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あの日、スタバで消えた君を、俺は今もベンティサイズの孤独の中で待っている  作者: ルツ


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金山(カナヤマ)のターミナル・トラップ

 大須の迷宮を抜けた灰色の軽自動車は、激しさを増す雨の中、江川線をひたすら南へと下っていた。フロントガラスを叩く大粒の雨が、名駅の夜空を焦がした大爆発の残滓を洗い流すかのように、激しいドラムの音を車内に響かせている。 車内の空気は、言葉通り完全に凍りついていた。 ハンドルを握る俺の斜め後ろ、後部座席にはフルコンタクト空手の意地で監禁をぶち破ってきた凛が、破れた制服の袖から覗く生々しい擦り傷に、無造作に包帯を巻きながらじっと助手席を見つめている。 そしてその助手席には、メンズのナイロンジャケットのフードを深く被った玲那が、手に入れたばかりの「本物の偽造パスポート」を、まるで宝物でも弄ぶかのように白く細い指先で何度もなぞっていた。

「ねえ、おじさん。明日の金山、名鉄の特急に乗れば、もうすぐ海が見えるんだよね。セントレアから、私は本当に『いなくなれる』のかな」 

玲那が、あどけない少年のように澄んだ瞳で俺を覗き込んできた。

その首元には、先ほど大須の路地裏で千影が突きつけた特殊警棒の、冷たい金属の擦過痕が赤く残っている。「……お前が望んだことだ。俺は『逃がし屋』の仕事を全うするだけだ」 

俺はバックミラーに視線を走らせた。

俺たちの車の斜め後方、ヘッドライトの光を激しく明滅させながら、一台の黒いスポーツセダンがピタリと追走してきている。千影だ。  

大須のラストで玲那が提示した、次のモバイルオーダーのシリアルコード。『1・5・2』。

それは、千影が血眼になって探している、組織に消された妹の居場所を示す地下秘密監禁室のセーフティコードだった。 

千影は今、妹の命を人質に取られ、玲那という怪物の掌の上で完全に狂いかけている。

かつて冷徹な猟鬼だった男が、今はただの飢えた狼のように、殺気と焦燥を撒き散らしながら俺たちの背中を睨みつけていた。

「おじさん、本当にその女の子を連れていくの?」 

後部座席から、凛の低く、鋭い声が俺の鼓膜を刺した。「この子は、おじさんを猟奇殺人犯にして、名駅のビルを爆破して、今度は千影さんのお妹さんの命まで弄んでるんだよ。おじさんが守ろうとした先代社長の『娘』なんて、最初からどこにもいない。そこにいるのは、全部を壊して笑ってる悪魔だよ」 

凛の言葉は、正論だった。フルコンタクト空手の世界で生きてきた彼女の真っ直ぐな正義感が、この泥濘のようなノワールの真実を容赦なく暴き立てる。

 だが、俺はハンドルを強く握り締め、熱さで痺れた舌を動かした。

「分かっているさ、凛。……だがな、俺は三年前、あの雨の時計台の下で、玲那と約束したんだ。

何が起きても、あいつを、あいつが遺したものを、この街から安全に逃がすと」 

たとえ、その手を引いた結果、俺自身の首に国家反逆の縄がかかるとしても、俺はあの温かいコーヒーの苦みを、彼女が最初に見せた「生きたい」という本当の涙を、裏切ることだけはできない。

それが、時代遅れの探偵の、最悪で唯一の矜持だった。「おじさんのバカ。……本当に、大馬鹿野郎だよ」

 凛は深くため息を吐き、窓の外、激しく流れる金山の高層ビル群の灯りを見つめた。

彼女はおじさんの「人情バカ」な性質に呆れ果てながらも、それでも俺を一人で地獄へ行かせまいと、その拳を強く固めていた。 

午前十一時。

車は、JR、名鉄、地下鉄が複雑に交差する名古屋の南の巨大なハブ駅、金山総合駅の南口ロータリーへと滑り込んだ。 

通勤客や学生たちが、雨傘の波を作って駅舎へと吸い込まれていく。

その平和な日常のど真ん中、駅前にある『スターバックスコーヒー金山駅南口店』のテラス席。

  玲那の指定した「十五時」のチェックインまで、あと四時間。 妹を人質に取られた千影の執念、おじさんを救いたい凛の正義、そして全てをチェス盤の駒として弄ぶ玲那の狂気が、この巨大なターミナル駅で、最悪のトリガーを引こうとしていた。

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