猟犬の断罪(突きつけられた銃口)
「そこを動くな、神楽坂の化け物ッ!」
千影の咆哮が、血の匂いの立ち込める役員室に激しく響き渡った。彼は猛烈な踏み込みで間合いを詰めると、手にした自動拳銃の冷たい銃口を、玲那の額へ向けて水平に突き付けた。引き金にかけられた彼の指は、怒りと焦燥で微かに震えている。
部屋の隅では、メイリンが塞いだ鉄製キャビネットの向こうから、マフィアの残党たちが放つ銃撃の激しい金属音がガツン、ガツンと鈍く反響していた。天井の赤色灯が狂ったように回転し、ガラス窓の向こうの上海の夜景を禍々しく染め上げている。
玲那のスマホが刻む爆破カウントダウンは、すでに残り『十分』を切っていた。
「左神、どけ! その女はもう、生かしておいちゃいけない化け物だ! 妹の居場所を吐かせたら、俺のこの手で地獄へ葬ってやる!」
「千影、銃を引け。……撃たせるわけにはいかない」 俺は、激痛でちぎれそうになる右脇腹を左手で押さえながら、ふらつく足取りで玲那の正面へと割り込んだ。強くない俺の身体は、とっくに限界を迎えている。それでも、俺の肉体は考えるよりも先に、彼女を千影の弾丸から守るための頑丈な「盾」として機能していた。
「あはは! おじさん、本当に最高」 俺の背後で、玲那の表層にある冷酷な怪物の人格が、愉悦に満ちたあどけない声を響かせた。
「お兄さん、無駄だよ。おじさんはね、私がどれだけ人を殺しても、どれだけおじさんの人生を絶望で汚しても、最後まで私と一緒に地獄へ落ちてくれるって決めてるの。だって、おじさんは世界で唯一、私の『殺意』を完璧に受け止めてくれる、最高のサードプレイス(居場所)なんだから」
玲那の瞳の奥で、すべての情愛を嘲笑する暗黒の光が、爛々と輝いている。
だが、俺は背後の彼女を振り返ることなく、ただ千影の銃口を真っ直ぐに見据え、懐から一通の、くたびれた血染めの領収書を取り出した。
「千影。……お前が本当に撃ち抜くべきなのは、目の前にいるこの小さな悪魔じゃない」
俺の声は、激しい息切れのせいで掠れていたが、その場にいる全員の鼓膜へ確かに届いた。
「……何だと?」
千影の眉間の皺が、さらに深く刻まれる。
「お前は、この子が自分の手で妹を殺して黄浦江に沈めたと、その言葉を本気で信じた。なぜなら、目の前にいる『怪物』自身が、自分の脳の記憶を完璧に書き換えて、そう思い込んでいるからだ。だがな、千影。……あの子の防壁の奥底には、もう一つの人格が眠っているんだよ。三年前のあの雨の夜、世界のすべてに絶望して、俺の胸に顔を埋めて泣いた『本物の玲那』の、最後の良心がな」
俺の言葉に、背後の玲那の身体が、ピタリと硬直したのが分かった。
「お前という怪物が、先代社長への復讐のために殺戮を繰り返す裏で、深層のあの子は、自分がどうしても捨てきれなかった『家族愛』の権化として、お前に悟られないように千影の妹を逃がし、安全な場所へと匿っていたんだ。大須や金山でお前たちに提示された、あのスタバのシリアルコード『1・5・2』。
それは、お前にとっては冷酷な処刑のレシピでも、あの子にとっては、妹が今も生きているシェルターの、本当の生存のチェックインコードなんだよ!」
「左神……、お前、何を言っている……!」
千影の銃口が、初めて大きく揺らいだ。
彼の瞳に、絶望から一転して、信じられないという激しい動揺が走り抜ける。
「嘘よ……。私が、あの子を殺したのよ! 私が、パパを汚した組織の連中を全員地獄へ送るために、最初のトッピングとして沈めたのよ!」
背後で、玲那が頭を抱えて激しく叫んだ。彼女の冷酷だった怪物のアカウント(人格)が、俺の暴いた真実の光によって、内側からバチバチと激しいノイズを立てて崩壊し始めていた。
残り時間、七分。
二百五十メートルの硝煙のなかで、探偵の命懸けの「お節介」が、怪物の引き裂かれた仮面の奥に眠る、本当の少女の心を呼び覚まそうとしていた。




