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あの日、スタバで消えた君を、俺は今もベンティサイズの孤独の中で待っている  作者: ルツ


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地上二百メートルのチェス盤

 名古屋の街を覆う湿った夜気を切り裂いて、栄の路地裏にあるコインパーキングに、灰色の軽自動車が滑り込んだ。看板のネオンが、雨に濡れたフロントガラスに反射して、赤や青の斑らな模様を車内に落としている。 エンジンの回転が止まると、激しい耳鳴りのような静寂が、一瞬にして俺たちを包み込んだ。「……ここまでだ、凛」 俺はシートベルトを外し、後部座席を振り返った。そこには、額の傷を俺の汚れたハンカチで押さえ、満身創痍の身体をシートに預けている姪の姿があった。「おじさん、何を言ってるの? わたしも行く。あの女の子がやろうとしてることを、このまま放っておくわけには――」「お前の仕事は、俺を無事に港から連れ戻すことだったはずだ。それはもう終わった。ここから先は、俺の仕事だ」 俺はドアを開け、外の冷たい雨の中に片足を踏み出した。そして、振り返らずに告げる。「お前はここで名鉄の終電を待て。……これ以上、凛の空手着をクリーニングに出す金は、俺の口座には残ってないんでね」 ガチャン、とドアを閉め、外側から臨時のセキュリティロックをかける。内側からは開かない。凛が「おじさん!」と窓を激しく叩く拳の音が、雨音に混ざって遠ざかっていくのを感じながら、俺はトレンチコートの襟を立てた。  これが、俺にできる唯一の親代わりとしての、不器用な『お節介』の終着点だった。 パーキングのコンクリートの壁の影から、一人の男が足音もなく姿を現した。 

全身から雨水と、地下倉庫で浴びたであろう火薬の匂いを漂わせた男――千影だ。

彼の持つ黒い防水コートの裾からは、鈍い光を放つ特殊警棒の先端が覗いている。

その目は、獲物を確実に追い詰めた本物の猟犬のそれだった。

「ずいぶんと優しい叔父さんだな、左神」 

千影はフッと鼻で笑い、コートの懐から血の滲んだ報告書の束を取り出した。

「地下室で生き残った幹部を引きずり回して、全てを吐かせた。先代社長――神楽坂の殺害の全容、そして、今夜二十二時にあの怪物が実行しようとしている『心中計画』の全貌をな」 

千影は俺の隣に並び、名駅の方角にそびえ立つJRゲートタワーの巨大なシルエットを睨みつけた。

地上二百メートル、あの最上階にある役員室が、今夜の最終目的地だ。

「あの女――レナになりすましている玲那は、現社長の宗一郎を殺害した後、ビル全体のセキュリティを遠隔で暴走させ、大爆発を起こす気だ。

自分たちの死体すら灰にして、この世から完全に消滅するために。

……俺は、妹を道具のように扱って消したあの神楽坂の血筋を、この手で断絶させる。

お前は、あの怪物をどうするつもりだ、探偵」 

俺はポケットの中で、冷え切ったスタバのブラックコーヒーの空の紙コップを、ギリ、と音を立てて握りつぶした。

「……俺は『逃し屋』だ。

一度受けた依頼は、どんな地獄の底からでも、安全な場所まで送り届けるのが仕事だ」 

俺たちの目的は、決して交わらない。

片方は復讐のために殺しにいき、片方は約束のために生かそうとする。

だが、あの地上二百メートルのチェス盤に乗り込むための『弾丸』として、今の俺たちにはお互いが必要だった。

「行くぞ、左神。二十二時のチェックインまで、あと二時間もない」 

千影が雨の中に踏み出し、俺もまた、人生で最も苦いコーヒーを飲み干すための、最後の戦地へと歩き出した。

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