ベンティサイズの孤独(納屋橋対決)
夜十時。納屋橋の袂は、雨を吸った夜霧に包まれていた。 かつての堀川は「死の川」と呼ばれたこともあったが、今は再開発が進み、川沿いに遊歩道が整備されている。
だが、この雨の夜にわざわざそんな場所を歩く奇特な奴は、俺と、あともう一人しかいないらしい。
テラスの影から、一人の男が姿を現した。
先ほどの黒い傘の男ではない。
もっと若く、鋭利なナイフのような空気を纏った男だ。「……左神豊か。あの女はここにはいないぜ」
男はスタバのロゴが入ったペーパーカップを、川の流れに投げ捨てた。
その目は、憎しみよりも、深い疲弊の色に染まっている。「お前も、玲奈を追っている刺客か」「刺客? そんな高尚なもんじゃない。
俺は『あいつら』に雇われた、ただの猟犬だ。だがな、左神……。俺ももう、この追いかけっこには飽き飽きしてるんだよ」 男がコートの懐から、一通の写真を差し出した。
雨に濡れたその写真に写っているのは、数年前の玲奈。そして、その背後に小さく、見慣れない『スタバの店舗』が写り込んでいた。
「俺は半年、この街のスタバを一軒ずつ潰して回った。だが、どこにもいない。あいつが消えたのは、あんたのせいじゃないのか? あんたが隠してるんじゃないのか!」
男が叫びと共に、腰のホルダーから特殊警棒を引き抜いた。 先程の男たちとは動きの次元が違う。
速い。
俺の鈍った反射神経では、初撃を避けるのが精一杯だった。
「待て! 俺もあいつを探してるんだ!」「嘘をつけ! あんたは『あいつ』に愛された警護員だろうが!」
男の言葉に、俺の動きが止まった。 その隙を逃さず、警棒が俺の脇腹を抉る。「がはっ……!」 膝を突き、冷たい石畳を這う俺の視界に、再び赤いレインコートの影が飛び込んできた。
「おじさん、下がって!」 凛の鋭い一撃が、男の警棒を弾き飛ばす。
だが、男は倒れなかった。
凛の蹴りを見切り、紙一重で後退する。
「……空手か。面白い。だが、俺は遊びで探してるんじゃないんだ。
妹が、彼女のせいで『組織』に消されたんだよ!」
男の独白に、俺は痛みを堪えて立ち上がった。
敵だと思っていた男。だが、彼もまた、玲奈を鍵として「奪われた何か」を取り戻そうとしている、俺と同じ泥水の味を知る人間だった。
「……待て、凛。こいつは、ただの敵じゃない」
俺は懐から、先ほどの「カフェミスト」のスリーブを取り出した。
「お前、この注文の意味が分かるか? 『カフェミスト、キャラメルソース抜き』だ」
男の動きが止まる。「……入ってもいないものを抜け? 彼女の得意な、最低のジョークだな。
それは『誰も信じるな』っていう彼女の合図だ」
俺と男の間に、奇妙な沈黙が流れた。
雨に打たれながら、俺たちは同じ「幻」を追っていることを悟った。




