藤が丘発、最初の騙し合い(後半)
はなみずき通駅のロータリー。
滑り込んできた個人タクシーのリアドアが跳ね上がると同時に、俺は少女の細い体を車内へと押し込んだ。
「出してくれ! 名古屋インターへ!」
「合点承知!」
馴染みの運転手、ハゲの豊がアクセルを踏み込む。
リニモの追っ手たちがホームの階段を駆け下りてくるのがバックミラーに見えたが、すでに遅い。
タクシーは初夏の湿った夜気を切り裂き、東名高速の誘導路へと滑り込んでいった。
車内には、激しい運動の後特有の、濃い沈黙が流れていた。
隣に座る少女は、大きな帽子を膝の上に置き、乱れた髪を直すこともせず、ただ窓の外を流れるハイウェイの灯りを見つめている。
「……怖かった、おじさん」
少女がぽつりと言った。その白いワンピースには、凛がわざとぶちまけたフラペチーノのピンク色の染みが、まるで乾きかけの返り血のように広がっている。
彼女は俺の腕に細い手を絡め、怯えるように体を寄せてきた。
「もうパパのところには戻りたくない。私を、誰も知らない遠いところへ連れていって」
震える声。縋るような瞳。
だが、俺の鼻腔を突いたのは、彼女の髪から微かに漂う、あの高架下の死体と同じ『濃厚すぎるバニラビーンズの甘い死臭』だった。
俺を犯人に仕立て上げるために、スタバのシステムを使って死体を並べたのは、目の前にいるこの無垢な少女だ。
凛の突きつけた真実が、頭の中で鋭い警報を鳴らし続けている。
「ああ、もう二度と戻らせやしないさ。地獄の果てまで付き合ってやる」
俺は嘘をついた。騙されたフリをして、彼女の頭を優しく撫でる。
あの子が玲那の残した怪物だろうが、何だろうが関係ない。俺が三年前、あの雨の時計台の下で誓ったのは、彼女を「逃がす」ことだけだ。たとえその先に、俺自身の破滅が待っているとしても。
夜が明ける頃。
俺たちは名古屋の郊外、尾張旭の街道沿いにあるロードサイドのスタバにいた。
開店直後のテラス席。まだ車通りの少ないバイパスを眺めながら、俺は本日一杯目のドリップコーヒーを啜る。胃壁が焼けるようなブラックの苦みが、張り詰めた神経をわずかに弛緩させた。
少女は目の前で、新緑の木漏れ日を浴びながら、何事もなかったかのようにスマホをいじっている。
その横顔は、どこにでもいるただの女子高生そのものだった。
「ねえ、おじさん」 少女が顔を上げ、悪戯っぽく微笑みながらスマホの画面をこちらに向けてきた。
「次のスタバ、もうモバイルオーダーで注文しておいたよ。おじさんを案内する、次の場所」
彼女が提示したスマホの画面を見て、俺の心臓は冷たく凍りついた。
画面に表示された、次の店舗での受け取り用モバイルオーダー履歴。
そこには、通常のメニューには存在しない、不自然なトッピングの文字列が、規則的に並んでいた。
『エスプレッソショット追加×4、ヘーゼルナッツシロップ変更、シナモンパウダー多め、氷抜き』
――違う。これは、注文なんかじゃない。 それは、次に誰が、どこで、どのような方法で『掃除』されるかを指し示す、世界で一番甘くて残酷な、死刑宣告のシリアルナンバーだった。




