第15話 六通目の中身
翌日、朝食の席に、灰色の封書はまだ置かれていた。
昨日、オクタヴィアお義姉様が手にしていたものだ。封は切られておらず、果物皿の横で、花瓶の敷物に半分隠れている。
「お義姉様。こちらは、お部屋へお持ちにならなくてよろしいのですか」
私が尋ねると、お義姉様は封書を見て、すぐ目を逸らした。
「ああそれ。あとで読むわ」
「大切な書状かもしれません」
「法律事務所の手紙なんて、どれも同じよ。返事を寄越せ、話し合いに来い、そればかり」
義母が心配そうに娘を見た。
「まあ! またエドモンからなの?」
「本人はもう直接私へ手紙も書いてくれないわ。全部、代理人任せよ」
「何でこと! 冷たい人ねえ」
夫婦の間を法律事務所が取り次ぐようになった理由には、誰も触れない。
「そうだな、オクタヴィアが傷ついていることくらい、分かりそうなものだが」
義父もコーヒーをゆったりと飲みながら言った。
「返事を急かすのは、よくないな」
「そうでしょうお父様?」
お義姉様は安心したように笑い、パンへ蜂蜜を塗った。
「向こうは私が元気になるまで待つべきなのよ! 私、今はまだ、向こうの家のことを考えるだけでつらいもの」
「では、代理人へ、そのようにお返事をなさっては?」
私が言うと、お義姉様の手が止まり、こちらをさっと見た。
「どうして?」
「お義姉様のお考えは、伝えなければ分かりませんし」
「待ってほしいと書けば、いつまで待てばいいのか、と聞いてくるでしょう?」
「その時は、期間を決めて話し合うことになります」
「だから、まだ話し合いたくないの!」
蜂蜜を塗ったパンが、皿へ戻された。
「ねえちょっと、ヴェロニカは、私を追い出したいの?」
「そのようなことは申しておりません」
「でも、向こうへ返事をしろ、子供に会いに行けって、そればかりでしょう?」
「私は二度ほど申し上げただけです」
「同じことよ」
義母が娘の腕へ手を添えた。
「もういいのよ、オクタヴィア。この話はやめましょう」
「ええ。全く朝から嫌な気分だわ」
お義姉様は給仕へ新しいパンを求めた。
そして、灰色の封書は、食事が終わっても食卓に残されたままだった。
*
昼前、ハーマン商会から使者が来た。
届けられたのは、橋に使う鉄具の価格表だった。封筒の中には、モラン公証人からの短い書き置きが挟まれている。
――ベルモント伯爵家側より回答あり。
――明日、前回と同じ時刻に。
書き置きはやはりその場で細かく破り、暖炉へ入れ、翌日、私は南の橋で使う鉄具の発注を理由に町へ出た。
商会の奥の部屋には、モラン公証人だけが待っていた。机の上には、灰色の封蝋が押された書類の束が置かれている。
「ベルモント家の代理人は、今もグレイ法律事務所でした」
挨拶を終えると、モラン公証人は一番上の書状を私へ差し出した。
「エドモン・ベルモント殿から、ランフォード家へ送った通知の写しも届いております」
「六通すべてですか」
「はい。受取記録と、配達人の証明も添えてあります」
一通目は、オクタヴィアお義姉様がベルモント家を出てから十日後に送られていた。
子供たちを残したまま家を出た理由を尋ね、戻る意思があるか確認するものだった。直接戻ることが難しければ、代理人を通して話し合いたいとも書かれている。
二通目は一か月後。
お義姉様がベルモント邸へ戻る必要はない。王都の法律事務所で面会し、別居中の生活費、子供との面会、今後の婚姻について話し合うよう求めていた。
三通目には、子供たちの近況が添えられていた。
――オスカーが高熱を出した。
――リリアナが夜に母親を探して泣いた。
――会いに来るなら、ベルモント領までの馬車と宿を用意する。
「これにも、お返事は?」
「ありません」
モラン公証人が答えた。
「四通目からは、文面が変わります」
四通目は、婚姻上の義務を放棄していると判断し、正式な離縁手続きを始めるという通知だった。
――子供との面会を希望する場合は、指定の日までに申し出ること。
――持ち出した宝飾品や衣装について、持参財産とベルモント家の財産を分けるため、一覧を提出すること。
回答期限は一か月。だが返事は出されていない。
五通目は、裁定の日を知らせる書状だった。
本人が出席できない場合は代理人を立てること。どちらもなければ、提出済みの証言と書類だけで審理すると記されている。
……お義姉様は、これも読まなかったのだろうか。
「最後の六通目は?」
「昨日、食卓に置かれていたものだと思います」
モラン公証人が別の写しを出す。最初に記されていたのは、裁定の日付だった。今から二か月前。
――オクタヴィア・ベルモントは、正当な理由を示さず婚家を離れ、夫からの再三の協議要請と、子供との面会提案に応じなかった。
――指定された審理にも出席せず、代理人も立てなかった。
――そのため、婚姻はすでに解消されたものとする。
――子供二人の養育権は、父であるエドモン・ベルモントに認められる。
――持ち出した品については、持参財産と認められたものを除き、期限までに返却すること。
――ベルモント家へ残した私物は、半年以内なら代理人を通して引き取ることができる。
私は日付をもう一度確かめた。つまりは。
「では、お義姉様は、もうベルモント夫人ではないのですか?」
「法的には、二か月前から、ですね」
お義姉様は昨日も、エドモン様が自分を待つべきだと話していた。
「ランフォード家へ、ほかに通知は?」
「裁定はオクタヴィア殿本人へ送られています。成人した既婚女性ですから、実家の当主へ知らせる義務はありません」
「では、お義姉様が封を開けなければ、誰も知らないままですか」
「受け取った記録がある以上、知らなかったという主張は難しいでしょう」
モラン公証人は書類を裏返し、次の頁を示した。
「そして、こちらがエドモン殿からの回答です」
――ベルモント家は、オクタヴィアお義姉様との復縁を望んでいない。
――子供たちとの面会については、裁定後も一度だけ機会を設ける意思がある。ただし、子供たちの生活を乱さないため、ベルモント領へ来て、代理人と養育係の同席を受け入れること。
――ランフォード家へ子供を預ける予定はない。
「……お義姉様は、子供たちがこちらへ来ることを考えているようでした」
「先方には全くその意思はありませんな」
「お子様たちは、今どうしているのでしょう?」
「エドモン殿が再婚されています」
思わず書類から顔を上げた。
「もう?」
「離縁裁定から一か月後に、婚姻の届けを出したそうです。相手は、ベルモント家の縁戚に当たるセシル夫人。以前に夫を亡くし、オクタヴィア殿が家を出たあと、子供たちの世話を手伝っていた方です」
「子供たちは」
「新しい夫人を慕っている、と」
モラン公証人は、そこで言葉を切った。
「で、この件は、今はオクタヴィア殿へ知らせないでください」
「なぜですか?」
「《《あなたが》》秘密裏に先方へ連絡したと知られます」
「ですが、お義姉様は自分がまだ妻だと思っています」
「六通目を読めば分かることです」
その書状は、食卓に置かれている。そして封を切らずにいるのは、お義姉様自身だった。
「エドモン様は、侯爵家の調査へ協力してくださいますか」
「はい。ランフォード家が、何の取り決めもないままオクタヴィア殿の生活費と買い物代を支払っていることにも驚いておられました」
「先方が支払うべきものだとは?」
「考えていないそうです。離縁前も、協議に応じることを条件に、一定の生活費を出す用意はあった。しかし返事がなく、金を請求されたこともない」
「お義父様たちは、向こうが娘を追い出したと思っています」
「エドモン殿は、追い出していないと証言しています。使用人の記録もある。オクタヴィア殿は朝食後に馬車を命じ、衣装と宝飾品を積み、子供たちには二、三日で戻ると言って出た」
「二、三日……」
それは初耳だった。
「ですが八か月、戻っていません」
書類には、出立した日の時刻、使った馬車、同行した侍女の名まで記されていた。
「この、お義姉様の侍女は、今もこちらにおります」
「そうですね、その方にも、いずれ話を聞くことになります」
「本人は、何も言っていません」
「聞かれていないからでしょう」
そう、誰も尋ねなかった。
義父も義母も、かわいそうな娘が戻ってきたと迎え入れたし、リュシアンも、姉が何から逃げてきたのか確かめようとはしなかった。
私は手元の書類を揃える。
「村長たちは、どうなりましたか」
「二人とも侯爵家の管理所へ出向き、申請書の控えを提出しました。北の村長は三年分、南の村長は二年分です」
「回答を受け取った記録は?」
「北の村は、あなたが出した調査開始の通知が一通。南の村には、あなたが嫁ぐ前の返書が一通だけ。その後はありません」
「では、領地側の確認も」
「始まっています」
モラン公証人はベルモント家から届いた書類を鞄へ戻した。
「領民代表と、オクタヴィア殿の元夫。必要な連絡はつきました」
「次は」
「あなたの仕事についてです」
机の端に、別の紙が三枚置かれた。
「家庭教師を探している家を、三つ探しました」
一つは王都の商家。一つは、侯爵領に近い騎士家。
最後は、王都から馬車で半日ほどの場所に領地を持つ男爵家だった。
「それでは、マルタと二人で雇ってもらえる家は?」
「この男爵家です」
モラン公証人が最後の紙を押し出した。
「妻を亡くした当主と、九歳の娘が一人。家庭教師に加え、子供部屋を見られる侍女を探している」
「私が伯爵家の夫人だったことは?」
「伝えます。領地と家政の実務経験も」
「離婚前でも、面会できますか?」
「先方は事情を承知した上で会うと言っています」
紙には、男爵家の名と、面会できる日が三つ書かれている。そのうち最も早い日は、五日後だった。
「行きます!」
答えると、モラン公証人は一度だけうなずいた。
「では、そのように手配しましょう」
屋敷へ戻る馬車の中で、男爵家の紙を読み直した。
九歳の娘――家庭教師――住み込み――マルタの雇用も可能。
まだ決まったわけではない。面会して、断られることもある。
それでも初めて、ランフォード家を出たあとの一日を具体的に思い浮かべた。
朝、子供と食事をして、授業の支度をする。領地の報告書ではなく、読み書きや歴史の本を開く。夜には、自分の仕事を終えて眠る。
……新鮮な想像だ。
*
屋敷へ戻ると、玄関広間の小卓に灰色の封書が置かれていたが、食堂から移されただけで、封は切られていなかった。




