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揺らぐ祈り

評価をいただけてうれしいのでもう一話載せます。

 祈りは、本来なら完璧なはずだった。過不足なく。明確な意思をもって。確固たる覚悟のもとに。だが、奏上の間際、アルテミシアの意識がわずかに揺れた。普段なら、近くにいるはずの人の姿を探してしまった。


 橘伊吹。


 いない。その事実に一瞬だけ心が触れた。


――あ、だめ。


 祈りとは、神へ差し出す意思のかたちである。そこに混じった揺らぎは、なかったことにはならない。整えたはずの祈りに、ほんの一滴、()()()()が混じる。

 戻ってきてほしい。揺らぎには、祈りという入力に対し恩寵は出力として値を返す。揺らいだ入力に対して恩寵は結果を返す。

 金剛寺たちへ向けた守護は形としては届いており、感覚の鋭敏化も感じられるだろう。そしておそらく敵対者へもたらされる刹那の迷いも。しかし、想定したものに比べ完全とは言えないと感じていた。


 それがアルテミシアには分かった。危険に挑む部下たちがおり、いままさに銃口の前へその身を晒す。その無事を願い、命をつなぐべき祈りの中で、自分は一瞬、ここにいない人の姿を探した。その事実が胸の奥に冷たいしこりとして残る。


――浅ましい。


 そう思った瞬間、自己嫌悪が喉の奥までせり上がった。そんな揺らぐ中でも祈りは届いた。だから、なおさら救いがなかった。神は葛藤や揺らぎに楽しみを見出す。橘の名が祈りに混じったあと、彼女が何を恥じ、何を憎み、何を恐れるのか。

 恩寵は、表向きにはシステムのように振る舞う。祈りの対象を定め願いの方向を整え、代償を払い、結果が返る。だが、そんなものは神の気まぐれひとつで、いかようにも変わってしまうのだろう。


 愛と戦を司る神は、きっとこの揺れを好む。可愛い娘が、正しさと私情の間で自分を責める姿を。アルテミシアは目を閉じた。それでも、祈りを取り消すことはできない。取り消すつもりもなかった。部下たちを生きて帰す。そのために必要なら自分への嫌悪ごと抱えて立つしかなかった。


---


 旧排水ポンプ施設での戦闘は、想定通り過酷なものとなった。


 準備攻撃として金剛寺班は、施設東側の藪から側面攻撃を行うことになった。陽動である。少数で敵火力を引きつける。言葉にすれば簡単だが、遮蔽物の薄い外周でそれをやるのは危険だ。これに対し班長不在の橘班は、危険な正面突破を請け負った。現場で班を動かしているのは副班長だった。ドアノッカーを盾にした装甲バンで正面入り口に陣取る重機関銃の射線へ突っ込み、陽動が利いているうちに重機関銃を潰す。


 場当たり的でありおよそ作戦とは言えない。それでも、やるしかなかった。東側の藪から、発砲炎が瞬いた。金剛寺班のヘルメットカメラが揺れる。枝葉を削った銃弾が乾いた音を立てて飛び散った。


『くそ左腕にかすった!』

『止血しろ!鎮痛剤を使え』

『意識が鈍るからいらん!』

『二時方向、コンタクト!フラッシュバン投擲!』


 隊員の一人が叫ぶ。


LMG(軽機関銃)!十二時!屋上!』


 激しい銃撃の中、特に厄介だったのが、高所からの軽機関銃の撃ち下ろしだ。


『アレックス。十二時、ポンプ棟屋上にLMG。潰せ』


 直後、やや離れた鉄塔から消音機の付いた狙撃銃から一発の弾丸が放たれ、ほぼ同時に屋上のLMG射手が崩れた。

 アレックスの放った大口径弾が、射手の肩口を抉り抜けた。骨を砕くことはなかったが、衝撃だけで意識を刈り取るには十分だった。射手は機関銃から手を離し、屋上のコンクリートへ叩きつけられた。

 アレックスの狙撃により、小隊は何とか均衡を保っていると言えた。元国防軍の狙撃徽章持ちは伊達ではない。


 二発目がLMGの機関部を撃ち抜いた。金属片が跳ねまわり機関部が完全に破壊される。それにより屋上からの制圧射撃が止まった。

 LMGの射手が意識を失うのと、ほとんど同時に、真っ先にLMGに気が付いた隊員である立野が倒れた。


 グレーの戦闘服が赤黒く染まる。ボディアーマーの切れ目から飛び込んだ弾丸が、致命傷を与えた。


「おい立野!衛生官!立野が撃たれた!」


 立野は口から血を吐きながら、戦闘を継続しようとしている。うまく力が入らないのか、いまにも崩れ落ちそうである。金剛寺は立野を地面に慎重に引き倒す。


「副班長……俺も撃ち返さないと……」

「馬鹿野郎!そこでおとなしく治療を受けてろ!」


 金剛寺は出血量が尋常じゃないのに気が付いた。しかし、それを口に出すことはなかった。


---


 誰しもが、映画の登場人物のように、華々しい散りざまを用意されているわけではないらしい。立野は、自分の温かな血液が止めどなく流れ出し、不可逆的に命の火が細っていく中で、そんなことを考えていた。

 LMGの存在に気づき、不意打ちを防いだ。先制を潰した価値はあったはずだ。だが、その脅威はアレックスの狙撃であっさり解決してしまった。

 その直後、どこから飛来したのかも分からない銃弾が、ボディアーマーの隙間へ入り込む。

 ついていない。意識があるうちくらいは、弾幕に加わりたかった。だが金剛寺はそれを許さず、立野は医療担当官の手を煩わせることになった。


 金剛寺が何かを叫んでいる。こちらを見ている。情に厚い人だ。苦笑すら、もう難しくなってきた。

 少しは役に立てただろうか。そう考えたところで意識が途絶えた。


---


 金剛寺班は満身創痍となったが、陽動に敵が食いついた。


『今だ。橘班!突破だ!』


 正面入口へ、橘班の装甲バンが突っ込んだ。


 敵のテクニカル(武装トラック)の重機関銃が火を噴く。弾列が車両正面へ叩きつけられ、ドアノッカーの盾に火花が散った。防弾板の表面が削れ、車体が鈍く揺れる。それでも、バンは止まらない。運転席の視界はほとんどないが、ドアノッカーの操作する車両は重機関銃を積んだピックアップトラックとまともに衝突する。射手が振り落とされ、射撃が一時的に止まった。


『総員、重機関銃を潰せ!銃座にとりつかせるな!』


 橘班副班長の声が響く。しかし、正面の戦闘が激化するにつれ施設の各所から兵士が集まり始めた。過酷さは時間とともに増していた。

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