巨大な真鍮のロースター(ロースタリー上海への侵入)
南京西路の喧騒を背に、メイリンが重厚なガラスの自動ドアを押し開けた瞬間、俺たちの全身は、日本のどこのスタバとも違う圧倒的な熱量と、めまいを覚えるほどの濃密な珈琲の香りに包み込まれた。
『スターバックス リザーブ ロースタリー上海』。
二階建て、約二千七百平方メートルという、一軒の巨大な未来工場をそのままカフェに反転させたかのような超弩級の大空間だ。店の中央には、二階の天井までそびえ立つ、精緻な中国の伝統彫刻が施された巨大な真鍮製の焙煎機が鎮座し、ゴウン、ゴウンと重重しい機械音を響かせながら、排気ダクトを熱く震わせている。天井を縦横無尽に這う何本もの銅製パイプの中を、世界中から集められた生のコーヒー豆が、まるで弾丸のような速度でシャラシャラと音を立てて頭上を飛び交っていた。
「……何だ、ここは。本当にただの喫茶店なのか」
黒い防水コートのフードを深く被った千影が、衣服の下に隠した特殊警棒の手元を硬く握り締めながら、周囲の尋常ではないスケール感に鋭い目を走らせた。現地のセレブや各国の観光客、何百人もの人間が入り乱れる喧騒の中、カウンターには何十人もの現役のプロのバリスタたちが並び、さながら巨大なサードプレイスの軍隊のように手際よくサイフォンやエスプレッソマシンを操っている。「驚くのは早いアル、目つきの悪いお兄さんネ!」
メイリンは山積みにしたスタバ特製の高級スコーンの最後の一片を口に放り込み、特大のフラペチーノのストローをズズッと豪快に鳴らした。
「ここは世界で一番大きくて、一番危険なスタバネ。現地のチャイニーズ・マフィアのボスたちも、みんなここで『裏の注文』の取引をしてるアル。……豊のおじさん、あの気味の悪い童顔の女――レナは、二階のテラス席の特別フロアにいるネ。パパの兵隊(SP)を何人も後ろに並べて、まるでお姫様みたいにふんぞり返ってるアル」
「……案内を頼む、メイリン」
俺はマウンテンパーカーのポケットの中で、冷え切った両拳を固く握り締めた。
歩を進めるたびに、稲沢の線路際で千影に叩き割られた右脇腹の肋骨が、鋭い刃物のように肺を抉り、口の奥からじわりと熱い血の味がせり上がってくる。強くない俺の身体はとっくに限界を超えていた。だが、そんな満身創痍の絶望すらも、俺の胸の中の「深愛」をさらに狂おしく加速させるための燃料に過ぎなかった。
あの子が、自分の人生を絶望で汚して笑う本物の怪物だということは分かっている。それでも俺は、三年前のあの雨の夜、名駅の時計台の下で交わした約束を、世界の果てまで連れていくと決めたんだ。お前が望む心中という名のシナリオを、完璧に『逃がし切る』ための器に、この俺がなってやる。
俺たちはメイリンの先導に従い、真鍮のロースターの脇をすり抜け、二階へと続く大理石の階段を静かに上り始めた。
頭上を流れる珈琲豆の乾いた音が、まるで運命の秒針のように、激しく、そして冷酷に鳴り響いていた。




