長久手の包囲網
長久手のバイパス沿いは、大型のショッピングモールや小洒落たインテリアショップ、それにいくつかの大学が点在していることもあり、週末を控えた若者たちや家族連れの車で活気に満ち溢れていた。
しかし、その華やかな日常の裏側で、パトカーのサイレンが遠くの交差点から執拗に響き渡っている。
愛知県警は、藤が丘で起きたあの「バニラビーンズ殺人事件」の発生を受けて、俺を捕まえるための包囲網を完全に敷き詰めていた。
「左神さん、そっちの交差点は絶対に突っ込んじゃダメだ。さっき機捜の覆面パトカーが2台、路肩にハザード焚いて張ったのを見た。一本北の古戦場通りの裏道へ回って!」
耳に仕込んだワイヤレスイヤホンから、焦ったような若い男の声が途切れ途切れに聞こえる。
俺は途中のコインパーキングで、豊のタクシーから、事前に手配しておいた目立たない灰色の軽自動車へと乗り換えていた。
ハンドルを握りながら、俺は激しく奥歯を噛み締める。俺自身は完全に顔を割られており、外の空気をまともに吸うことすらできない指名手配犯だ。
そこで俺の足代わりとなって動いてくれたのが、かつてこの長久手周辺の大学に通う女子学生が、悪質なストーカーに狙われていた問題を無償で解決した際に繋がった、地元の大学生たちのネットワークだった。
バイク便のアルバイトをしている者や、改造した五月蠅いバイクを乗り回す自動車サークルの若者たち、総勢十数人の連中が、警察の検問位置や巡回ルートの情報をリアルタイムのLINEで共有し、俺の「目」となって安全な裏道を案内してくれていた。
「助かる。そのまま、モリコロパーク近くの店舗周辺の様子も見張ってくれ。神楽坂の弁護士の車が現れたら、どんな些細な動きでもいいからすぐに連絡が欲しい」
「任せといてよ、左神さん。俺たち、左神さんが人殺しなんてするわけないって、みんな分かってるからさ。警察の鼻を明かしてやろうって、みんな張り切ってるよ」 インカムの向こうから返ってきた若者の真っ直ぐな言葉が、今の俺には酷く眩しく、そして胸を締め付けるように痛かった。
俺は彼らの信頼を利用しているに過ぎないのではないか、という暗い自責の念が頭をよぎる。
助手席のレナが、窓の外を忙しなく走り去っていくバイクの若者たちを、まるで珍しい動物でも見るかのように面白そうに眺めていた。
「おじさん、まるでお巡りさんより街の若者に人望があるみたい。格好いいね。みんな、おじさんのためなら何でもしてくれるんだ。人情って、すごいね」
「……お前を守るためなら、俺はどんな汚い手でも使うさ」
俺はまた、自分でも嫌になるような嘘をついた。彼女の髪から微かに漂う、あの高架下の死体と同じバニラビーンズの甘ったるい死臭を誤魔化すように、ダッシュボードに置いてあったぬるい缶コーヒーを無理やり喉に流し込む。
彼女の「人情って、すごいね」という言葉は、俺が唯一の武器だと思っている人と人との繋がりを、上から冷酷にあざ笑っているかのように聞こえてならなかった。 13時45分。
インカムの向こうで、スタバの駐車場を監視させていた大学生の声が一気に緊察した。
「左神さん、来たよ! 黒塗りのレクサスLS。神楽坂の弁護士、藤田だ。黒スーツのSPを二人後ろに従えて、今まさにテラス席に向かってる。おじさんの読み通りだ!」
場所は、ガラス窓に周囲の青々とした木々が美しく映える、長久手のロードサイド店舗。
レナがアプリを通じて事前に通した「モバイルオーダー」のドリンクが、まもなくカウンターへと並ぶはずだ。
その中には、星ヶ丘の男たちを窒息させたのと同じ、致死量の毒物が仕込まれているに違いなかった。
俺はハンドルを強く握り直した。
「レナ、お前は車から出るな。ここで鍵を閉めて待ってろ。すぐに戻る」
「うん。信じてるよ、おじさん。私のために、あの悪い弁護士をやっつけてね」
無垢な少女の笑顔で見送られ、俺は野球帽を深く被り、不穏なカフェインの香りが満ちるスタバの敷地へと足を踏み入れた。
時計の針は、13時52分を指していた。




