手が届かないことと、諦めることは違う
ミラージュへの返答から五時間が過ぎたが、労働局は片時も立ち止まってはいなかった。
レーヴェ公益保全財団の表向きの窓口からたどれる関係、真船から押収した資料、新華月警備の提出資料そして、橘がヴェルフラードで拾ったノルーディアセキュリティからもたらされた非公式の共有情報。
ヴァイス経由で得られた情報を分析したところ、ライブカメラのアドレスと消し損ねた断片的な座標が見つかった。
狭い部屋に押し込まれた子どもたちが写っている。しかし映像は複数のネットワーク上の踏み台を経由しており、正確な位置情報はつかめていない。
項主任技官はオルセア国内、それも沿岸部の都市圏までは絞った。だが、そこから先は候補が多すぎた。
CICの壁面には、カウントダウンが進んでいく様子が大きく表示されていた。
残り十二時間四十二分。
候補地はいくつか出たが、いずれも確証がなく、すべてに対応するには時間がない。郊外の一時保護施設。閉鎖された診療所。民間宿泊施設。福祉局の記録にだけ残る搬送待機先。だが、どれも決め手を欠いた。空振りすれば残り時間を失う。
アルテミシアは椅子に座らず、作戦卓の前に立っていた。疲労はある。苛立ちもある。それでも焦りを声に乗せてはいけない。
橘から届いた座標の断片は、子どもたちへ近づく手がかりだった。同時に、ミラージュが十八時間で何を逃がそうとしているのかを示す手がかりでもあった。
「選びましょう」
ナディアが言った。
「総裁。選ぶべきです。人質を探すのか、ミラージュの真意を探るか。両方を抱えればどちらも半端になり、時間切れになる」
若い技官が、反射的に画面の子どもたちを見た。
「ですが、人質は……」
「だからこそです」
ナディアの声は冷たく聞こえる。だが感情が入れば解決するというものではない。
「我々は万能ではありません。リソースが豊富な組織でもない。全部をこちらで対応すれば時間が尽きます」
項が椅子の背にもたれ、画面を見た。
「経路追跡もここまでですねぇ。これ以上は時間をかけなければ辿れませんな」
アルテミシアは、壁面の残り時間を見た。人命救助。重い言葉だ。だが、重いからといって、すべてを自分たちで抱え、こなさなければならないというわけではない。
救出作戦は警察の領分であり、重武装勢力が絡むなら基本はSAGとCTRUの領分になる。労働局がここで半端に抱え込めば、助けるべき子どもたちを危険にさらす。
「神山さんへ繋いでください」
回線が開く。数秒後、神山が正面モニターに映し出される。
『神山です。何かわかりましたか』
「人質につながる情報の断片を入手しました。ただ、私たちではリソースが足りません。そちらにお任せしても?」
『もちろんです』
「代わりに、我々はミラージュが手にした18時間という枠で何をするつもりなのかを探ります」
回線の向こうで短い沈黙があった。
『こちらでもパトロールを増やし不審な動きがないか探っているが、先日の戦闘によりどこも情報が錯綜している』
「そうですか……何か進展があれば共有をお願いします。こちらでも何かあれば連絡します」
神山は深く息を吐いた。
『もらった情報は情報調査室へ回します。こちらでは行方不明児童について当たってみます』
「お願いします」
ミラージュは人質を餌にして時間を買った。ならば、その時間で何をするつもりなのかを調べる必要がある。レーヴェのきれいな表を残したまま、裏側だけを畳んで逃げるのか。あるいは、何か他にも目的があるのか。
「労働局はレーヴェへの強制査察を行わないと約束しました」
アルテミシアは言った。
「ですが、十八時間、何もしないとは言っていません」
『まぁあなたならそう言うでしょうね』
「そうでしょうか?」
神山はそれには返事をしなかった。表情に呆れが見える。
『わかりました。人質側はこちらで引き受けます。そちらは、ミラージュの目的を洗ってください。粘り強さは美徳ですが、もっと早くに情報を渡してください。もしこちら側に問題があるとしてもです」
「承知しました」
通信が切れる。CICの空気が少し変わった。子どもたちの映像はまだ壁面に残っている。だが、それを見つめ続けることは今の労働局の仕事ではなかった。見つめるだけなら誰にでもできる。救うためには、何ができるのかを冷徹に考えなければならない状況だ。ナディアが端末へ指示を飛ばした。
「人質関連の照合項目は、神山管理官側へ引き渡し。十八時間で動かす必要があるものを洗ってください。人員、証拠、資金、機材、通信中継、逃走経路」
一同が動き出す。子どもたちを救うのが自分たちである必要はないのだ。そう言い聞かせ気持ちを抑えながら……
アルテミシアは眉間に寄った皺を親指で抑える。
――橘さんがいないだけでこんなに不安を感じるなんて……しっかりしなきゃ……
弱気になっている場合ではないと言い聞かせる。
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五時間が経過し、およそ残り時間は七時間を切っていた。その時、情報部の若い技官が迷いがちに手を上げた。
「グロモワ上席技官、少しよろしいでしょうか」
ナディアは端末から充血した目を上げる。
「どうしました」
「新華月警備の提出資料を突き合わせていたのですが……これ、気にするべきものなのか判断がつかなくて」
「正面に出してください」
CICのモニターには技官の端末画面が共有されている。旧排水ポンプ場。現在は通常運用を終了し、災害時の予備設備扱いとなっており、常駐している人員はおらず、施設としても重要度は低い。
一見、何でもない施設だったが、警備記録に気になる点があった。ナディアの目が細くなる。
「警備の設定ランクが妙に高いですね」
若い技官は、少しだけ安堵したようにうなずいた。
「はい。施設規模に対して過剰です。夜間巡回名義で二十名。支援機二機。通常なら遠隔監視か、二名巡回で足りるはずです」
「期間は」
「施設の閉鎖に伴い契約は終了しているはず……ですが、これを見てください」
若い技官は、国土運輸監督局の道路情報収集カメラの画像を表示した。




