ペンティサイズの孤独(承)
俺は「カフェミスト、キャラメルソース抜き」と書かれたカップを握りつぶし、店を飛び出した。
JRゲートタワーの自動ドアが開いた瞬間、名古屋の重たい湿気が肺に流れ込む。
視線の先、エスカレーターの影に、あの「黒い傘」が揺れた。
男は急ぐ様子もなく、だが確実に俺との距離を保ちながら、15階のテラスから下層へと降りていく。
12階、11階……レストラン街の喧騒をすり抜け、俺たちは名駅の巨大な吹き抜け、通称「金時計」の前まで降りてきた。
待ち合わせの定番スポットは今日も人で溢れ返っているが、黒い傘の男だけが、そこだけ切り取られたような静寂を纏っている。
「おい、待てよ」 俺の声は、行き交うサラリーマンたちの足音に消された。
男は桜通口のタクシー乗り場を抜け、雨の降りしきる路上へと踏み出した。
俺も迷わず雨の中へ飛び出す。
トレンチコートが瞬く間に水を吸って重くなる。
男は、大名古屋ビルヂングへと続く横断歩道の真ん中で、ピタリと足を止めた。
黒い傘がゆっくりと持ち上がり、その下から冷徹な眼光が覗く。
「……左神豊さん。そのカフェミスト、味はどうでしたか?」 男の声は、雨音の中でも驚くほどクリアに響いた。「生憎だが、俺はブラック派だ。
入ってもいないソースを『抜け』なんていう、不味い冗談に付き合う趣味はねえ」 俺がそう吐き捨てると、男は薄く笑った。
「不味い冗談、ですか。だが、その冗談を理解できるのは、この街であなた一人だ。……彼女は、納屋橋の袂で待っています。今夜十時。ただし――」
男は傘の柄を握り直し、一歩、俺に歩み寄った。「コーヒー一杯を飲み終えるまでに、あんたの後ろに張り付いている『異物』を掃除できればの話ですがね」
男の視線が、俺の背後――JRセントラルタワーズの影に潜む、一台の黒塗りのセダンに向いた。 組織の犬だ。 知らぬ間に、俺自身が「本来いるはずのないもの」を引き連れてきていたらしい。
「一分で済ませてやる。……その男に伝えろ。ブラックのコーヒーをもう一杯、用意して待ってろとな」
俺は拳を固め、雨に煙る名駅の路上で、三年間溜め込んだため息を吐き出した。




