逝く花と迷い竜
マサの過去の悲恋話。
アミ以外が相手役として出てきます。
苦手な方はご注意下さい。
『私は偽者だったけど、いつか貴方の全てを受け入れ愛してくれる人が現れるわ。本当よ』
ごうごうと、金の瞳を持つ赤き竜は業火を吐き出し続けている。
その口から放たれる炎は竜の目前に建つ粗末な小屋に巻きついて、数秒と経たずに燃やし尽くした。
『だから、生きて。きっと私の分まで幸せになってね』
竜はただその様子をじっと見ていた。
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尋常ならざる力と悪魔のごとき容貌を授かり生まれた一人の男がいた。
そんな男の存在を持て余し恐れた里の者たちは、とある出来事をきっかけに当時まだ幼い身であった彼を遠く彼方へ捨て去ってしまう。
度重なる虐待の日々から生への意味が見出せず、すでに自らの死を受け入れようとしていた男は、しかし、様々な偶然の重なりにより、一人の老人に拾われることとなる。
老人は半ば強引に彼を弟子として、秘境と称される地に居を構え、根気強く力の使い方を伝授し、やがては寿命を迎え穏やかに天に旅立った。
男は老人の遺言として、かの地に縛られることを禁じられてしまったがために、新たな安住の地を求めての旅立ちを余儀なくされる。
男と称してはいるが、実際には彼は十代前半という、少年と呼ばれて差し支えない年齢の若輩の者である。
ただし、すでに一般的な成人男性と比べ頭ひとつ分ほども大きな背丈をもち、その上で、未だ成長を続けているという、荒事の多いこの世界にあって恵まれた肉体を有していた。
また、年相応の幼さなど微塵も感じさせない凄惨な顔面と全身に纏う殺気にも似た空気は、出会う生物全てに例外なく根深い恐怖心を植え付ける。
しかし、それは男自身が望んでのことではない。
そのため、彼は極力人の世に関ろうとはせず、今日もまた、獣道さえ早々見当たらぬほどの森の奥深くを黙々とひた歩んでいた。
そんな中で、ふと、彼方からの聞きなれぬ音に、男が足を止める。
自らの勘に従い駆け出してみれば、その先に、川に溺れか細く助けを求める年若い女の姿があった。
ほとんど反射的に水に飛び込んで女の肌に腕を伸ばせば、男はその肉のあまりの柔らかさに仰天する。
彼の生まれた里には当然女も存在していたが、実際に触れたのは十と数年の人生で始めてのことであった。
ほんの少しでも力を入れすぎてしまえばすぐにでも潰れてしまいそうなソレに、男は言い知れぬ恐怖を覚える。
ともあれ、彼はものの数秒で川辺に女を引き上げることに成功した。
咳き込む彼女を尻目にすぐさま立ち上がり、己の狂気的顔面に気付かれ怯えられるよりも前にと、足早にその場を後にしようとする。
すると、女は咽る喉を押さえながら、悲鳴のような声で彼を引き止めた。
「待って! お願い、助けて! 助けてください!」
たった今その命を助けたばかりではないかと、彼女の突飛な言い分に驚いた男は、思わず立ち止まり振り向いていた。
自身の迂闊な行動を即座に悔いるも、彼の懸念は徒労に終わる。
「か、川から助けていただいたことは、本当にありがとうございます。
けれど、このような場所で置いていかれてしまっては、もはや家に帰ることも適いません。
助けていただいた身で図々しいお願いであることは承知しています。
ですが、どうか……どうかせめて、川上の、私の杖のある場所まで案内してはいただけないでしょうか。
お願いします、どうかお願いします」
男に縋ろうと必死に声を上げる女の、その焦点の合わない濁った瞳に、彼は彼女が盲目の身であることを知った。
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結局、男は女に乞われるまま共に杖を捜索した。
そう時を置かず目的の物は発見されたが、木の枝を荒く削っただけの貧相な棒は、その半ばより無残に折損していた。
分かりやすく気落ちする女に、男が助けを申し出たのは気まぐれだ。
老人の死後、まともに会話の成立する人間が初めて現れたという事実もあり、彼の心は彼女の存在にどこか救われるような感情を覚えていた。
同時に、彼女が盲人だからこその態度であるという事実からは、無意識に目を逸らしていた。
送ろうという男に恐縮する姿勢を見せる女だったが、ただでさえ水に溺れ体力を失ったところで、杖を失い、さらに未だ濡れ鼠でいつ体調を崩すかもしれないという現状を考えれば、彼の提案を呑むより他はなかった。
杖代わりに差し出された筋張った左腕を掴んで、女は記憶している限りの帰路を言葉に紡ぐ。
男は基本的に無口な性質であるようだったが、まれに彼女の耳に投げられる抑揚のない声には、警戒心を抱かせるような下卑た色は含まれてはいない。
やがて、彼女自身対話に飢えていた部分もあり、女は用心も忘れて男の返事も構わず己が身の上話など始めていた。
女は名をユナヴィナといった。
彼女は現在、森の中に建てられた小屋でたった一人、細々と暮らしている。
元々は健常な村人だったが、ある日より病に侵され、その影響で視力を失った。
感染するような病ではなかったが、あまり裕福ではない村で生産性のない人間を養うことは難しいとのことで、彼女は故郷を追い出されてしまう。
病を患った人間は人買いに売ることすらできないし、たった一人を庇って村ごと共倒れになるのもバカらしい話だと、ユナヴィナ自身も納得しての結末だった。
せめてもの温情として、その昔、優秀な猟師がいた頃に使用されていたらしい古い森小屋と僅かばかりの食糧を与えられた時には、彼女は彼らの想いに堪らず涙を流した。
死に逝く者に差し出せるほど貯えに余裕のある村人などいないことを、ユナヴィナは知っていたからだ。
先のない身ではあるが、生きられるだけは生きようと、そう決意するのに些かの不足もなかった。
長々と自らの事情を語りつくしたユナヴィナは、そのままの流れで今度は男に話をねだり出す。
彼の少ない言葉から得た情報によれば、男の名はマーシャルトで、理由は異なるが彼女と同じく村から放逐され、当てもなく旅を続けている身だということだった。
ユナヴィナがそこまで聞き出したところで、マーシャルトがそれらしき小屋に到着した旨を告げる。
扉に触れさせ、それが間違いなく彼女の住まいであることの確認がとれると、彼は無言で踵を返した。
その足音に気付いたのか、ユナヴィナは慌てた様子で背後を振り返り、去ろうとする男を探すように首を左右に動かしながら静止の言葉を投げかける。
「あっ、ま、待って、お礼っ、何かお礼を!」
「…………いらん」
「じゃあ何でもいいから待って!! お願い行かないでッ!!!」
彼女の悲痛な色を湛えた叫びに、マーシャルトは思わず足を止めた。
ユナヴィナは泣いていた。
「お、お願い、行かないで……。
どうしようもないことなんだって、仕方ないって分かってるけど、でも、怖い……独りきりで死んでいくのは怖いの……。
急ぐ旅じゃないなら、何もしなくていいから、いてくれるだけでいいから、お願い、怖くて、寂しくて、狂いそうなの……お願いだから、独りにしないで……」
たまたま出会って、盲目ゆえに恐れられもせず、悪人ではなかったから縋られただけで、心身共に弱っているユナヴィナにとっては誰でも良かったのだということは、マーシャルトにも分かっていた。
それでも、他人に求められた経験のない彼にとって、彼女の懇願はさながら甘露のように心に降り染み入っていく。
気が付けば、マーシャルトは自らの指でユナヴィナの涙を不器用に拭っていた。
人のぬくもりに触れていたかった女と、人のぬくもりに触れてみたかった男の、哀しい利害の一致によるまやかしの生活は、こうして始まったのだ。
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「ユナ、薪割りが終わったぞ。
他に何か出来ることがあったら言ってくれ」
いるだけでいいと告げられつつも、マーシャルトはよくよくユナヴィナの世話を焼きたがった。
彼女から向けられる感謝の気持ちとその言葉に、彼はすっかり酔ってしまっていたのだ。
真っ当な愛情を受けずに育ってきた彼にとって、彼女から与えられる何もかもが新鮮で、そして心地良かった。
「あら、お疲れ様。
あんまり割りすぎてまた小屋より大きな山なんて作っちゃってない?」
「ユナ、昔の失敗の話は止せ」
「ふふ、冗談よ。いつもありがと、マーシー」
目に見えて痩せ細っていく身体と裏腹に、彼女の顔から微笑みが絶えたことはない。
共に暮らす中でユナヴィナもマーシャルトの能力の異常性には気が付いていたが、それを指摘して去られることを思えば、些細な問題だと見てみぬふりをして過ごした。
「それで、他に仕事は……」
「今は特にないわねぇ」
「……そうか。残念だ」
人生経験も豊富でいかにも聡い育ての老人は、マーシャルトが無口無表情であっても当たり前のように内心を言い当てていたが、後天的に盲たごく一般的な女が相手では、さしもの彼も言葉という形での思考伝達を図るより他はない。
彼女と日々を過ごす内に、マーシャルトは人と会話するという行為を覚えた。
恐怖以外の人間の表情を知り、相手の抱く感情を慮ることを学んだ。
「いいじゃない。仕事なんて無い方が、一緒にいられて。
ねぇ、マーシー」
言いつつ、ユナヴィナはマーシャルトの腕を引き、自身の臥せるベッドへと座らせた後、猫が甘えるような仕草で彼の腰に抱きつき、額を背に擦り付ける。
「……………………そうだな」
呟くように同意の言葉を発して、マーシャルトは己の腰に巻きつく枯れ枝のような腕を優しく握った。
別れの時は刻一刻と近づいている。
けれど、今この瞬間、彼らは確かに幸福の中にいた。