第27話 この屋敷のものです
翌朝、ランフォード屋敷の家具に三色の札がついた。
青は、伯爵一家の私物。緑は、屋敷に残すもの。
灰色は、購入記録や婚姻契約書と照合するもの。
夫人の居間では、長椅子も、絨毯も、壁際の飾り棚も緑だった。青い札は、小卓の上の裁縫箱と、窓辺に置かれた足台についている。
「何かの間違いでしょう」
夫人は、銀の茶器を載せた盆を指した。
「これは、私が嫁いできた年から使っているものよ」
アルノー家から来た家政婦長が、茶器の底を一つずつ確かめた。
「ランフォード家の紋章がございます。屋敷の備品台帳にも記載されております」
「でも、私の茶会で使っていたのよ」
「今後も、この屋敷の茶会で使われます」
「私が開いてきた茶会です!」
夫人が盆へ手を伸ばすと、茶器同士が触れ、小さな音を立てた。
「奥様。お持ちになれるのは、青い札の品でございます」
家政婦長は夫人の衣装箪笥を開いた。中の《《ドレスには》》青い布紐が結ばれている。箪笥そのものには緑の札があった。
「衣装はすべて奥様のものです。ただ、小館の収納は、こちらの半分ほどになります」
「では、この箪笥を運びなさい」
「《《箪笥は屋敷の備品です》》」
「服だけ持っていけと言うの?」
「衣装箱は、お一人につき大型二つまで運搬費に含まれます。追加の荷車や保管場所は、私費で手配していただけます」
夫人は、開いた扉の端から端まで見た。
春用のドレス。夏用の薄物。冬の毛織物。喪服が三着。慈善会の式典で使う濃紺のドレスが二着。王都で流行した袖をつけたまま、一度も着ていないものもある。
「二つに入るわけがないでしょう!」
「仕立て屋へ売却を頼むこともできます」
「売る?」
夫人の手が、薄桃色の袖をつかんだ。
「これはまだ二度しか着ていないのよ」
「では、お持ちください」
「だから、二箱には入らないと言っているの!」
隣室から、オクタヴィアの声が聞こえた。
「勝手に触らないでちょうだい!」
夫人はドレスを放し、廊下へ出た。
オクタヴィアの居間には、ベルモント家の家令と書記が来ていた。灰色の札がついた家具を調べ、確認の済んだものへベルモント家の印を押している。
長椅子、書き物机、象牙細工の小箱。寝室から運び出された宝石箱も、卓の上で三つに分けられていた。
「その首飾りは、夫から贈られたものよ」
オクタヴィアは、真珠の首飾りを取り返そうとした。
ベルモント家の書記が、婚姻時の贈答品一覧を開く。
「ご婚姻中、《《当主夫人として》》お使いになる品と記載されております。所有者はベルモント家です」
「誕生日に渡されたのよ。あの人も、君に似合うと言ったわ」
「返還する品の一覧に、ご署名をいただいております」
「あんなもの、読んでいないわ!」
「署名は、オクタヴィア様のものですね」
差し出された紙を見て、オクタヴィアは母親へ振り返った。
「お母様からも言ってちょうだい! 夫から妻への贈り物を取り上げるなんて、おかしいでしょう?」
夫人の目は、宝石箱の隣に積まれた衣装へ向いた。
「そちらのドレスも、ベルモント家のものなの?」
「婚礼衣装と、当家の紋章を刺繍した式服はお返しいただきます。普段着と、オクタヴィア様のご実家から持参された衣装は残します」
「全部持っていってくれればいいのに……」
「お母様!」
「小館には衣装箱を二つしか運んでもらえないのよ。あなたの分まで置く場所はないわ」
「私にも二箱あるでしょう?」
「あなたは戻ってきた時だけで、九箱持ってきたじゃない!」
「子供たちに会う時、みすぼらしい格好をしろと言うの?」
ベルモント家の家令が、宝石箱の蓋を閉じた。
「明日の面会には、こちらのドレスをお使いください。面会後、ベルモント家でお預かりします」
「子供たちの前で脱げと言うつもり?」
「お帰りになってから、侍女へお渡しください」
「帰り? 子供たちと一緒に、こちらへ帰るのよ」
「お子様方の外出予定はございません」
オクタヴィアの指が、真珠の首飾りから離れた。
「そんな…… 私に会えば、考えが変わるわ」
「《《お子様方のお考え》》は、ご本人からお聞きください」
家令は真珠を箱へ収め、鍵をかけた。
*
リュシアンの部屋では、アルノー家の家令と書記が、銃と乗馬用品を調べていた。
猟銃二丁には青い札がついている。壁に掛けられていた古い銃と、ランフォード家の紋章が入った鞍は緑だった。
「この鞍は俺が使っているんだ!」
「先々代の伯爵が購入されたものです」
「俺の体に合わせて直したんだぞ?」
「革を交換した費用も、領地の厩舎費から出ております」
「小館の馬には、何を使えばいい?」
「小館には、馬車用の馬が二頭おります。乗馬をなさる場合は、馬と鞍を私費でご用意ください」
「二頭だけ?」
「御者は一名です」
「俺が出かけている間、母上たちは馬車を使えないではないか!」
「ご家族で予定を調整していただくことになります」
リュシアンは、寝台の上へ放り出してあった手紙を拾った。セルジュへ持たせようとして、書きかけでやめたものだった。
「ハロルドを呼べ。俺の道具は、あいつが分かっている」
「ハロルド殿は、すでにランフォード家を退いておられます」
「いつの話だ?」
「管理調査の始まった朝です。現在は、侯爵家の東屋敷で執事を務めておられます」
「父上は聞いていない」
「退職届は、調査開始時にヴァレール相談役から当主へ渡されています」
「なら、東屋敷から戻すように言え!」
「ハロルド殿の現在の雇用主は、侯爵家です」
「十四年も、この家に仕えてきたんだぞ!」
「その十四年を終え、新しいお勤め先へ移られた、ということです」
家令は古い銃を壁から外し、屋敷の備品を入れる木箱へ収めた。
「では、小館の執事は誰がするんだ?」
「執事を置く予定はございません。従僕一名が、来客の応対も担当します」
「そんな家で暮らせるか!」
「南の小館は、四名で暮らすには十分な広さと伺っております」
「十分かどうかを決めるのは、住む俺たちだろう?」
家令は返事をせず、木箱の番号を控えた。
*
屋敷の使用人食堂には、今後の雇用先を書いた紙が張り出された。
次の当主家を迎えるため屋敷へ残る者、侯爵家の管理下で領地の引き継ぎをする者、別の屋敷へ移った者、退職する者。
小館への異動を希望した者の欄だけが空いていた。
「全員に聞いたの?」
伯爵夫人は紙を壁から外した。
「侯爵家の管理官が、一人ずつ希望を確認しております」
アルノー家の家政婦長が答えた。
「マーサは?」
「侯爵家の叔母君のお屋敷へ移りました」
「ベネットは?」
「領地の引き継ぎが終わるまで、侯爵家の指示でこちらへ出入りします」
「料理長は?」
「ベルダ料理長は、侯爵家との雇用契約で、こちらの厨房を続けます」
「では、私たちの食事は誰が作るの?」
「小館には料理人が一名おります」
「私の好みを知らない人でしょう?」
「献立表と、食事上の注意はお渡ししてあります」
夫人は、空白の欄を指でなぞった。
「こちらの者から、小館へ移る人はいないの?」
「《《希望した方は》》ございません」
「ヴェロニカに、ついて行くなと言われたのね」
「小館への異動を確認したのは、侯爵家の管理官です」
「私には、一度も聞かなかったわ……」
「昨日、ローレン管理官からお尋ねがあったはずです。小館へどなたを連れていきたいかと」
「それは、人数を減らせと言われた後でしょう!」
家政婦長は外された紙をもう一度壁へ留めた。
「次の当主一家が十日後に到着します。それまでに、客室二階と東棟を整えます」
「私たちを追い出して、次の奥様を迎えるの?」
「新しい当主家を迎えるのが、私の仕事です」
廊下で、台車の車輪が鳴った。
ベルモント家へ返す家具が、玄関へ運ばれていく。オクタヴィアがその後を追い、長椅子の脚をつかんで止めようとしていた。
「これは私の居間に必要なの! 小館へ運んでから決めればいいでしょう!」
「その長椅子を入れたら、私の衣装箱が載らないわ!」
階段の上から夫人が叫ぶ。
「どうしてあなたの衣装箱を、私の荷車へ載せるのよ!」
「俺の銃を先に積ませろ! 壊れたら困る」
リュシアンも部屋から出てきた。
「銃なんて、小館で使わないでしょう!」
「お前の長椅子よりは使う!」
「弟の分際で、私をお前だなんて呼ばないでちょうだい!」
三人の声を聞きながら、家政婦長は使用人たちへ次の指示を出した。
「青い札の荷物は、西の空き部屋へ。ご本人同士で、運ぶ順番を決めていただきます」
空の台車が、三人の横を通り抜けた。
*
十日後、正門前には荷馬車が二台並んだ。
夫人の衣装箱が七つ。オクタヴィアのものが六つ。リュシアンの銃、釣り道具、書籍、衣装で五箱。前伯爵の荷物は四箱あった。
「二台には積み切れません」
御者が荷台を見上げた。
「もう一台、出しなさい」
夫人の言葉に、ローレン管理官が運搬表を示した。
「追加分は、私費でご依頼ください」
「今日になって言うことではないでしょう!」
「三日前から、必要な台数をお尋ねしておりますが?」
「荷造りが終わらなければ、分からないでしょう!」
オクタヴィアが、自分の衣装箱を荷台へ押し上げさせた。
「ねえ、私の分は全部積んで。明日、子供たちが来るかもしれないのよ」
「来ないと伝えられただろう」
リュシアンは猟銃の箱を、その隣へ載せた。
「あなたには関係ないでしょう!」
「お前の箱を下ろせ。俺の本がまだ残っている」
「本なんて読んだこともないくせに!」
「父上からも何か言ってください!」
前伯爵は玄関前の馬車を見ていた。
「なぜ、四頭立てを出さないのだ」
「こちらの馬車は、屋敷の備品として残ります」
ローレン管理官が答えた。
「小館から迎えの馬車が参っております」
門の外には、二頭立ての茶色い馬車が止まっていた。紋章はなく、扉にも金の飾りはない。座席は四人で使えば埋まる。
「これに、四人で乗れっていうの?」
夫人は扉の中をのぞいた。
「荷物は荷馬車へ。皆様はこちらへお願いいたします」
「オクタヴィアは、別の馬車にしなさい」
「どうして私なの!」
「あなたが一番、荷物も多いでしょう!」
「お母様の衣装箱は七つよ!」
「私は伯爵夫人なのよ!」
「もう前伯爵夫人でしょう!」
夫人が娘の腕をつかんだ。
「誰のせいで、茶会まで恥をかいたと思っているの!」
「私のせいだと言うの? ヴェロニカが逃げたからでしょう!」
「二人とも、乗れ!」
前伯爵が馬車の扉を叩いた。
「使用人が見ているぞ!」
玄関前には、ローレン管理官、アルノー家の家令と家政婦長、ベネット、侯爵家の管理下で戻った会計係のポールと書記のニール、ベルダ料理長、侍女、従僕、庭師、馬丁たちが並んでいた。
前伯爵は外套の襟を直し、先に馬車へ乗り込んだ。
夫人、オクタヴィア、リュシアンが続く。座席に三人で並ぶことを嫌がったオクタヴィアは、母親の向かいへ座り、膝の上へ大きな帽子箱を置いた。
「それも荷馬車へ載せなさい」
「潰されたら困るわ」
「私の膝に当たっているのよ」
「足を少し引けばいいでしょう」
扉が閉まっても、二人の声は外まで聞こえた。
馬車が正門を出る。使用人たちは頭を下げ、見送った。車輪が街道の曲がり角へ消えると、家政婦長がさっと顔を上げる。
「東棟の窓を開けて。午後には、新しい寝具が届きます」
玄関の扉が閉じた。
*
南の小館では、料理人と侍女二人、従僕、御者が玄関前に並んでいた。
馬車から降りた伯爵夫人は、二階の窓を数えた。
「……本当に、寝室が四つしかないのね」
「見取り図にあったでしょう」
リュシアンが先に玄関へ入った。
一階の応接室には長椅子が一つ、肘掛け椅子が四脚。食堂の卓は六人掛けだった。奥から、煮込み料理の匂いが流れてくる。
「私の部屋は、どちら?」
オクタヴィアが階段へ向かった。
「二階の南側が、当主夫妻のお部屋です。残りの二室を、リュシアン様とオクタヴィア様にお使いいただきます」
小館の侍女が説明した。
「残りの二室?」
「寝室は四つでございます」
「子供たちの部屋は?」
「お子様方がお泊まりになる際は、応接室へ寝台を入れると伺っております」
「応接室に?」
「姉上の子供が来るかも分からないのに、部屋を空けておけるか」
リュシアンが、一番奥の扉を開けた。
「ここは俺が使う。窓が二つある」
「そこは私の衣装部屋にするつもりよ!」
「お前の寝室は隣にあるだろう」
「お前って言わないで! 衣装と一緒に寝ろと言うの?」
「俺だって、本と銃を置く場所が要る!」
二人が扉を押さえ合う。夫人は階段の下から、侍女を呼び止めた。
「……まず、私の衣装箱を寝室へ運んでちょうだい。七つあるわ」
「お荷物は、まだ二台目が到着しておりません」
「一台目には、何が載っているの?」
「オクタヴィア様の衣装箱と、リュシアン様の猟銃です」
「どうして私のものを先に積まなかったの!」
夫人は玄関へ戻る。
オクタヴィアは二階から荷物の置き場所を叫び、リュシアンは従僕へ銃の扱いを教え始めた。前伯爵は応接室の呼び鈴を鳴らし、茶を持ってくるよう命じている。
侍女二人が、階段の途中で行き合った。
「どちらへ先に参りましょう」
玄関では、夫人が御者に三台目の荷車を取りに戻れと言っていた。
二階からは、オクタヴィアの声が降ってくる。
「私が先でしょう! この家には、私の子供たちも来るのよ!」
「明日から、その馬車は俺が使う!」
「明日は私がベルモント家へ行く日でしょう!」
「馬は二頭しかいないぞ!」
小館の時計が、正午を打った。
食堂には、四人分の皿が並んでいる。
誰がどこへ座るかは、まだ決まっていなかった。




