組織犯罪対策基本法に基づく強制査察
新華月警備株式会社から戻った資料は、労働局本局の会議室でもう一度ばらばらにされた。壁面モニターに並んだ情報という名の点は、まだ一本の線とは言い切れないが、すべてがばらばらの点ではなかった。
福祉局員の自白、違法取引の集積施設での証拠、亡国の軍属崩れ、国家警察側からの情報、新華月警備でのやり取り、梁瀬の真船への連絡……みな向きは同じだった。
人身売買を含めた違法な取引ルートは存在しており、それのきれいな面を整えているのが真船弁護士であろう。アルテミシアは、机の上に置かれた報告書を指先で押さえた。
「神山さんへ共有してください」
法務部長が顔を上げる。
「やはり鍵となるのは真船法務事務所ですか」
「はい」
アルテミシアはうなずいた。
「弁護士事務所への強制捜査は労働局が前に出るべきではありません。令状の手続き、証拠の取り扱い、いずれも警察や検察の領域です」
アルテミシアはモニターを見た。真船法務事務所の外観写真。都心から少し離れたビジネス街の一角にある、白く細いビル。古い建物ではない。硝子と白い外壁で、いかにも清潔な法務事務所に見える。
「相手は弁護士です。ここを間違えれば、真船だけでなく、こちらの事件構造そのものがもみ消される恐れがあります」
「特定職犯罪関与防止法と犯罪収益移転防止法の二本線で?」
「ええ」
「弁護士として犯罪を幇助していますし、報酬や委託費の形で資金洗浄に協力した形跡もあります。この二つを重ね、真船さんを現場での実行犯としてではなく、人身売買のネットワークの中核として押さえなければなりません」
ナディアが腕を組んだまま、画面の端を見ていた。
「神山管理官なら嫌な顔をしそうですね」
「嫌な顔はするでしょうね」
アルテミシアは少しだけ笑った。
「でも、受けてくれます」
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神山純からの返信は二十分後に来た。文面は短い。
――資料は受領した。
――令状請求に入る。
――特殊作戦司令部に作戦立案をさせている。
――以降はこちらで対応する。
最後の一文だけ、神山らしい。アルテミシアはその文面を読み返信を入れた。
――承知しました。
――必要な追加照会があれば即時対応します。
送信してから、彼女は椅子の背にわずかに体を預けた。会議室の空気は重い。誰も勝った顔をしていない。真船法務事務所への線はつながった。だが、繋がったということは、向こうもその線を切りに来ることが予想できる。
「グロモワ技官」
「はい」
「梁瀬警備部長から真船へ流れた連絡はその後どうなってますか」
「バックドアから保守会社の中継サーバーを監視しています。項主任が、痕跡を消される前に可能な限り情報を収集中です」
「真船さん本人の動きは」
「今のところ、表向きは通常業務です。事務所の端末は営業中。受付回線も生きています。ただし、妙に静かです。外部の問い合わせ応答だけはしていますが、人がいる建物の静けさではありません」
アルテミシアは視線を落とす。
「すでに空か……もしくは店を畳む準備をし、待ち構えているか」
「何事もないといいのですが」
ナディアは全くきたした様子もなくこぼした。
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国家警察のSAGの展開は早かった。
令状が下り、近隣区画の交通が静かに制限され、白い法務事務所の周辺から人の流れが薄くなる。正面から入る班と、裏口を押さえる班。上階へ取りつく班。SWAMPのような軍属崩れがいることが懸念されるため、念のため爆発物処理班が待機している。
労働局本局の作戦室には、神山から限定的に共有された映像が入っていた。警察側の主導であり、今回は労働局は見ているだけである。でも本来はそれが正しい。これは警察の管轄だ。アルテミシアはそう理解していた。
『突入三十秒前』
神山の声が回線に入る。いつもよりその声は硬い。画面の中で、SAGのポイントマンが事務所の扉に近づく。白い扉。真鍮色の小さな銘板。事務所の名前の入ったプレート。
何も知らなければ、そこは街の中にあるただの法務事務所だった。遺産、契約、法人の顧問業務、企業の法務相談。そうしたものを扱っている清潔な箱。
『令状執行』
警察官の声が聞こえた。
『国家警察です。扉を開けなさい。組織犯罪対策基本法に基づく強制査察だ」
返事はない。
『開錠』
鍵はかかっていない。短い金属音。扉を開け隊員は素早く侵入する。その奥は暗く受付は無人だった。照明は落とされ、待合室の白い椅子だけが、薄い非常灯の下で並んでいる。
『クリア』
先頭が入る。二人目が続く。三人目が受付カウンターの影へ視線を振った時、映像が白く飛んだ。音は遅れて来た。破裂音。硝子の砕ける音。誰かの怒鳴り声。
『コンタクト!』
『左奥にいるぞ!』
『フラッシュバン!』
白く飛んだ映像が戻った時、待合室の奥の扉が開いていた。そこから複数の火線が走る。SAGの盾に弾が当たり、硬い音が連続した。
待合室の奥までSAGが押し込むも、相手は即席のバリケードを構築して待ち構えていた。三脚に据えられた軽機関銃《LMG》が断続的に制圧射を加える。
『こいつらLMGまでもってやがるのか!』
『くそ、ボディアーマーが抜かれるぞ下がれ!ドアノッカーを前に出せ!』
神山の声が重なる。
『なんだこれは』
アルテミシアは画面を見ていた。法務事務所ではない。そこは、法務事務所の形をした陣地だった。受付の背後の壁、相談室へ続く廊下、複数の場所で簡易的なバリケードを構築しており、どこも最初から戦闘を想定している。逃げるためではない。時間を稼ぐための構造だ。
「おそらくオフ・ザ・ブックスですね」
ナディアが低く言った。
「人身売買で売られ、薬物で自我を抑えられた使い捨ての兵士。戸籍にも照会情報にもまともな記録がない。存在するのに、制度上はいないことになっている」
そこまで言って、ナディアは一度だけ息を止めた。




