表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日、スタバで消えた君を、俺は今もベンティサイズの孤独の中で待っている  作者: ルツ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/66

二百五十メートルの硝煙

 午後二十一時四十五分。 

上海の歴史を象徴する外灘バンドの街並みを、冷たい夜雨が激しく濡らしていた。

アール・デコ様式の近代建築が並ぶ川沿いから一歩奥へ入った場所。

そこにそびえ立つ、ガラスと鉄骨で組み上げられた地上二百五十メートルの超高層ビルは、すでに神楽坂グループの真の首謀者たちと現地のマフィアが結託した、巨大な要塞と化していた。 

ビルの最上階へと直通するシースルーエレベーターの中、俺は折れた肋骨を抑え、冷え切った身体を金属の壁に預けていた。

一階上がるごとに、長久手と稲沢で負った脇腹の傷口から熱い鮮血がじわりと滲み、マウンテンパーカーを黒く染めていく。

「ハァ……、ハァ……、千影、銃の残弾は」

「十分だ。……左神、お前の言った言葉、まだ信じたわけではないぞ」 

隣に立つ千影ちかげは、強奪した自動拳銃のボルトを冷酷に引き、その切れ長の目を焦燥と青白い怒りでギラつかせていた。

大須のスタバ、そして金山での対峙を経て、完全に心を折られたはずの猟犬は、「妹は生きている」という俺の言葉だけを最後の蜘蛛の糸として、再び地獄の底から這い上がってきたのだ。 

あの子の表層にいる冷酷な怪物サイコパスは、自分が千影の妹を殺して黄浦江に沈めたと本気で思い込んでいる。だが、彼女の防壁の奥底に眠る、三年前のあの雨の夜に俺の胸に顔を埋めた『本当の玲那』の最後の良心は、自分が捨てきれなかった「家族愛」の権化として、怪物に悟られないように妹を逃がし、安全なシェルターに匿っていた。 

大須で提示された、スタバのシリアルコードを模したあの暗号『1・5・2』。それは、怪物にとっては冷酷な処刑のレシピでも、深層の彼女にとっては、千影の妹が今も生きているシェルターの、本当の生存のチェックインコードだったのだ。 

俺は、そのすべての真実を、彼女の多重人格の悲しい歪みを理解していた。だからこそ、彼女のまとう狂気のすべてを最期の一滴まで愛し、付き合う覚悟を決めていた。それが、左神豊という男の、生涯で唯一の深愛の証明だった。 

チン、という無機質な電子音が鳴り、エレベーターのドアが左右に開いた。

 目の前に広がったのは、全面ガラス張りの広大な社長役員室。床には、すでに玲那が遠隔でジャミングし、殺し合わせるために呼び寄せたマフィアの戦闘員たちと、神楽坂グループの残党たちの何体もの死体が転がり、濃厚な硝煙と血の匂いが部屋を支配していた。

「――待ってたよ、おじさん。二十二時のチェックインまで、あと十五分だよ」 

部屋の最奥、雨の上海の夜景をバックにして、白いワンピースを纏った玲那が、淹れたてのコーヒーの香りを愉しむように静かに伫んでいた。彼女の左手にあるスマホの画面には、ビルの全基幹システムを同期させた爆破カウントダウンの数字が、残り『十五分』を示して冷酷に明滅している。

「豊のおじさん、遅いアル! 階段から大量の黒スーツが追いかけてきて、もうスタバのゴミ箱じゃ足りないネ!!」 

その時、エレベーターのバックヤードの非常扉を強引に蹴り破って、お団子頭シニヨンを激しく揺らしたメイリンが飛び出してきた。彼女は「殺しはしない」という自らの不殺の信条を完璧に守りながらも、その桁外れの怪力で、オフィスの鉄製の大型キャビネットを素手で引きずり、追ってきたマフィアの戦闘員たちの行く手を物理的に塞いで見せたのだ。

「メイリン、よくやった。……さあ、始めようか、お嬢ちゃん。俺たちの、最後のラスト・オーダーだ」

 俺は、ポケットの奥で冷めきったスタバのブラックコーヒーの空の紙コップを握り締め、真っ赤な警告灯が明滅し始めた地上二百五十メートルのチェス盤の上へ、ゆっくりと足を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ