時間稼ぎ
アルテミシアは言った。
「即時展開を。労働局単独の現場介入ではなく警察が動くための偵察任務です。高高度から偵察。通信と映像は神山さんにも同時に流してください」
「介入班は」
ナディアが訊いた。アルテミシアの脳裏に橘の不在が不安として過る。
――ダメ、集中しなきゃ。
「金剛寺班は旧排水ポンプ施設への展開準備を。残存勢力の脱出妨害。SAGが現着するまで、相手を施設周辺に引き留めます。国家警察の水上臨検隊には湾内小型艇の臨検準備を依頼してください」
法務部長が、そこで口を挟んだ。
「我々には、国防軍との直接の窓口がありません。湾外に軍籍を持つ艦がいる可能性まで含むなら、労働局単独では扱えません」
「警察を介して上げるなら、SAGの特殊作戦司令部ですか」
「はい。警察の特殊作戦司令部なら、国防軍との統合作戦の経験上、実務窓口があります。そこから協力要請を上げるのが最短です」
アルテミシアは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「時間がありません。申し訳ありませんが、神山さんにお願いしましょう」
天秤が今、確かに傾いた。
「了解」
ナディアが即座に端末を叩く。
「神山さん、アルテミシアです。緊急案件です」
CICのメインモニターに、疲労の色が濃い神山の姿が映った。この連日の騒動でまともに眠れていないようだ。数時間前よりさらに険しい顔になっている。ただ、関係者は押し並べてみな疲労の極致にある点では同じだった。
『……何かわかりましたか』
「イワカミ川沿いの旧排水ポンプ施設です。無人施設のはずですが、不審な車両と人員の出入りがあります」
アルテミシアは続けた。
「推定ですが、そこから小型艇で湾内へ出し、湾内に潜ませた小型潜水艇へ移乗。最終的には、湾外で待機する大型潜水艦へ接続させるつもりです」
神山の表情が変わった。
『待ちたまえ。潜水艦だと? そんなもの、どこから……』
「情報は送ります。時間がありません」
アルテミシアは神山の戸惑いを無視し、話を続ける。
「水上臨検隊への即時投入と、特殊作戦司令部経由で海上軍へ協力要請をお願いします」
『君は簡単に言うが、海上軍まで動かすとなると……』
「湾外に出られた後では、犯罪捜査ではなく軍事摩擦になります」
神山は黙った。
「接続前に止める必要があります。神山さん、お願いします」
数秒の沈黙のあと、神山は眼鏡をはずし、片手で目元を押さえた。
『……資料を送ってください。水上臨検隊にはこちらから投げる。海上軍は特殊作戦司令部から統合作戦本部へ上げる』
「ありがとうございます」
『礼は後です。今度ばかりは、間違ってたら私の胃では済まない話ですよ』
「わかっています。時間は稼ぎますので。部隊の派遣をお願いします」
『了解した。無理はしないでください。すでにやり合っているから分かると思うが、連中は高度に訓練されている』
「承知しています」
通信はそこで切れた。アルテミシアは別回線を開く。
「執行部長、介入班を出してください。金剛寺班は旧排水ポンプ施設へ。目的は逃亡阻止です。応援部隊が現着するまで残存勢力を釘付けにします」
『了解しました。金剛寺班へ即時伝達します』
メインモニターに金剛寺が待機しているVTOL機の回線が表示される。
『金剛寺です』
画面に映ったのは、橘より年上の大柄な男だった。国防軍空挺部隊上がり。角ばった顎に短く整えた髭。肩幅のある体格は、装備の上からでも分かる。名前の通り、岩か鉄骨でできていそうな見た目をしていた。
「金剛寺班長、指揮を任せます。目的は逃亡の阻止。残存勢力を施設周辺に釘付けにしてください。相手は手練れです。気をつけてください。深追いは認めません」
『了解』
金剛寺は腕を組み、わざとらしく間を置いた。
『全員確保してしまっても、かまわんのでしょう?』
その声に、回線の向こうで介入班の何人かが笑った。
『任せてください、総裁』
『逃亡阻止ですよね。つまり逃がさなければいい』
『SAGの抽出班が来るまでの留守番にしては、ずいぶん豪華な相手です』
金剛寺班の隊員の軽口が聞こえてくる。緊張を紛らわせるためだろう。アルテミシアにもそれは分かった。
「……目的は逃亡阻止です。無理な制圧は認めません」
『承知しています』
金剛寺の声だけは、笑っていなかった。
『逃がしません。確保します』
「お願いします」
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S/VTOL輸送機はやや離れた小学校のグランドで待機することとし、介入班は装甲バンで地上から施設へと向かう。神山の手配か、要所でパトカーによる交通整理が行われ、現着は想定よりずっと早かった。
『フォーアイズの小型観測機、こちらで手動管制に切り替える。相手に気づかせるな』
現地へ展開した金剛寺班は、フォーアイズから切り離された四基のUAVを、半自律偵察から手動管制へ移した。先ほどまで降っていた雨はやみ、雲が月を隠すことで、施設へのアプローチは比較的容易な見通しだった。湿り気を含んだ夜風の中、黒い点のような機体が旧排水ポンプ施設の外周をなぞる。川沿いの作業道。搬入口。水門の上。古い鉄塔。そして湾へ抜ける暗渠の口。
映像はCICの画面へも映し出される。最初に問題となったのは敵兵の数だった。
――想定より多い。
熱源はUAVにより走査され、位置情報を赤い点として地図に重ねていく。ざっと確認できただけで三十人前後。建屋内、地下区画、水路側の未確認を含めれば、それ以上いると考えるのが自然だった。
さらに、桟橋の近くでは小型船へ小型コンテナを運び込む人員が映った。手順は慣れている。だが、その全員が落ち着いているわけではない。
作業灯の端に、場慣れしていない太った男がいた。足の置き場が定まらず、何度も周囲を見回している。その少し後ろで、神経質そうなスーツ姿の男が端末を握っていた。現場の作業員ではない。護衛でもない。だが、誰かに命じる側の顔をしている。
ナディアが映像を拡大する。
「梁瀬」
新華月警備の梁瀬警備部長だった。新華月警備への監査で、イルゼ・グラウの名に反応した男。真船へ連絡を流した男。真船の情報から自身に捜査の手が伸びることを危惧し、国外に飛ぶつもりだった。




