れて広野(妹)、太緒、響希が続き、5位に落ちた神白石が、徐々に遅れる!
1000m通過!ヤバい、レース開始前に入れ込みすぎて、ハイペースのレースで自分のペースを乱してしまったか!?バテてきた!手足が思うように動かない!ずっと先を走る広野(姉)が1100mを通過して、ラスト1週の鐘が鳴る!響希には、その鐘の音が、遠くに聞こえる!
「ひびきっっ!!!ファイトォォッッッッ!!!勝つんでしょっっっ!!!?」
ホームストレート!スタンド席から、響希を応援する大声が聞こえた!スタンド席を眺めてる余裕は無いが、今のは、かんちゃんの声だ!そうだ、「太緒に勝つ」って約束したんだ!響希は太緒の背中を睨み付けた!追い越せていない!でも、引き離されてもいない!3年前の「早く終われ」と思いながら、ダラダラ走っていた800m走とは違う!辛いのは皆同じ!「足が折れても勝つ」って約束した!でも、まだ足は折れてない!まだ走れる!
広野(妹)、太緒、響希が縦1列に成って、1100mラインを通過!ラスト一周の鐘が鳴る!途端に、太緒が動き出した!コーナーに入った直後にアウト側に出て、広野(妹)との差を詰めて抜き去り、2位に上がった!
響希は夏の大会で広野(妹)に負けている!来年度の県内中学のトップ候補になんて勝てるわけが無い!でも、太緒に勝つには仕掛けるしか無い!
広野(妹)も、県内中学2位のプライドに賭けて、引き下がるつもりはなさそうだ!4つも年上の太緒に、懸命に食い下がっていく!「中学生だから高校生に勝てるわけがない」なんて少しも思っていないようだ!
(私だって同じ!頑張ったけど負けたなんて言いたくない!
勝つ為に、この記録会まで陸上部に残ったんだ!)
1200m通過、残り300m!腹に力を込め、心の中で気勢を上げて、仇敵の背中を睨み付けた!イン側に広野(妹)、アウト側に響希、横に並んで走る!目の前には太緒の背中!
1500m走には、故意に後ろのランナーの走路に入り、追い上げてくる選手のトップスピードを殺すテクニックがある。進路を塞がれた後方のランナーは、前のランナーとの接触を避ける為に、一瞬だけスピードを落とさなければならない。体力が消耗した後半でスピードを殺されると、もう一度トップスピードに乗せる為に、なけなしの体力を使わなければならず、終盤がかなりキツくなる。
だけど、太緒は走路を塞ぐ走法はしない。広野(妹)を抜いたままアウト側を走っている。太緒がインに入れば、広野(妹)のコースを塞げる代わりに、後方から来る響希のコースを空ける事になってしまうので、コース変更ができない?それとも、無粋なテクニックなど使用せず、走力のみの勝負を仕掛けている?インにいる広野(妹)は、ペースを上げれば、そのまま空いているインで太緒を追い抜くことが可能。響希は、トップスピードを乗せたまま、太緒の更にアウトに出れば、太緒を抜くことが可能。だけど、響希も広野(妹)も、太緒に迫ることができない。これが、姉に見出された、仇敵の底力か?強すぎる。
(・・・え?なにっ?)
突然、太緒の背中が、姉の背中に見えた。ずっと憧れの象徴だった“かんちゃん”が、目の前を走っている?意識が朦朧としたから?出走前に太緒から「姉の偉大さ」と「姉に導かれたこと」を聞いたから、姉と太緒が重なる?
よく解らないけど考え込んでいる時ではない。今、ハッキリしているのは、目の前に居る背中の、もっと前に行かなければならない事だけ。1300m通過、残り200m!
(うおぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっ!!!!かんちゃんっっっっ!!!!)
その先のことは、あんまり覚えていない。
響希のストライドとピッチが上がる!最終コーナーに突入した頃には、さっきまで隣を走っていた広野(妹)は、視界から消えていた!目の前を走る背中が、「まるで向こうから寄ってきている」と思えるほど、グングンと近付いてくる!太緒の更にアウト側に突っ込んでコーナーを抜け、最後のホームストレート!1400m通過、残り100m!ラストスパート!
「いけぇぇぇぇっっっっっ!!!ひびきぃぃっっっっっっっ!!!!」
さっきまで賑やかに感じていた様々な歓声が殆ど聞こえなくなっているのに、姉の声援だけがハッキリと聞こえた気がする。最後の直線に入った時には、響希にはゴールしか見えていなかった。気が付いた時には、響希の前には、既にゴールをした広野(姉)しかいなかった。
〈2位は文架東中の田村さん!
3位、亜武良高の土谷さん!
4位、木藤第二中の広野さんと続きます!〉
場内アナウンスを聞いて、太緒に勝ったことだけは実感した。ゴールラインを通過した響希は、大声で気勢を上げ、肩で息をして四つん這いに崩れ落ちる。その後、太緒が肩を貸してくれてコースの外に出たことや、「絶対に亜武良に来てね」と誘われたような気がするけど、あまり覚えてない。広野(妹)が悔しそうにしていたが、話しかける余裕なんて無かった。
フィールドの外に出たら、かんちゃんがホームスタンドから降りてきて出迎えてくれた。小綺麗な服を着てるクセに、「頑張ったね」と言って汗ダクの響希を抱き締めてくれる。小学校の時のコーチが「響希なら勝てる」と言ったのが嘘じゃなかったって解って、さっきまで走っていたことは現実だったと実感して、嬉しくて、わんわんと泣いた。
ベストタイムを3秒も更新した事は、ゴールをした10分後くらいに教えられて知った。太緒のベストタイムには負けている。でも、追い付けたことと、これからも陸上を続ければ、やがて追い抜けるって自信になった。




