手入れ
その後、労働局は神山管理官へ情報を引き渡した。
盤面はもう、労働局が監督権限と例外的介入でこじ開ける段階を過ぎていた。ここから先は刑法と警察組織の領域だった。
真船の供述と証拠を受け取った神山は、港湾管理局へ南桟橋の出港停止を通し、国家警察のSAGと、国防軍のCTRUによる統合作戦へ切り替えた。
SAGとCTRUは平時から統合作戦の訓練を行っている。港湾テロ、船舶占拠、重要施設への武装占拠、人質事件となれば、警察と軍の境界はすぐに曖昧になる。逮捕と証拠保全は警察の仕事であり、重武装勢力の制圧と高脅威区画の突破は軍の仕事になる。その隙間を埋めるための訓練だった。その訓練が、今回は実戦として使われた。
二機のS/VTOL機を用いた降下作戦により、SAGとCTRUは南桟橋に係留されていた外洋輸送船リュシオルへの臨検を強行した。船内では激しい銃撃戦が発生したが、両部隊は人質を解放し、抵抗勢力の制圧に成功した。第七倉庫の地下区画にも、別動の突入班が入った。そこは正式には冷蔵設備の保守区画だったが、実際には移送前の一時収容場所として使われていた。
国家警察は、労働局から引き渡された資料をもとに、調査の手を海辰通商ホールディングスへと伸ばしていった。SWAMPの身柄引き渡しも拍子抜けするほど早く終わった。
かくして人身売買スキームの大部分は白日の下にさらされることとなった。
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翌朝、神山は労働局本局に直接現れた。顔色が悪いのは、昨夜の負傷者対応を一晩引き受けていたからだろう。挨拶もそこそこに確認署名を終え、証拠目録を受け取り、アルテミシアに二、三小言を言うとともに小さくねぎらいと感謝を残した。
真船恭介も同じ手順で処理された。専門職犯罪関与規制法と犯罪収益移転防止法の二本立て。あとは国家警察の領分だった。真船の供述と資料提出による捜査協力の文言もきっちりと添える。
「神山さんは」
アルテミシアが問うと、ナディアは端末から目を離さずに答えた。
「さっきお帰りになりました。昨夜から仮眠なしだったみたいですよ。それでも書類が揃っていました」
「……そうですか」
アルテミシアは短く言い、何も続けなかった。
残ったのは資料の山だった。と言ってもデジタルデータではあるので物理的には何もない。バックドア経由で引き出した資料と、真船が口を開いた範囲の自供。精度は高い。真船の几帳面さと、万が一の際に取引の材料とするつもりだったのか、日付と名義と金額が揃った帳票類が予想より多かった。
港湾局の口座、表の顔である法人への支払い記録、後見人偽造の承認ルートの裏側まで含んでいた。量も精度に応じて多く、一件一件を丁寧に追うには労働局の人手が足りない。どちらにせよ正規ルートの資料ではないので、そのまま扱うには若干問題がある。ナディアは端末の前に陣取ったまま、その山と向き合っていた。
「SWAMPの全員の身元照会は」
「ヴェルフラード連邦共和国の憲兵隊に送りました。返信待ちです。橘さんがどの道、義体のメンテでクラウディア様のところへ向かわれるらしいので、その時に訪問予定です」
橘は会議室の隅に立ち、それを聞いていた。ナディアの声にごくわずかな引っかかりがある。ヴェルフラードは彼女の出身国だ。故郷の機関に頭を下げる照会は気持ちのよいものではないだろう。それについて、ナディアは何も言わなかった。
「資料の中に幾つか気掛かりがあります」
しばらくしてナディアが言い、手を止めた。
「後で確認する」
「ええ」
プーカからは、短い連絡が一件入っていた。内容は一行で、真船の端末を回収したとだけ。詳細はなかった。橘はそれを読み端末を閉じた。翌日、ヴェルフラードへ向かう便に乗る予定があった。
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ヴェルフラード連邦共和国の首都グラウシュタットは灰色だった。
灰色を中心にした石造りの建物が連なり、路面は常に霧により少し濡れている。寒々しいと見る者もいれば、幻想的だと言う者もいるだろう。
朝の柔らかな霧に散らされる陽光は、濃い影をつくらず、どこか絵画の世界に迷い込んだような印象を与える。
橘はそんな幽玄の道を歩いていた。
アルテミシアのいるオルセア連邦とは空気の色から違う。橘がこの街に来るのは三度目だが、慣れた気はしない。
クラウディアの研究所は旧市街の外縁に建つ低層のビルだった。表向きは聖女クラウディアの発案による様々な基礎研究機関だが、正確には聖女の工房と呼んだほうが近い。入り口に看板はなく、番地だけが石柱の側面に彫られている。橘はその前で立ち止まり、呼び出しをかけるかわりに内側からかかった鍵が外れる音を待った。
聖女クラウディア。アルテミシア同様に神に愛された女。壊れたものを直し、欠けたものを埋め、不完全なものを次の状態へ移すことに価値を見いだす聖女である。
――更新と補綴の神。端的に言えば、技術の神だろうか。
いや、少し違う。壊れたものを別の形に変えてでも続かせる神だ。そのために技術をも司る。
クラウディアは、かつて瀕死の重傷を負った橘を、今の身体へつなぎ止めた人物でもある。現在でも、世界中を探してなお、同水準の義体化技術は実用化されていない。
最高峰の技術者であり、医師であり、聖女である。
「またひどい使い方をしましたね」
クラウディアは橘の外套を受け取りながら、それだけ言った。挨拶でも咎めでもない。ただの観察だ。
小柄な女だった。白衣の下に着ているものは研究者というより技術職の印象で、目が細く、動作に無駄がない。鉄さびのような赤い瞳が美しい。華のある美しさというより、精密な装置や高価な機械式時計のような機能美に近い美しさだった。
聖女は総じて整った外見をしている。整っているから聖女なのか、聖女だから整っているのか。そこまで考えて、橘は益体もない思考を打ち切った。
「見ただけでわかるものか」
「それくらいわかりますよ。だれが作ったものだと?」




