第3話 戻らない夫、戻ってきた義姉
午後の打ち合わせは、予定より長引いた。
領兵の冬服は、去年まで使っていた仕立て所が値上げを申し出ていた。布の質を一段落とせば予算内に収まるが、北部を巡回する者には薄すぎる。
「全員同じものでなくてもよいでしょう」
私は見本の布を並べた。
「北部担当には厚いものを。町の警備が中心の者は、今までと同じ厚さで構いません」
「不公平だと言う者が出るかもしれません」
領兵長が心配そうに言う。
「勤務先によって必要な装備が違うと説明してください。それでも不満が出るなら、私が話します」
「若奥様が?」
「給金から差し引くわけではありません。寒い場所で働く人に厚い服を渡す。それだけのことです」
領兵長はしばらく布を見比べ、納得したようにうなずいた。
「では、北部担当の人数を確認します」
「お願いします」
次に、土嚢の準備を頼んだ。
村へ置く分と、詰所に置く予備。雨が降ってから砂を詰めていては遅いので、半分は完成した状態で運んでおく。
「水路の工事が決まったのですか」
「まだです。崩れた時の備えです」
「承知しました」
打ち合わせを終える頃には、日が傾いていた。
自室へ戻ると、側仕えのマルタが新しい湯を用意して待っていた。
「若奥様、白い薔薇が届いております」
寝室の小卓に、花瓶が置かれている。義母が手配したのだろう。大輪の薔薇が七本、きれいに開いていた。
「ありがとう。夕食用のドレスを出してちょうだい」
「どちらになさいますか」
「薄紫のものを」
「あれは、裾の飾りが少し緩んでおります」
「では、緑の方で」
着替えを済ませ、髪も結い直した。
鏡の前で耳飾りを選んでいると、廊下を急ぐ足音が聞こえた。間もなく扉が叩かれ、ハロルドが入ってくる。
「若奥様。リュシアン様から使いが参りました」
「遅くなるのでしょうか」
「本日は王都へお泊まりになるとのことです」
「そうですか」
耳飾りを箱へ戻した。
「何か、急なお仕事でしょうか」
「ご友人との集まりが長引いたため、と」
王都から領地の屋敷までは、馬車で二時間ほどかかる。夜道を避けたいということなら、不自然ではない。
ただ、夕食までには帰ると朝に連絡してきたのも、リュシアンだった。
「夕食は、お義父様たちといただきます。厨房へ伝えてください」
「かしこまりました」
ハロルドが退出したあと、マルタが鏡越しにこちらを見た。
「お召し替えは、いかがなさいますか」
「このままで構わないわ。せっかく用意してもらったもの」
「はい」
*
食堂へ向かうと、義母は私の姿を見て喜んだ。
「まあ、よく似合うわ。やはり普段から、そのくらいなさらなくては」
「ありがとうございます」
「リュシアンも喜ぶでしょう?」
「今夜は、王都へ泊まるそうです」
「あら」
義母は一度まばたきをし、それから小さく笑った。
「そうね、あの子も付き合いがあるものね。仕方がないわ」
「はい」
「でも、明日はきっと帰ってくるでしょう。あなたも明日は仕事を早めに終えなさいね」
義父も特に気にした様子はなく、給仕へワインを頼んだ。
夕食の間、北の水路の話はしなかった。義姉の請求書についても、口に出せなかった。
リュシアン本人へ先に見せるつもりだったからだ。
*
食後、自室へ戻ると、白い薔薇は、暖炉の熱で少し開きすぎていた。
私は仕事着へ着替え、請求書を持って執務室へ戻った。
机の上には、午後に届いた新しい報告書が置かれている。南の橋を調べた職人からだった。欄干だけでなく、橋板の一部も腐っているという。
修繕を一月延ばせば、荷馬車の通行を止める必要がある。
北の用水路――南の橋――そして、四通の請求書。
それぞれの期限を紙へ書き、日付の早い順に並べたら、仕立て店への支払いが、最初に来た。
*
翌朝、リュシアンは戻らなかった。
朝食の席に空いた椅子があっても、義父も義母も気に留めなかった。義母は果物を選びながら、昨夜の演奏会について話していた。
「オクタヴィアも聴きたがっていたのよ。王都にいるなら、行けばよかったのに」
「昨日は仕立て店へ寄ると申しておりましたから、時間が合わなかったのでしょう」
「また仕立て店か」
義父が新聞を下げた。
「先月も何着か作っていなかったか?」
「気分を変えたいのよ。あの子は結婚してから、好きな服もろくに着られなかったのですもの」
「そうだったな」
義父はそれで納得し、新聞へ戻った。
昨日届いた請求書は、執務室の机に置いたままだ。
先にリュシアンへ見せるつもりだったが、帰宅がいつになるかわからない。仕立て店の支払期限は来週に迫っている。
朝食後、義父へ相談しよう。
そう決めたところで、玄関側から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「まあ、帰ってきたのかしら」
義母が席を立つ。
リュシアンの馬車なら、御者や馬丁の動きでわかる。今朝の物音は一台分ではなかった。複数の車輪が玄関前で止まり、扉の向こうから男たちの声がする。
やがて食堂の扉が開いた。
「お母様、ただいま戻りましたわ」
オクタヴィアお義姉様が、帽子も脱がずに入ってきた。
淡い桃色の外套に、幅の広い羽根飾りの帽子。耳には見覚えのない真珠が揺れている。
「まあ、オクタヴィア。昨日のうちに帰るのではなかったの?」
「そのつもりでしたの。でも、エレノア様に引き留められてしまって」
お義姉様は義母の頬へ口づけると、何事もなかったように私の隣へ座った。
「お茶をいただける?」
給仕が新しいカップを用意する。
廊下では、まだ荷物を運び込む音が続いていた。
「ずいぶん荷物が多いようだな」
義父の問いに、お義姉様は笑った。
「大したものではありませんわ。せっかく王都まで行きましたから、少し買い物をしただけです」
「少し?」
「必要なものばかりです。こちらへ戻ってきた時、服のほとんどを置いてきてしまったでしょう?」
お義姉様が言う「こちら」とは、ランフォード伯爵家のことだ。
彼女が婚家を出て、実家へ戻ってきてから八か月になる。
結婚したのは六年前。相手は西部に領地を持つ伯爵家の嫡男だった。
夫婦の間には息子が一人、娘が一人いる。
最初に戻ってきた時、お義姉様は子供たちを連れていなかった。
「急いで出てきたから仕方がなかった」と説明していたが、後から届いた手紙には、先方が引き留めた様子も追い出した様子もなかった。
お義姉様自身が、子供を残して馬車へ乗ったらしい。
「では、請求書も届いているのだろう」
義父の言葉に、お義姉様はカップを持ち上げた。




