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突入準備

――選びなさい。

――隔てなさい。

――守りなさい。

――滅ぼしなさい。


アルテミシアの指先が震える。


――さあ、進みなさい。愛娘よ。


神の声は、どこまでも優しかった。


――あなたの生きるきらめきを、私に示してくださいね。


アルテミシアは目を開けた。彼女の輪郭からは、うっすらと燐光のようなものが滲んでいた。

何かが変わったようには見えない。姿勢も、表情も、声も、いつものままだ。それでも、その碧い目だけが違っていた。普段ならそこにあるはずの揺らぎや温度が、薄い硝子の向こうへ退いている。無機質で、静かで、あまりにも澄んだ碧だった。

恩寵は与えられた。


本作戦に関わる労働局の者たちは、いつもより意思の疎通が滑らかになるだろう。恐怖は消えない。だが、恐怖に足を取られる時間が短くなる。進むべき方向を見失いにくくなる。勇猛果敢でありながら、判断は粗くならない。

敵対者に与えられるものは、もっと小さい。迷いが増える。照準が遅れる。指示の意味を飲み込むまでに、一拍かかる。たったそれだけだ。だが、コンマ数秒を争う急襲作戦では、それだけで十分だった。

そして、その分だけ、アルテミシアの内側では何かが削れていた。相手が少しだけ敵として。脅威が脅威として。排除すれば守れるという事実が、あまりにも自然に胸へ落ちてくる。いつもであれば等しく命として捉えているものが。


本当は彼女はそれを祈りとは呼びたくなかった。


「監督執行部長、強制介入班を即時展開。橘班長が指揮を」


通信担当が、はっとして端末へ向き直る。


「接続します」


---


橘伊吹は、すでに装備室にいた。黒い戦闘服。非殺傷弾用の短銃。拘束具。閃光音響弾。小型EMP。突入支援機の管制端末。だが、通常の介入装備だけでは足りない。


相手は自爆ベストを使う。訓練された元軍属(SWAMP)がいる。オフ・ザ・ブックス(簿外戦力)の戦闘要員がいる。本局直轄の強制介入班として即応できる武装兵力は、一個小隊程度に過ぎない。それに加えて作戦支援機が12機。すべてが戦闘用ではないのでさらに戦力は少ない。それでも、労働局がこの時間で出せる最大戦力だった。


「橘班長」


隊員の一人が言った。


ROE(交戦規定)は」

「いつも通り非殺傷用弾種だ。ただし実弾の所持許可は出ている」


橘は即答した。


「実弾の使用規定は爆発物起爆阻止と第三者保護のための緊急射撃は認める。足、肩、手。殺すなとは言わない」


隊員達はうなずいた。


「目的は」


「真船恭介を確保する。記録媒体を押さえる。証人がいれば保護する。オフ・ザ・ブックスは危険要員として扱う。ただし、可能なら生かしたい。自爆兵に関しては対処できれば足だが無理ならやむを得ない。実弾だ。その際はドアノッカーを盾にしろ」


橘はヘルメットを手に取った。その瞬間、耳の奥でかすかな音がした。実際には音ではないのだろう。総裁が祈ったのだろう。胸の奥で、冷えた金属のような冷たく硬い感覚が起こる。同時に、視界の端が妙に澄み、隊員の位置、息遣い、装備のすれる音、身体感覚、距離。全部が少しだけいつもよりクリアに感じる。恩寵は認識能力を向上させる。そして不要な迷いを削り落とす。


「総裁からです」


通信担当が言った。アルテミシアの声が入る。


「橘班長」

「聞こえています」

「真船恭介は、この事件の中核です。彼の身柄を押さえることが、もっとも確実な証拠保全になります」

「了解です」


「加えて、敵戦力は、すでにSAGに重大な損害を与えました。危険な戦闘員を放置することは、治安維持の一翼を担う局として看過できません」


「了解」


「SAGは負傷者多数。銃器犯罪対策課の部隊も、国防軍への応援要請も、おそらく間に合いません。彼らが国外に逃げるまで時間がない。現地情報を共有する協力者もいます。危険度は高い。ですが、介入班ならできると考えます」


短い間があった。


「橘班長。できますか?」


橘は、装備室の扉の向こうに並ぶ部下たちを見た。総裁の祈りは、まだ胸の奥で冷たく燃えている。できるかどうかではない。やるか、やらないかだ。


「できます」


声に迷いはなかった。


「目的は、対象確保、証拠保全、危険要員の無力化。制圧完遂に固執しないでください。国家警察の再展開まで逃がさないことを優先します」


「了解」


短い沈黙があった。


「橘さん」

「何でしょう」

「無理はしないで」


橘は、ほんのわずかに目を伏せた。


「任務を果たします」

「戻ってきてください」


今度は、命令だった。橘は息を吐いた。


「了解しました。必ず戻ります」


通信が切れる。橘はヘルメットをかぶった。


「聞いたな。誰も欠けるな。行くぞ」


装備室の外で、低い振動が床を震わせていた。介入班の虎の子、S/VTOL型輸送機が起動している。普段は突入支援機やEMP機材、ドアノッカーを現場近傍へ空輸するための機体だ。左右の大型リフトファンと後部推進器で短時間のホバリングと狭所着陸をこなす。

第一班はロープ降下で裏手の保守道路と地下連絡坑を押さえる。第二班は輸送機を屋上縁へ寄せ、展開タラップから一気に屋上へ乗り移り、通信アンテナと上階退避路を潰す計画となっている。

フォーアイズの小型偵察機は先行して情報収集を開始していた。ドアノッカーは両班にそれぞれ2体ずつ。グレムリン(電子戦機)は項主任の管制下で出撃待期中。プーカのドール(潜入用人型機)映像と労働局の指揮回線を同じ作戦図へ重ねる。橘はそれを見上げた。


フォーアイズの一機が、施設をなぞるように高度を落とした。次の瞬間、映像が大きくぶれ暗転した。


「フォーアイズ二番、通信ロスト」


項主任の声が低くなる。


「撃たれましたねぇ。サーマルかナイトビジョンがあったとしても、暗闇のUAVを撃ち落とすとは恐れ入りますなぁ」


ナディアが画面を睨む。


「アリーナ・ドゥビンスカか……」



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