第12話 ご本人がお答えください
侯爵家の視察から四日後、紋章入りの書状が届いた。
「アルマンド侯爵家領地管理局からでございます」
朝食を終えたところで、ハロルドが銀盆を義父の前へ差し出した。
「領地管理局? 橋の契約なら、ヴェロニカへ渡してくれ」
義父は封も確かめずに言った。
「旦那様ご本人へ、とございます」
「私に?」
ようやく新聞を畳み、封書を手に取る。蝋にはアルマンド侯爵家の紋章が押されていた。義父は裏返して差出人を読み、私へ渡そうとした。
「開けておいてくれ」
「これはお義父様宛てですから」
「家のことなのだから、同じだろう?」
「まずはお義父様がご確認ください」
義父は面倒そうに封を切る。中から出てきたのは書状一枚と、折り畳まれた書面が五部だった。最初の一枚を読み進めるうちに、義父の手が止まる。
「何だ、これは」
義母が身を乗り出した。
「橋のことで、何か問題があったのですか?」
「違う。領地運営について、確認したいことがあるそうだ」
「確認?」
リュシアンが食卓の向こうから尋ねた。
「先日の視察を受け、現状を正確に把握するため…… 当主、後継者、当主夫人、家令、家政婦長が、それぞれ回答せよとある」
「何だ、それなら、ヴェロニカが書けばいいじゃないか」
リュシアンは、さも当然のように言った。義父も書状をこちらへ差し出す。
「そうだな。お前なら、たいていのことは分かるだろう」
「では、拝見します」
書状を受け取り、初めから読んだ。
先日の橋と水路の視察を受け、ランフォード領の管理状況を確認する。回答期限は七日以内。各書面は、指定された本人が記入し、署名すること。
そして最後の一文には、下線まで引かれていた。
――《《代理人による回答および代筆は認めない》》。
「お義父様、これは私が書くことはできません」
「どうしてだ?」
「ご本人が回答するようにと書いてあります」
「内容を聞いて、お前がまとめれば同じではないか」
義父の言葉に、義母もうなずいた。
「そうよ。私たちは文章を書くことに慣れていないもの。ヴェロニカがきれいに整えてくれた方が、侯爵家にも失礼がないでしょう?」
「ここに、代理回答は認めない、とあります」
「細かいことを言うのねえ」
義母は果物を一つ口へ運んだ。
「それで、何を聞かれているの?」
五部の書面を分ける。最初は当主へ。
「お義父様には、過去五年間に領内から出された修繕申請と、その回答について。大きな支出を承認した理由。最後に領内の村を視察した年月日です」
「五年分だと?!」
「はい」
「そんな昔のことまで覚えておらんわ!」
「分からないものは、記録を確認なさってください」
二部目をリュシアンの前へ置く。
「リュシアン様には、次期当主として現在担当している職務。領地を訪問した回数。税収報告や修繕計画のうち、どの部分を確認しているかを」
「俺が?」
彼は書面を持ち上げ、数行読んだ。
「こんなもの、父上が当主なのだから、俺には関係ないだろう?」
「そのようにお考えなら、そうお書きください」
「書けるわけがないだろう!」
「では、現在あなたが実際に行っているお仕事をお書きになればよろしいかと」
「それは、お前が知っているだろう?」
「ですが私は、リュシアン様のお仕事をすべて把握しておりませんので」
「王都での付き合いも、家のための仕事だ」
「では、その王都での付き合いの内容をお書きください」
リュシアンは書面を食卓へ戻した。
三部目は義母へ渡した。
「お義母様には、屋敷の支出と慈善活動についてです。昨年の茶会に使った費用と、集まった寄付金。招待客と業者を選んだ方のお名前。今年の予算をお決めになった理由を」
「やだ、そんなもの、あなたが計算しているでしょう?」
「金額でしたらお渡しできます。ただ、招待客や菓子を選んだ理由は、お義母様にしか書けませんので……」
「皆様に喜んでいただくためよ」
「では、そのようにお願いいたします」
義母は扇を開いた。
「おおやだやだ。侯爵家は、慈善の心まで金額で測るおつもりなのかしら」
「そのあたりは、私には分かりません」
四部目はベネット、五部目はマーサの分だった。
「私の分はないのか?」
リュシアンが尋ねた。
「今、お渡ししました」
「そうではない。領地を管理している者として、お前への質問だ」
「ございません」
ヴァレール相談役は、私が何をしているかをすでに見ている。今、侯爵家が知りたいのは、私の働きではない。この家で責任を持つべき者が、何をしてきたのかだった。
「あら。実際に働いているヴェロニカへ聞かないなんて、おかしな話ね」
義母は本気で不思議そうに言った。
「橋のことも、水路のことも、あの方々へ説明したのはあなたでしょう?」
「はい」
「だったら、今回もあなたが答えればいいじゃない」
「私への質問ではございませんので」
義父は五枚の書面を見比べ、大きく息を吐いた。
「ともかく、必要な資料を用意してくれ」
「はい、資料はお渡しします」
「回答も、お前が考えておけ」
「それはできません」
「ヴェロニカ」
義父の声が少し強くなった。
「これは家の問題だ。《《皆で協力》》するべきだろう」
「はい。ですから、お義父様の回答にはお義父様がご協力ください」
義父の指が、食卓の上で止まった。
*
午前中、私はベネットへ、侯爵家から届いた書面を渡した。
家令への質問は、現在の領地管理の仕組み、指示を出している者、当主へ判断を求めた際の返答、記録の保管方法についてだった。
ベネットは初めから最後まで読み、椅子へ座り直した。
「これは、正直にお答えしてよろしいのでしょうか」
「もちろんです」
「しかし、旦那様にご迷惑が」
「事実を書いて迷惑になるなら、私が言葉を替えても事実は変わりません」
「若奥様がご覧になりますか」
「誤記がないかは確認します。ただし、内容は直しません」
「……承知しました」
ベネットは質問書の最初の欄へ、日付を書いた。
「若奥様」
「何です?」
「旦那様から、私に回答を作らせるようお話があるかもしれません」
「すでにございましたか」
「先ほど、書斎へ呼ばれました」
やはり、と私は呆れた。
「何と?」
「過去五年間の修繕申請について、私が旦那様の回答を作るように、と」
「それであなたはどうしました?」
「事実関係をまとめることはできますが、なぜ承認しなかったのかは、私には書けないと申し上げました」
「それで構いません」
「旦那様は、機嫌を損ねておられましたが……」
「それはベネットの責任ではありません」
「……はい」
返事をしながらも、彼の手はまだ質問書の上で止まっていた。
「これまでなら、若奥様が間へ入ってくださったでしょう」
「ええ」
「今回は、入られないのですね」
「入りません」
「分かりました」
ベネットはようやくペンを動かした。
*
午後には、マーサが書類を抱えて執務室へ来た。
「若奥様、奥様から、慈善茶会の回答を作るようにと言われました」
こちらもか、と更に呆れた。予想はしていたが。
「はい。過去の請求書と寄付金の記録は集めました。ですが、招待客を選んだ理由と、今年の予算については……」
「でもそれは、マーサが決めたことではありませんね。では、数字と書類だけ、お義母様へお渡ししてください」
「そのように申し上げたのですが、『毎年側にいたのだから分かるでしょう』と」
「分からないものは書けない、と伝えてちょうだい。それで構わないわ」
「よろしいのですか?」
「お義母様の回答に、マーサが署名することはできないでしょう?」
「もちろんでございます」
「なら、書くべきではないわ」
マーサは書類の角を揃えた。
「……若奥様」
「何です?」
「これは、先日の視察と関係があるのでしょうか」
「まあ、あるでしょうね」
「侯爵家は、ランフォード家をお調べになるおつもりで?」
「今はまだ、確認している段階です」
「若奥様は、ご存じだったのですか」
「さすがに、質問状が来ることまでは知りませんでした」
嘘ではない侯爵家が動く可能性は聞いていたが、いつ、どのような形で始めるかは知らされていない。
「だからマーサ、事実だけを書いてちょうだい」
「はい」
「私を庇う必要も、お義父様たちを庇う必要もないから」
「……分かりました」
マーサは一礼して出ていった。
*
さて、回答期限の前日になっても、家族の書面は集まらなかった。
義父は過去の申請書をベネットへ持ってこさせ、書斎の机へ積んだままにしているし、義母は慈善茶会の支出一覧を見て、「こんなにかかっていたかしら」と言ったあと、今年の招待状を選び始めた。
リュシアンなど、王都へ出かけ、二日戻らなかった。
期限当日の朝、私は食卓で確認した。
「侯爵家への回答は、本日発送いたします」
「もうそんな日か」
義父がコーヒーを飲みながら言った。
「私の分は、書斎にある。持っていけ」
「リュシアン様は?」
「昨夜、戻っただろう?」
夫を見る。リュシアンはパンをちぎり、皿へ置いた。
「書いた」
「では、食後にお預かりします」
「お前が少し直せ」
「内容に間違いがございましたか?」
「書けた文章が短すぎると思ってな」
「では、何とお書きに?」
「次期当主として、必要な時に父上を補佐している、と」
「具体的な職務は?」
「だからそれは、お前が足せばいいだろう」
少し苛々した調子で、彼は私に言った。
「ですが、私には書けません」
「税収の確認や、修繕計画を見ていることにしておけ!」
「実際にご覧になりましたか」
「これから見る」
「質問は、《《現在までに行ったこと》》についてです」
リュシアンがパンを皿へ投げた。
「こんなものを、そのまま送ったら、《《俺が何もしていないように見える》》だろう!?」
「ですが、私が書き足せば、事実と異なる回答になります」
「《《家のため》》だぞ?」
「侯爵家も、《《家の状況》》を確認するために質問なさっています」
「お前はどちらの味方なんだ」
食卓にいた者の手がぴたりと止まる。私は自分のカップを受け皿へ戻した。
「私は、事実を変えない方の味方です」
リュシアンは私を睨んだが、それ以上は言わなかった。
*
昼までに、五人分の回答がそろった。
ベネットとマーサの書面は、質問ごとに具体的な日付と記録の保管場所が添えられていた。
義父の回答には「修繕申請の内容は家令に任せていた、必要なものはヴェロニカへ処理させていた」と書かれている。そして「最後に村を訪れた時期は覚えていない」とあった。
義母の回答には「慈善茶会は社交上必要であり、費用の管理はヴェロニカへ任せている」と記されていた。寄付金より費用が多い理由については、空欄だった。
そして、リュシアンの回答はたった三行だけだった。
――当主である父を、必要に応じて補佐している。
――領地については、妻から報告を受けている。
――将来、当主となった際には責任を持って取り組む。
さすがにこれには目を少しだけ疑った。どの質問にも、具体的な仕事の名はない。だが事実ではある。
私は日付と署名があることだけを確かめ、それぞれを封筒へ入れた。
その時、執務室の扉が開いた。
「待て」
リュシアンが入ってくる。
「もう封をするのか?」
「はい」
「お前、俺の回答を見ただろう?」
「ええ、拝見しました」
「本当に、あれをそのまま送るつもりか」
「そのための回答書ですから」
「少しくらい整えろ」
「具体的に、どこを直せと?」
「だから、お前が考えればいいだろう!」
声が執務室に響いた。廊下の向こうで、誰かの足音が止まる。
私は封筒へ最後の一枚を入れた。
「これは、私がお答えする質問ではありません」
封蝋を垂らし、侯爵家へ返す書面を閉じた。




