幕引き
戦闘は終結した。人身売買ネットワークを構成していたメンバーは拘束され、労働局の流血をもって捻出した時間は多くの証拠をもたらした。
逃亡経路は潰され、証拠隠滅も完全には間に合わず、通信記録、関係企業の名簿、瑞海系勢力の国内協力者に関する断片的な情報が確保された。湾内の小型艇も水上臨検隊によって押さえられた。湾外で待機していたと見られる不審艦については、海上軍が追跡と警戒を引き継いだ。
作戦としては成功である。だが、国家労働局にとっては苦い結末だった。
強制介入班は一名を失った。重体一名。重軽傷者多数。排水ポンプ場に出撃した隊員の中に無傷の者はおらず、装備も消耗し、ドアノッカーの状態は支援部の技官が眉をしかめる程度にはひどい。しばらくの間、労働局はまともな強制臨検を行えないだろう。
現場を国家警察、SAG、CTRU、水上臨検隊に引き継いだ後も、労働局の仕事は終わらなかった。証拠品は警察の鑑識が押収していったが、事後報告書、作戦ログといったものや、負傷者の搬送先を割り振り、死亡した隊員に関する報告をする必要があった。アルテミシアは眠気は感じなかったが、ドリンクサーバーからコーヒーをカップに注いだ。
熱い。熱すぎて飲めない。仕方なく、見るともなく片手に持った書類を見つめる。報告書の一行に、KIA:立野、とあった。
じっとその行を見つめていた。
――死亡。
文字にすれば、たった二文字だ。それだけで一人の隊員が、明日からはもう会うこともできない。
「総裁」
ナディアの声がした。先ほど注いだコーヒーの湯気は消え、少し冷めてきていた。
「国家警察から、押収物の引き継ぎ確認が来ています。刑事事件として立件するとのことです」
「わかりました。法務部長にも共有を」
アルテミシアは、自分の声が震えないよう意識しながら返事をし、次の資料へ目を移した。誰も気休めは言わない。今やるべきことではない。それを全員が知っていた。項主任技官は火のついていない煙草を口にくわえ、端末を叩いている。
「橘さんから追加データ、入りましたよぉ」
項が言った。
「ノルーディアセキュリティ経由の照合結果です。瑞海系企業の過去の接触履歴。こりゃ、警察にも回した方がいい」
「お願いします」
「承知」
アルテミシアは頷く。橘は、まだ国外にいる。ヴェルフラードでミラージュの線を追い、ノルーディアセキュリティから得た情報をこちらへ送っていた。排水ポンプ場の戦闘には間に合わなかった。だが、それでもこの情報は、今後のさらなる足がかりになるだろう。
だが彼はここにいない。戦闘指揮を取れなかった。その事実は、すぐ別の形で国家労働局に突きつけられることになる。
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様々な圧力から記者会見の開催が決まったのは、戦闘終了から一日後だった。
本来であれば、負傷者対応、証拠保全、関係機関との合同発表を整理してから場を設けるべきだろう。だが、今回はそうはならなかった。連邦行政府の一部から説明要求が出た。それと歩調を合わせるように、複数の報道機関が国家労働局の強行的な実力行使を問題視し始めた。
なぜ水上臨検隊や国防軍の到着を待たなかったのか。なぜ国家警察の統制下で動かなかったのか。なぜ労働局の介入班が、高脅威下の戦闘に踏み込んだのか。
死者が出た。その事実は、どんな理屈より重い。
レンシア通商連合評議会。名目上は、首都圏を中心とする大企業群同士の良好な関係構築を目的とする団体だ。だが実態としては、オルセア国内の物流、港湾、資源流通、警備、金融にまで強い影響力を持つ企業連合体の総合的な意思決定機関である。
当然、国家機関の中にも縁の深い者はいる。縁深い、という言い方はいささか上品かもしれない。実質的には、抱き込まれている、あるいは癒着といったほうが分かりやすい。国家労働局は、その企業群の不正に手を入れるための機関であるため、彼らにとって、アルテミシアのいる労働局は目障りな存在だった。
そこへ、強制介入班の死者と多数の負傷者である。企業側と距離の近い記者たちは、これ幸いとばかりに群がった。おそらく媚びを売ろうという者もいるのだろう。作戦の成果ではなく、損害だけを切り取り、責任の所在だけをあげつらう。被害者が救出された面ではなく、手続きの瑕疵ばかりを語る。国外勢力の浸透ではなく、労働局の越権を問題にする。
もっとも、今回に限れば、彼らの攻撃にも一定の歯止めはあった。
労働局が排除したのは、国内企業の縄張りをも荒らす国外勢力だ。彼らが本邦に本格的に橋頭堡を築けば、既存利権にも食い込んでくる。レンシア通商連合評議会にとっても、それは歓迎できる話ではなかった。自分たちも同じ穴の狢である自覚があるのだろう。だが、敵の敵は味方。この件に限ってはそういうことなのだろう。
彼らは労働局を叩きながらも、一定の線引きをしていた。橘達が聞けば噴飯ものではあるが、彼らはそれを配慮と呼ぶだろう。死者を出した判断を責め、権限行使の危うさを問う。手続き的な面からの不備を責めるが、武力行使自体については責めなかった。アルテミシアは、資料に並ぶ報道機関名と記者名に目を通し、あらかた頭のリストを書き込んだ。
「総裁」
法務部長が会見用の資料を閉じた。
「基本的な事実はそのまま扱います。説明は、国家労働局が独力で制圧を試みたという理解は誤りであり、当局が実施したのは、国家警察および国防軍の到着まで時間を稼ぐための遅滞介入行動。この線で押し切ります」
「はい。よろしくお願いします」
アルテミシアは頷いた。会見前の控室には、法務部長の他に、急遽帰国した橘と金剛寺がいた。
橘は先ほどヴェルフラードから帰国したばかりだった。着替えてこそいるが、わずかに移動の疲労が残っているようだ。その顔を見るだけでアルテミシアは自身の気持ちが落ち着くのを感じた。金剛寺は片腕を包帯で吊っていた。顔にも擦過傷が残っている。髭面の強面が固い。
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