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幕引き

 想定内の質問だ。橘はマイクへ寄る。


「不在だったことは事実です。班長として危険な作戦の指揮を預けた責任は私にあります」


 会場が静かになる。橘は続けた。


「ですが、現場にいた隊員たちは判断を誤っていません。我々は十分に備えています。このような事態も想定済みであり、私、金剛寺、さらにその下の管理官も皆覚悟をもって臨んでおります。必要な任務を遂行したと考えております」


 記者は、そこで引かなかった。


「とはいえ、肝心な時にいないとは、なんとも気楽な海外出張に見えま……」


 言葉が終わる前に、空気が変わったような気がした。質問をした記者は、最初、自分でも何が起きたのか分からなかった。アルテミシアが、まっすぐに質問をした記者を見ていた。周囲から見ればそれだけだった。だが、彼女のそれまで纏っていた、真摯ではあるが柔らかな空気が、霧散し、透明な氷のような澄んだ瞳が、わずかに細められる。それだけで記者だけは全身に鳥肌が立つように感じた。


 鋭く冷たい氷の刃物。


 そう形容するしかないものが、そこにあった。怒りではない。いや、怒りも多分にあるだろうがまだ人間の熱がある。それはもっと静かで、もっと奥深く淀んだもので、聖女が向けるには剣呑な気配だった。相手の言葉を受け止め、意味を測り、どのように排除するか見定めているかのような目だった。

 法務部長がわずかに渋い顔をし、咳払いをする。それを受け、アルテミシアは法務部長に目線でわかっていると伝える。記者は冷汗が出ていることに気が付いたが、何が起きているかはうまく理解できていなかった。


 金剛寺は、痛ましげにアルテミシアを見た。責める目ではない。傷口を見つけてしまった人間の目だった。

 総裁らしくない。そう思った。祈りが影響しているのか。橘に対する執着のようなものが、以前より表に出やすくなっているようだ。

 橘は、その空気を断ち切るように口を開いた。


「私が国外にいたのは、瑞海系勢力の国外接触線を追うためです。先方の法執行機関から得た情報は、人質の位置、犯罪勢力のキーパーソンの位置特定に用いられました」


 声は低く、平坦だった。


「状況の流動性はその辺の事情もありました。ですので現場の判断は適切であったと我々は考えています。」


 橘は一度、記者を見た。


「立野は任務中に死亡しました。その事実は、どんな言葉でも取り繕えません。それは承知の上で他に選択肢はありませんでした」


 会場は静まり返った。その静けさの中で、アルテミシアはようやくまとっていた空気を解いた。橘は、それを横目で見ていた。見慣れたはずの横顔がその時だけ少し遠く見えた。


 ---


 質問は続いた。

 労働局の権限を見直すべきではないか。

 強制介入班の装備運用に外部監査を入れるべきではないか。

 聖女である総裁の判断が、現場に過剰な期待を与えているのではないか。

 どの質問も、方向は似ていた。


 国家労働局の権限を削る。アルテミシアの判断に疑義を差し込む。今回得られた証拠の重みから、視線を逸らす。アルテミシアは、その一つ一つを聞いていた。

 誰が質問し、内容は何であったか。

 誰が沈黙し目をそらしたか。

 誰が隣の記者に目配せしたか。

 誰が表情を変えたか。

 そのすべてを記憶していく。

 誰が敵で、誰が交渉可能で、誰を排除すべきか……

 その言葉が、自分の内側に自然に浮かんだことに、アルテミシアは少し遅れて気づいた。


 ――排除。


 以前なら、そんな言葉を簡単に想起しただろうか。分からない。だが分からないまま、彼女はマイクへ顔を向けた。


「我々は大きな損害を出しました」


 会見場の視線が集まる。


「勇敢な隊員の命と引き換えに、人身売買という度し難い犯罪ネットワークを白日の下に晒し、複数の証拠を手に入れました」


 声は静かだった。だがよく通った。


「国外からの犯罪勢力が、本邦に根を張り、橋頭堡を構築しつつありました。その鼻先に、我々は法に則り、我々自身の流血をもって痛打を加えました。確かに、尊い命が失われ、介入班には多数の負傷者が出ています。しかし、我々に悔いている時間はありません。違法労働の影響範囲の調査、関連企業への臨検……そして、国内にもいるとみられる協力者の拘束」


 アルテミシアは、会場を見渡した。


「たとえ何人隊員が倒れようとも、それは我々が足を止め、眼前の被害者を見捨てる理由にはなりえません。そうあれかし。我々は意志を統一し、なお進むと決めたのです」


 誰も言葉を挟まなかった。会見場は静まり返っていた。アルテミシアは、それ以上言わなかった。

 言えば、一線を踏み越える。今の自分なら容易く踏み越え、既得権益、あの不愉快な評議会への敵対を選べてしまう。その自覚があった。だから、彼女は口を閉ざす。


 ---


 会見後の控室は会見室よりも重かった。法務部長は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。


「おそらくこちらの主張は通せそうです」

「ありがとうございます」


 アルテミシアが言う。


「感謝されるほどのことではありません。ただ、総裁、最後の発言は少し尾を引くかもしれませんよ」

「そうですね。後ろ暗い連中とつながりのありそうな者たちは顔を覚えました」


 アルテミシアは一切の感情を宿さない目線で、ここではないどこかを見ていた。法務部長は、それ以上責めなかった。責めるべきか迷っている顔だった。

 金剛寺が立ち上がる。


「俺は病院へ行きます。立野の件もありますんで」

「俺も行きます」


 橘が言った。金剛寺は頷いた。だが、アルテミシアが先に橘を呼び止める。


「橘さん」


 橘は振り返った。控室に、一瞬だけ妙な間が落ちた。法務部長は資料を手に自分のオフィスへと歩き出す。金剛寺は「先に行きます」と言い部屋を後にした。

 後には二人が残される。


「戻りました」


 橘が言った。いつもの報告と変わらない声だった。アルテミシアは、そのいつも通りの言葉を聞き、なんだか無性に泣きそうになった。


「ええ。おかえりなさい」


 だが口を突いて出たのはいつも通りそれだけだった。しかし、それ以上を言うべき時でもなかった。

 アルテミシアは橘の顔を見る。橘はいつも通りに見える。だが、国外から急ぎ帰国した疲労と、立野の死を聞いた後の痛みが、ほんのわずかに余韻のように張り付いていた。

 橘が言った。


「会見中、少し怖い顔をしていましたね」


 アルテミシアは目を伏せた。


「そう……ですね。見られてしまいましたか」

「はい」


 橘は、それ以上追及しない。その沈黙が、アルテミシアにはありがたかった。


「アルテミシア様も一緒に行きますか?」

「はい。行きましょう」


 二人は控室を出た。誰ともすれ違わないまま、廊下に足音だけが響く。橘は補佐官としては近く、私的な関係としては遠い位置を歩く。それは彼がずっと守ってきた距離だった。だが、その時だけ、橘は一歩だけ近い位置を歩いた。

 アルテミシアは、それに気づいた。でも何も言わなかった。言わなくても通じるものがある気がした。


 ---


 その後、正式な合同発表が行われた。被害者の救出は成功。真船関連の供述と押収物は、国家警察の刑事事件として扱われることとなる。

 梁瀬、新華月警備、港湾警備委託の正式な再調査が開始される。

 瑞海系勢力の国内協力者の調査も始まり、一部は摘発対象に入り、関係企業への労働局地方支局からの応援により強制監査も準備された。

 グラウベルクが追ってなお、ミラージュは依然、逃走中だった。瑞海の出先機関は痛手を受けたが、消えたわけではない。

 レンシア通商連合評議会は労働局を叩きながらも、瑞海勢力排除の成果だけは自分たちに都合よく利用しようとしていた。


 第一の幕は下りた。

 だが、舞台そのものが片づいたわけではない。

 強制介入班の装備室には、立野のロッカーだけが閉じられたまま残っていた。

 誰かが片づけるにはまだ整理がつかず、そのままにしておくには目を引いた。

 橘は、その前で一度だけ足を止めた。ロッカーの表面には、何の変哲もない名札が差し込まれている。


 ロッカーは英雄の墓標ではない。美談のための舞台道具でもない。橘は長くは立ち止まらなかった。立ち止まっている場合ではないのだ。


「行くぞ」


 背後の隊員たちに言う。返事は少なかった。声を出せる者も、まだ病院にいる者も、もう返事をしない者もいる。

 今回の幕は下りた。次の幕の出演者だけがそこに立っていた。


一応これで1部としては完結です。先はどうするか考え中なので、完結になったらそういうことだという感じで。

ここまでお読み下さりありがとうございます。評価や感想をいただけると嬉しいです。


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