地獄へのラスト・オーダー(超高層ビルの崩落)
ジリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!!
上海の外灘にそびえ立つ超高層ビルの最上階。割れた全面ガラス窓の向こうから、激しい雨風が咆哮を上げて室内に吹き荒れていた。
足元にある玲那のスマートフォン。その液晶画面で冷酷に明滅していた遠隔心中タイマーのデジタル数字が、ついに非情なゼロを刻んだ。
午後二十二時ちょうど。
世界の果てに用意された最終段階のチェス盤が、最悪の業火と共に一気にひっくり返った。
ドゴォォォォォン!!! 耳を聾するほどの、天地を揺るがす大爆発が、俺たちの真下にある中央制御室から一気に炸裂した。
二百五十メートルの空中庭園を支えていた鉄骨が、凄まじい金属の断末魔を上げて捻じ曲がり、コンクリートの床が大きな奈落となってガラガラと音を立てて崩落していく。炎の壁が瞬く間に渦を巻き、周囲に残されていたすべての証拠と死体、そして神楽坂グループの真の黒幕たちの野望を、容赦ない烈火の中に飲み込んでいった。 俺は、床を舐めるように押し寄せてくる猛火の嵐の真ん中で、膝を突いたまま、胸の中で大粒の涙を流して泣きじゃくる玲那の細い身体を、これまでの全人生のすべてを込めて強く、強く抱きしめ続けていた。
「おじさん……、熱いよ……。わたし、怖い……。おじさんを巻き込んで、こんな地獄まで連れてきちゃって、本当にごめんなさい……っ」
彼女の細い指先が、俺の泥まみれのマウンテンパーカーの胸元を、引きちぎらんばかりの力でギュッと掴んでいた。
それは、怪物に脳を乗っ取られながらも、ごく稀にスタバのモバイルオーダーの死角を突いて、俺の古い端末に『私を殺して止めて』
『みんなに迷惑をかけてごめんなさい』と、悲痛なヘルプメッセージを送り続けていた、あの優しくて、狂おしいほどに切ない「本当の玲那」の、最後の温もりそのものだった。
「もういいんだ、玲那。……我慢しろ。これが、俺たちの、最後のラスト・オーダーだ」
俺は、血混じりの笑みを浮かべ、彼女の白い額にそっと自分の額を重ね合わせた。
長久手と稲沢で千影に叩き割られた右脇腹の傷口からは、すでに感覚が消え失せていた。強くない俺の肉体は、とっくに引き裂かれ、血を流し尽くして死を待つだけの器に過ぎない。
だが、その絶望の淵にあっても、俺の胸の中を満たしていたのは、かつてないほどの圧倒的な安堵感と、狂おしいほどの「深愛」のカタルシスだった。
あの子がどれほど恐ろしい怪物の仮面を被って世界を呪おうとも、俺はあの雨の名駅の時計台の下で彼女と交わした約束を、裏切ることだけはしなかった。
彼女の本当の涙を、本当の謝罪を、その歪みきった魂のすべてを抱きしめて、一緒に地獄の底まで落ちてやる。この燃え盛る炎に包まれた逃し屋の腕の中だけが、世界で唯一の、俺たち二人のための完璧なサードプレイス(日常)だったんだ。
メリメリと音を立てて、頭上の巨大な天井のコンクリート塊が、激しい火花を散らしながら俺たちの真上へと崩れ落ちてくるのが見えた。
玲那は、俺の胸にその童顔の顔を深く埋め、最期の瞬間に、世界のどこのスタバの照明よりも、優しくて、温かい笑みを浮かべたような気がした。
「……おじさん、コーヒー、苦いよ……」
「……ああ、我慢しろ。……ワンモアのおかわりは、もう、必要ないさ」
視界のすべてが、純白の熱量と、真っ赤な業火の嵐の中に掻き消されていく。
地上二百五十メートルの地獄が、爆音と共に夜の上海の空へと霧散していくなか、探偵と怪物の、命を賭けた終わりのない逃亡劇の幕は、最悪で、最高にビターな、冷めきったブラックコーヒーの味を残して、永遠にその幕を閉じた。




