第24話 客が着いてから決めるのか
昼前、正門の鐘が鳴った。
最初に到着したのは、ロベールだった。従僕を一人伴い、二頭の馬で門を入る。
玄関広間には、調査のため運び出された箱が壁際に並んでいた。長卓では侯爵家の書記が郵便を分け、若い侍女が客室の鍵を探している。
「ランフォード家で間違いないよな?」
馬を降りたロベールは、玄関の紋章を見上げた。
「はい。ロベール・デュラン様でございますね」
「そうだが」
迎えに出た侍従が、記名簿を差し出す。
「恐れ入ります。現在、侯爵家による管理調査中のため、ご来訪の記録をお願いしております」
「招かれた客も?」
「すべての方にお願いしております」
ロベールは手袋を外し、名前と到着時刻を書いた。
「リュシアンは?」
「ただいま文書庫におります。すぐにお呼びいたします」
馬を厩へ回し、荷物を東の客室へ運ぶ。
ロベールが広間の椅子へ腰を下ろしたところで、リュシアンが廊下の奥から現れた。片手には、赤い紐を巻いた紙の束を持っている。
「……ああ、早かったな」
「予定どおりだ。手紙にも昼前と書いたが?」
「そうだったか?」
「……読んでいないのか?」
「昨日は忙しかったんだ。返事を出すだけで手いっぱいだった」
リュシアンは書類を近くの卓へ置いた。
「少し屋敷が騒がしいが、気にしないでくれ。部屋は用意してある」
「何の調査だ?」
「領地と屋敷の管理を確認しているだけだ」
「お前の家の?!」
「侯爵家が大げさにしているんだよ」
侍女が茶を持ってくる。
茶器は三客。砂糖壺はあるが、ミルク差しがない。侍女はトレイを置いたあとで気づき、厨房へ戻っていった。
「前に来た時と、ずいぶん様子が違うな」
ロベールは茶へ手をつけず、廊下を行き来する書記たちを見た。
「……使用人を入れ替えているところなんだ」
「ハロルドは?」
「屋敷を辞めた」
「ベルダ料理長も?」
「辞めた」
「ヴェロニカ夫人は?」
リュシアンが答える前に、再び正門の鐘が鳴った。今度は馬車だった。
セルジュと弟、従僕二人、御者一人。返書にあったとおり、馬車一台と馬四頭が到着する。
玄関前には荷箱が六つ降ろされた。従僕の一人が、細長い革の箱を抱えている。
「おい、釣り竿まで持ってきたのか」
出迎えたリュシアンが笑った。
「お前が川へ案内すると書いてきただろう」
「……書いたかな?」
「春から何度も聞かされている。新しい橋の下流に、大きな鱒がいると」
「橋は今、修繕中だ」
「釣り場まで壊れているのか?」
「そうではないが、今日は無理だ。明日にしよう」
セルジュは従僕へ釣り竿を預け、弟をリュシアンへ紹介した。
弟は兄より五つほど若い。ランフォード家へ来るのは初めてだという。
「客室へ案内させる。ロベールは東の青の間。セルジュは、その隣だ」
「弟は?」
「セルジュと同じ部屋を使うのではないのか?」
セルジュの眉が上がった。
「客として連れてくると書いたはずだが?」
「兄弟なのだから、数日くらい構わないだろう?」
「弟は子供ではない。寝台も一つしかないだろう」
「長椅子がある」
「お前は、招いた客を長椅子で寝かせるのか?」
弟が兄の袖を引いた。
「僕は従僕用の部屋でも構わないよ」
「お前の従僕はどこで寝る?」
「では、兄上の長椅子で」
「お前がそれでよくても、私が嫌だ」
セルジュは玄関に並んだ荷物を見た。
「部屋の数は、昨日までに知らせてあると思っていた」
「客は三人だと分かっていた。部屋が二つあれば足りると思ったんだ……」
「ロベールと私と弟で、三人だ」
「南の客室を開けられます」
ローレン管理官が広間へ入ってきた。
「寝具を入れれば、一時間ほどで整います。ただし、暖炉は昨夜から使っておりません。火を入れてよろしいですか」
「寒いに決まっているだろう。入れてくれ」
「薪の追加使用について、ご承認いただけますか」
「客室の薪まで俺が決めるのか?」
「追加で客室を一つ使うと、今お決めになりましたので」
「……分かった。使っていい」
「承知いたしました」
管理官は確認表へ書き込み、侍女へ渡した。
「南の客室へ火を。寝台と洗面道具は一人分。お荷物は、暖炉の火が安定してから運んでください」
侍女が弟を連れ、南廊下へ向かう。
セルジュはその後ろ姿を見送り、リュシアンへ向き直った。
「おい、本当に、客が着いてから部屋を決めたのか」
「空き部屋はあるんだ。問題にはならなかっただろう」
「火も入っていなかったぞ」
「もう入れると言っていた」
「それは、あの管理官が考えたからだ」
リュシアンは返事をせず、三人を応接間へ案内した。
*
伯爵夫人が応接間へ来たのは、四人が茶を一杯飲み終えた頃だった。
「まあ、もうお着きでしたのね」
夫人の手には、白い薔薇が二本ある。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。明日の茶会のお花を分けておりましたの」
「明日は茶会なのですか」
セルジュが尋ねた。
「慈善茶会です。最後の日は皆様にもご参加いただこうと思っておりますのよ」
「それは初めて伺いました」
「リュシアンがお伝えしていなかったの?」
「友人同士で過ごす予定だと聞いています」
「では、午後だけで結構ですわ。若い方がいらっしゃると、皆様も喜びますもの」
伯爵夫人は空いている椅子へ座り、薔薇を卓へ置いた。
「ところで、ヴェロニカ夫人は?」
ロベールが、先ほどの問いを繰り返した。
「ご挨拶したいのですが」
「ヴェロニカは、今ちょっと……」
伯爵夫人の目が息子へ動く。
「屋敷にはいない」
リュシアンが答えた。
「ご実家へ戻られたのですか」
「いや。どこにいるかは、公証人が知らせない」
「知らせない?」
ロベールの手が、カップから離れた。
「夫であるお前にも?」
「勝手に屋敷を出たんだ。しかも昨日、離縁を申し立ててきた」
「離縁?」
応接間の扉が開いた。
「そうなのよ。自分だけ手続きを始めて、私たちを困らせているの」
そこへオクタヴィアが入ってくる。白い薔薇を見つけると、二本のうち一方を手に取った。
「お母様、これ、私の部屋へいただくわ」
「それは見本よ」
「もう品種は決めたのでしょう?」
「明日の朝まで水へ入れておけば、玄関に使えるかもしれないの」
「花一本くらい、また頼めばいいじゃない」
「追加には、お父様の承認が要るのよ」
伯爵夫人は娘の手から薔薇を抜き取り、二本とも卓の端へ寄せた。
「今はお客様へご挨拶をなさい」
オクタヴィアは三人を見回し、ロベールの向かいへ座った。
「皆様も、ヴェロニカがどこにいるかご存じない?」
「今日到着したばかりですので」
「リュシアンのお友達なら、何か聞いているかと思ったわ」
「私たちは、夫人と個人的な文通をしておりません」
ロベールの返事に、オクタヴィアは肩を落とした。
「そう。役に立たないのね」
セルジュの弟が兄を見る。伯爵夫人は薔薇を持って立ち上がった。
「ごゆっくりなさってくださいね。私はまだ席札を決めなければなりませんの」
「母上。客が来ているのに」
「あなたのお友達でしょう? お相手はあなたがなさい」
夫人はオクタヴィアの肩を軽く叩いた。
「あなたも、ご自分の手紙へ返事を書きなさい。今日の便に間に合わせるのでしょう?」
「今、お客様とお話ししているところよ」
「では、夕方までに」
白い薔薇が応接間から運び出された。
オクタヴィアも、茶菓子を二つ皿へ取り、姉の件を調べてくると言って部屋を出た。
扉が閉まると、ロベールがさっとリュシアンを見た。
「おいリュシアン、この状態で、なぜ俺たちを呼んだ?」
「……招待した時には、こうなっていなかった」
「では、なぜ中止の手紙を出さなかったんだ?」
「せっかく予定を合わせたんだ。家の問題と、俺たちの滞在は別だろう?」
「別になっていないから聞いている」
セルジュが、卓上の菓子を弟の方へ押した。
「管理調査中で、夫人が家を出て、離縁の申立てまで届いた。茶会もある。そんな時に友人を泊めるのは無理だ」
「来てしまった以上、楽しめばいいだろう? 釣りも狩りもできるし……」
「誰が手配する?」
「馬丁や猟師がいる」
「何時に出るつもりだ? 昼食は持っていくのか? 川までは馬か、馬車か? 弟にも馬を用意できるのか?」
「そんなことは、夕食の時に決めればいいじゃないか」
「……また、着いてから決めるのか」
セルジュは背もたれへ体を預けた。
「以前は、到着すると翌日までの予定が部屋に置かれていたぞ」
「あれはヴェロニカが《《勝手にしていた》》んだ」
「助かっていたぞ」
「俺に言えば、同じようにできる」
「だから今、言っている」
リュシアンは呼び鈴へ手を伸ばし、途中で止めた。
「……まず、昼食にしよう。食べながら決めればいい」
*
夕食の食堂には、客三人分の席が用意されていた。
伯爵は文書庫から戻らず、伯爵夫人も明日の茶会の準備で遅れている。オクタヴィアの席には、部屋で食べると書かれた紙が載っていた。
最初の皿が運ばれる。
リュシアンとセルジュ兄弟には肉入りのスープ。ロベールの前には、豆と茸のスープが置かれた。
次の皿も、ロベールだけが焼いた川魚だった。
「覚えていたのか」
ロベールが言った。
「当然だろう。お前は肉を食べないからな」
給仕をしていた侍女が、空いた皿を重ねながら、そっと付け加える。
「ヴェロニカ夫人の引き継ぎ書に、三年前からの献立が残されておりました。厨房で確認しております」
「そうか」
ロベールは魚の皿を見た。
「夫人へ礼を伝えてくれ」
「所在を知らないと言っただろう」
「では、公証事務所を通せばいい。お前もそうしているのだろう?」
リュシアンのナイフが、肉の端で止まる。
*
結局、伯爵夫人は最後まで食堂へ来なかった。閑散とした夕食だった。
食後、ロベールは玄関広間の記名簿を開き、出発予定の欄へ翌朝と書いた。
「ちょっと待て、二泊の予定だっただろう?」
「……家の調査が終わってから、改めて招いてくれ」
「そんな大げさなものではない!」
「大げさかどうかは、今日一日で十分見た」
セルジュも記名簿を引き寄せた。
「馬を休ませたいから、明日は一泊して、明後日の朝に出る」
「三泊すると返事が来ていた」
「……その返事を読んだのなら、弟の部屋も分かったはずだろう?」
セルジュは、三日後の日付へ一本線を引き、その上へ、明後日の朝と書き直した。




