ホイップの轟音(愛知機関区の死線・後編)
「そこまでだ、左神! 動けば今度こそその頭を消し飛ばす!」
千影の咆哮に呼応するように、神楽坂グループの掃除屋たちが自動小銃の銃口を一斉に俺の眉間へと突きつけてきた。
激しい豪雨が彼らの漆黒の黒スーツを濡らし、滴る水滴がバラストの上で血のように跳ねる。
千影の瞳は、妹を奪われた焦燥で完全に血走っていた。彼の持つ特殊警棒が、雨を切り裂いて俺の喉元へ突きつけられる。
「……おい、神楽坂の化け物。お前が握っているセーフティコードの『残り』を今ここで吐け。言わなければ、左神豊の目の前でお前の五体をバラバラに解体してやる」
俺の背後で、メンズジャケットのフードを深く被ったレナ――玲那が、小さく肩を震わせて怯えるような仕草を見せた。
「おじさん、怖い……助けて」
震える声。涙に濡れたように見える無垢な瞳。だが、俺の脇腹にしがみつく彼女の細い指先は、驚くほど冷静に、俺の肌をトントンと規則的に叩いていた。それは、3年前に彼女が残した、あのスタバのチェックインシグナルと同じリズム。(――おじさん、早く。早く次の『オーダー』を通して)
「千影、待て……!」
俺は痛む脇腹を片手で押さえながら、血混じりの唾液をバラストの上に吐き捨てた。
「そのコンテナを開けてみろ。お前が探している『答え』は、あの日彼女がすべてそこに隠したはずだ」
俺が顎で示したのは、背後にある巨大な、赤錆びた鉄扉を持つ大型貨物コンテナ――『171番コンテナ』だった。
千影は一瞬だけ躊躇したが、妹の命を救いたいという狂気じみた執念が、彼の肉体を動かした。彼はSPたちに銃口を崩させぬよう命じながら、自らコンテナの重厚なレバーを掴み、力任せに引き絞った。
キィィィィッ! という、錆びついた金属が擦れ合う悍ましい悲鳴が、雨音を切り裂いて操車場に響き渡る。
千影が、そして自動小銃を構えたプロの掃除屋たちが、一斉にそのコンテナの内部へとライトの光を照射した。
「……何だと?」
千影の動きが、完全に凍りついた。
ライトの強烈な白光が照らし出したコンテナの内部。 そこには、上海行きのパスポートも、数日分の水も、そして身代わりの少女の影も、ただの一片すら存在していなかった。
暗いスチールの床の真ん中にぽつんと残されていたのは――俺がさっきまで着ていた、ボロボロに切り裂かれたトレンチコートの切れ端と、空になったスタバの紙コップだけだった。
「嵌められた……!?」
千影が信じられないものを見る目で俺を振り返った、まさにその瞬間だった。
ファァァァァァァァァァァァァン!!! 地鳴りのような、凄まじい音量の発車ホイップ音(汽笛)が、愛知機関区の敷地全体に轟き渡った。
それと同時に、周囲に並んでいた数十台の電気機関車(桃太郎)のヘッドライトが一斉にハイビームで点灯し、テラス席の照明のように、千影たち掃除屋の視界を真っ白に焼き尽くした。
「目が! 目が開かん!」
「何だ、何が起きた!」
盲目となったSPたちがパニックに陥り、銃口を四方に乱射し始める。
これこそが、俺が事前にこの機関区のベテラン夜勤整備士たちに仕込んでおいた、【第1の時間差ダミートリック】の正体だった。
警察の捜査本部で、桐生冴子が「ユタカの車を追え」とわざと曖昧な無線命令を下したことで、警察の主力は西側に分散していた。
しかし、残った本物のプロ(千影たち)をこの東の貨物駅に呼び寄せ、一箇所に閉じ込めて時間を稼ぐ。
それが俺のチェス盤の最初のハメ手だった。
「おじさん、今のうちに! こっちだよ!」
光の洪水の中、凛が男の一人の銃身を完璧な上段突きで弾き飛ばし、俺の手を強く引っ張った。
「行くぞ、レナ!」
俺は、フードの奥で「あはは、おじさんすごいや!」とサイコホラー的な狂気の笑みを浮かべる玲那の手首を掴み、光と煙の渦巻くコンテナの迷宮から走り出した。 背後からは、騙されたことに気づいて狂乱の声を上げる千影の叫びが、豪雨の中に遠ざかっていく。
この時、ようやく理解し始めていた。
探偵が命をかけて守ろうとした『171番コンテナ』は、この東の巨大な車両基地には、最初から存在していなかったという不気味な真実に。




