第23話 返事をするのは本人です
昼を過ぎた頃、モラン公証人がランフォード家を訪れた。
玄関広間の長卓には、朝から届いた郵便が積まれている。差出人ごとに分ける者がいないため、花屋の請求書も、村からの報告も、リュシアンの友人から来た返書も同じ籠へ入っていた。
モラン公証人は、その横へ二通の封書を置いた。
「リュシアン様へ、ヴェロニカ夫人からの返書です」
知らせを受けたリュシアンは、文書庫からすぐに出てきた。
「返事が来たのか!?」
最初の封を破る。中に入っていた紙は一枚だけだった。
――今後のご連絡は、モラン公証事務所を通してください。
何度裏返しても、続きはない。
「……おい、これだけか?」
「はい」
「俺の手紙を渡したのだろうな!?」
「はい、そのままお渡ししました」
「屋敷が困っていることも?」
「書かれていましたので、お読みになっています」
「だったら、どうして戻る日を書かない?!」
モラン公証人が、二通目をリュシアンの前へ寄せた。
「そちらもご確認ください」
「これは何だ」
「離縁協議の申立書です」
リュシアンの手が封筒の上で止まった。
「誰の?」
「ヴェロニカ夫人と、リュシアン様の婚姻についてです」
封を切り、折り畳まれた書面を広げる。
――申立人、ヴェロニカ・ランフォード。
――求めるものは、婚姻の解消。持参財産の返還。私物の引き渡し。今後の連絡を双方の代理人へ限ること。
末尾には、昨日の日付とヴェロニカの署名があった。
「昨日?」
リュシアンは日付を指で押さえた。
「ヴェロニカは、昨日これを書いたのか」
「はい」
「どこで?」
「滞在先はお伝えできません」
「夫の俺にも?」
「ヴェロニカ夫人から、所在を明かさないよう依頼されています」
「……勝手なことを!」
申立書を持ったまま、リュシアンは文書庫へ戻った。
卓の一方では、ランフォード伯爵が石材の受け取り手順を読んでいる。向かいでは伯爵夫人とオクタヴィアが、ベルモント領へ出す手紙を前に言い合っていた。
「ねえ、お母様から、子供たちをこちらへ連れてくるよう頼んで」
「先方は断っているのでしょう?」
「母親が病気だと言えば、考え直すかもしれないわ」
「医師にも診せないのに、何と書けばよいの?」
「具合が悪いのは本当よ!」
その間へ、リュシアンが申立書を置いた。
「ヴェロニカが離縁を申し立てた」
「まあ」
伯爵夫人は娘の手紙から、息子の申立書へ目を移した。
「今、この時に?」
「姉上の件と調査で、屋敷がこんなに忙しい時にだ」
ヴァレール相談役が、石材の注文控えから顔を上げる。
「ヴェロニカ夫人にとっては、今だからだろう」
「どういう意味です」
「屋敷を出て、自分の仕事を始めた。婚姻についても手続きを始めた。それだけだ」
「俺は認めない」
リュシアンは申立書をモラン公証人へ突き返した。
「夫婦なのだから、片方だけで決められることではないでしょう」
「ですから、協議の申立書が届いております」
「返せば済むのか?」
「返すだけでは、申立ては消えません。婚姻を続けたいなら、その旨を回答してください」
「今、言った」
「書面でお願いいたします」
モラン公証人は鞄から回答書を取り出した。
「一つずつお書きください。離縁へ同意するか。持参財産の一覧に異議があるか。ヴェロニカ夫人の私物を、いつ、どのように引き渡すか」
「そんなものまで、今日決めるのか」
「回答期限は二週間後です」
「では、急ぐ必要はないだろう」
リュシアンは回答書を畳みかけた。
「後にしてください。今は侯爵家の調査中です」
「調査が終わるまで、離縁手続きが止まることはありません」
「父上から、待つよう命じられないのですか」
ランフォード伯爵は石材の紙を置いた。
「家の調査中に、後継者の離縁まで始められては困る。侯爵家から、しばらく待つよう伝えてもらえないのか」
「侯爵家は、ご夫婦の婚姻を継続させるために調査へ来たわけではない」
ヴァレール相談役が答えた。
「それに、離縁を望んでいる者へ、調査が終わるまで婚家に戻れとは言えん」
「だが、ヴェロニカがいれば、調査も早く済む」
「そのために戻せ、と?」
「本人が作った書類について、本人が説明するのが一番早いだろう」
ヴァレール相談役は、赤い紐の束を伯爵の前へ押し戻した。
「ヴェロニカ夫人から、各項目の説明書が提出されている。現在は、それが事実と合っているか確認しているところだ。本人を屋敷へ呼び戻す理由はない」
「なら、居場所くらい知らせてもよいではないか」
「何をしに行く?」
「家族で話し合う」
「公証事務所を通せと、返事が来ている」
「だから、それでは話し合いにならないと言っているんだ!」
リュシアンの声が文書庫に響いた。
入口にいた侍女が、郵便の籠を抱えたまま足を止める。伯爵夫人はそちらを見て、籠を卓へ置くよう手招きした。
「ちょうどよいわ。リュシアン、あなたのお友達からもお返事が来ているそうよ」
「今はそれどころではありません」
「明後日にはいらっしゃるのでしょう? 客室を決めなければ、お花の数が決まらないの」
籠の中から、緑の紐を巻かれた三通が出てきた。
リュシアンは差出人を見て、一通目を開く。
ロベールは予定どおり来る。従僕一人を伴い、二泊。馬車は使わず、馬で来る。
二通目のマチューは、父親の用事で王都へ行くため欠席。
三通目のセルジュは、弟を連れて三泊したいと書いている。従僕二人、御者一人、馬車一台、馬四頭。
「三人ではないの?」
伯爵夫人が手紙をのぞき込んだ。
「マチューが来なくなり、セルジュの弟が増えたので、客は三人です」
「では、同じでしょう」
「従僕が三人と御者が一人増えます」
ローレン管理官が、緑の確認表へ人数を書き込んだ。
「客室は二部屋。従僕用が二部屋。御者は厩舎脇の部屋を使えます。食事は客三名分、使用人四名分です」
「ほら、あなたには分かるのではない」
伯爵夫人は安心したように、花屋の注文票を管理官へ向けた。
「では、お花も決めてちょうだい」
「私は人数を《《確認》》しただけです。どの部屋へ何本飾るかは、茶会と来客を主催なさる方がお決めください」
「客室が二つなら、八本ずつでよいでしょう?」
「従僕用の部屋にも飾りますか」
「そんなところへ薔薇はいらないわ」
「では、客室二部屋に八本ずつ。広間と食堂は、茶会の分でよろしいですか」
「ええ。それで頼んで」
「品種はこちらの三つのうち、どれにしますか」
白い薔薇が入った箱は、文書庫の隅へ移されていた。朝から何度も蓋を開けられたため、湿らせた布が乾き始めている。
「真ん中がよいと言ったでしょう」
「昨年より、一本当たり銀貨二枚高くなります」
「そのくらいなら構わないわ」
「調査中のため、社交費の追加支出には当主の承認が要ります」
注文票が、伯爵の前へ回された。
「私が花まで決めるのか?」
「追加の支出を認めるかどうかです」
「前と同じ花でよいではないか」
「前回は左の品種です」
伯爵は三本を見比べた。
「どれも白い薔薇だろう」
「では、一番安い左でよいわ」
伯爵夫人が言うと、オクタヴィアが箱へ手を伸ばした。
「私は真ん中が好きよ。部屋にも飾ってほしいわ」
「お前の部屋は、茶会には使わないでしょう」
「離縁されたばかりなのよ。そのくらい、してくれてもよいじゃない」
「花を増やすなら、自分の分は自分でお頼みなさい」
伯爵夫人は花屋の紙へ、左の品種の番号を書いた。
「私、お金なんて持っていないわ」
「ベルモント家から持ってきた宝石があるでしょう?」
「あれは私の物よ。お花に使うために持ってきたのではないわ」
「なら、庭の花を飾ればよいでしょう」
「もう秋なのよ!」
伯爵は二人の間から注文票を取り上げた。
「左の品種、広間に二十四本、食堂に十二本、客室二部屋へ八本ずつ。これでよいな」
「玄関は?」
「まだあるのか?」
「お客様をお迎えするのよ。玄関に花がなくてどうするの」
「では、玄関にも八本だ」
「茶会とリュシアンのお客様が同じ日に来るわけではありません」
ローレン管理官が日付を示す。
「茶会は三日後。リュシアン様のお客様は明後日から三泊です。最後の一日だけ重なります」
「なら、そのまま使えばよい」
「客室の花を、茶会の朝に広間へ移すのですか」
「花は三日ももつだろう」
「では、最初に客室へ飾り、茶会当日の朝に状態を見て、使えるものを玄関へ移す。足りない分だけ追加する、と花屋へ伝えますか」
「それでよい」
伯爵が注文票へ署名した。
侍女はようやく紙を受け取り、薔薇の箱を抱えて文書庫を出ていった。
「……こんなことに、どれだけ時間を使わせるのだ」
伯爵は赤い束へ手を戻した。
「ヴェロニカが、最初からそのように決めておけば済んだ話だろう?」
「だから、《《今後はご自分たちで決めていただきます》》」
ローレン管理官が、緑の確認表をリュシアンの前へ置いた。
「こちらは、ご友人への返書です。セルジュ様の弟御をお迎えすること。従僕と御者の部屋を用意すること。到着予定時刻を知らせてほしいこと。ご署名を」
「それも俺が?」
「お招きになった方への返事です」
「分かった。後で書く」
「今日の便は、一時間後に出ます」
「一時間……」
リュシアンは友人への返書と、離縁の回答書を見比べた。
「どちらを先に書けばいい」
「私どもが決めることではございません」
モラン公証人は、回答書の横へ二週間後の日付を書いた。
「ただし、こちらは期限を過ぎても、手続きが消えるわけではありません」
「返事をしなければ、どうなるの?」
オクタヴィアが尋ねた。
「協議が成立しなかったものとして、次の手続きへ進みます」
「それでは、向こうの言い分だけで決められてしまうかもしれないわ」
自分の前に置かれた面会の返書には、まだ一文字も書かれていない。オクタヴィアはそれを脇へ寄せ、弟の回答書を指で叩いた。
「リュシアン。悪いことは言わないから、早く読んで返事をした方がいいわよ」
リュシアンは姉の紙と、自分の紙を見た。
「姉上も、まだ書いていないじゃないか」
「私は旅ができるか決めているところなの」
「朝からずっと?」
「あなたと一緒にしないでちょうだい!」
ローレン管理官が、卓の上の時計をリュシアンへ向けた。
今日の便が出るまで、あと五十六分。
リュシアンは友人への返書を手前へ引き寄せた。
離縁の回答書は、その下へ押し込まれた。




