適正処理
「こんばんはー!今日は秘密の爆釣スポットから、ライブ配信をしまぁす!」
真夜中の入江に、場違いなほど明るい声が響いた。
配信画面の中では、釣り人本人の代わりに、派手なフィッシングウェアを着たアバターが手を振っている。
活動名は潮見カイ。本名は公開していない。
汎用動画配信プラットフォーム《VISTREAM》で、チャンネル《KAI’S CAST》を運営する人気釣り配信者だった。アバターを使った秘境釣行で人気を集めている。
携行スキャナーが周囲の地形をリアルタイムで三次元化し、高速レンダリングされた岩場と海面が、アバターと合成されて視聴者の端末へ送られている。
正確な位置情報は配信側で伏せられていた。
その小さな入江には名前がない。
立入禁止の看板は錆び、文字の半分は潮風で削れている。獣道にも似た細い下り坂を、踏み跡をたどるように五分ほど歩くと、ようやく海が開ける。
視界の端から端までが収まってしまうほど狭く、ただ波の寄せる音だけが響いていた。
海流の影響で、流れ着くものが多い場所らしい。文字の消えかけた木箱、絡まった定置網の残骸、色の抜けた浮き球。そうしたものが岩場の陰に引っかかり、潮が引くたびに少しずつ乾いていく。
「場所は内緒です。ここ、潮が合えば本当にすごいんですよ。前に来た時は一時間で――」
配信者の声が止まった。
足元で、何か柔らかいものを踏んだ。
「うわっなに!?」
ライトを下へ向ける。銀色の鱗が光を返した。
魚だった。しかも、一匹ではない。
「なに、これ……?」
ライトを巡らせる。岩の隙間。波打ち際。潮だまり。白い腹を上にした魚が、数え切れないほど打ち寄せられていた。
『魚じゃない?』
『待って、全部死んでる?』
『場所どこだよ』
『通報しろ』
『誰かもう通報した?』
『クリップ保存した』
《VISTREAM》のライブチャットが、猛烈な勢いで流れていく。
「魚の死骸だらけじゃん……」
ライブ映像は配信者の手を離れ、ネットの海で無限に広がっていった。
《VISTREAM》から切り抜かれ、複数のSNSへ猛烈な勢いで拡散されていく。
魚の死骸。笑顔のまま固まったアバター。配信者の震えた声。
翌朝には報道各社が映像を引用し、行政が現地調査へ入る頃には、誰もがその入江を知っていた。
それは結果として、その月に最も再生され、最も拡散された動画となった。
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翌朝、入江は地方警察によって立入禁止となっていた。
現時点で人間の被害は確認されておらず、事件性を示すものもない。大量の魚の死骸と原因不明の水質異常であれば、刑事事件というより資源環境監督庁の所管だった。
地方警察は現場を保全したうえで、資源庁へ調査班の派遣を要請した。
規制線の前で申し送りを受けた女性調査官は、警察官の説明へ黙って耳を傾けている。
記録は揃っていた。初動も間違ってはいない。必要な採水地点まで、丁寧に印がつけられている。
それでも言葉の端々から、厄介事を早く専門機関へ渡してしまいたいという空気が透けて見えた。
女性調査官は、規制線の向こうに積み重なった魚の死骸を見た。
「おおむね把握できました。以降の調査は引き継ぎます」
そう答え、防護マスクを着けた。
入江には、背中に資源環境監督庁と大きく書かれた調査員たちが入っていく。
化学防護装備を身につけているため、全員が同じ姿に見えた。識別のため、胸元と背中の白いテープには現場で名前が書き込まれている。
エリカ・ノルトハイム。
そう書かれた女性調査官は、トングで魚の死骸を拾い、ジップ付きの検体袋へ入れた。袋には採取日時と場所がすでに書き込まれている。
「魚種ごとに、おおよそでいいから分けておいて。腐敗の進行具合も記録してね。写真は袋詰めの前に必ず」
エリカはそう指示を出し、ため息をつき波打ち際を見た。すべては持ち帰れないと判断するしかない量だった。
「……いったい、何が」
呟きは、入江に吹き込む潮風にかき消された。
岸まで打ち寄せられなかった死骸が、まだいくつも浮いている。水面の反射とは違う、白い腹の鈍い光だけが、いやに目に残った。
「採水は岸際だけじゃ足りないわね。潮目の外と、流入している沢水も取って。潮だまりがあればそれも別で採取を」
「了解です」
返事をした技官が、携行端末へ採取地点を打ち込み写真を撮る。自律型調査用多脚UGVが、足場の悪い岩場を小さく揺れながら追従していく。多脚とはいえ魚だらけの砂地は歩きにくいのか、感情のないはずの機体が困惑しているように見えた。
エリカは足元の魚体をもう一度見た。鱗がところどころ剥げ、鰓の縁が黒ずんでいる。腐敗にしては早い。海水に浸かっていた時間だけでは説明しにくい変色も見られた。
「空からの様子はどう?ついでに入江の3Dスキャンもお願い」
「沿岸の撮影は終わっています。上空から見ると、死骸は入り江の奥に偏っていますね」
「海流に押し込まれたか、ここに溜まりやすいだけか。どちらにしても、発生源はここではないわね」
「周辺地形のスキャンもしておきます」
「ええ、お願い」
技官に指示を出し、エリカは立ち上がった。
潮風が防護服の表面を撫でる。顔の横で、黒髪がわずかに揺れた。フードの内側に押し込めていたはずだが、短い毛先が隙間から逃げている。
別の技官が調査用UGVによる速報値を確認しながら言う。
「空気測定では異常は見られません。装備は外してもよさそうです」
エリカはそれを聞いても外す気にはなれなかった。
「腐臭がしそうなのでこのままでいい」
「了解です」
技官は苦笑しながら答えた。
大量死。
赤潮。酸欠。水温変化。毒性藻類。理由は探せばいくつもあるのだろう。
だが、足元に散らばる魚の数はエリカの危機感を煽った。




