43 優しい眠り
「……わっ!?」
ぱちっと私は目を覚ました。
ベッドの上で仰向けになって天井を見ている。え、天井? どこの部屋の? とびっくりして瞬く。自分の部屋だと気づいたとき、ばさりと毛布を跳ね除けて飛び起き、「ゆ、夢!?」力いっぱいに叫んでいた。おそらく、顔色は真っ青になっていただろう。
「違う」
けれども、すぐに聞こえた否定の声は、ベッドに腰掛けていた少年からだった。
「……ルー?」
「患者は全員目を覚ました。まあ、その後でリッカも倒れたものだから、騒ぎになったがな。病に罹患したのでないかと」
「そうなんだ……そう……あ、違うのよ。病にはかかってない。症状が違うから……」
どうにも心がふわふわしている。
だって、全部終わったのだ。一年目の冬に起きる困難を、私は防ぐことができた。
……でも、全然終わりじゃない。ベッドの上に座ったまま、ぎゅ、と毛布の端を握る。
一年目が終わったとしても、また次がある。寝ている暇なんてない。今すぐ起きて、次の対策を考えなきゃ。
移動して立ち上がろうとしたとき、ふいに伸びたルーの腕が、私のおでこに置かれる。え? とびっくりした瞬間、わずかな力で押されて、体がベッドの上に戻ってしまう。びっくりして息を吸うと、きちんと洗濯されたシーツの匂いがした。
「……えっと、ルー?」
「……ん?」
「ん、じゃなくて。おでこの手、どかしてほしいんだけど……」
「そうだな、一回寝てからな」
ルーに見下されたまま、困惑する。
「夜になったら寝るわ。だから今は……」
私の方が背が高いから、ルーの目線の方が上にあるなんて、初めてかもしれない。
まるであちらの方が年上のように優しく笑っているものだから、なんだか調子が狂ってしまう。彼はときどき、そういう顔をする。
額に置かれた手をどかそうとしたとき、はっきりと、ルーは私に告げた。
「リッカ、お前、今までまともに寝ていないだろう。ここに来てから――いや、俺と出会ってから、ずっと」
彼の言葉を聞いて、ゆっくりと目を見開く。
――……リッカ。馬車の中でもあまり寝ていないだろう。一度休んだらどうだ?
――『ううん。あんまり寝たいわけじゃないから』
――『……部屋に戻って、一眠りするくらい誰も咎めないだろう』
――『だいじょうぶ! 私ねぇ、寝なくっても元気なのが取り柄! ムッキムキ』
――『寝ちゃってたな……寝るのは、嫌いなのに』
「……なんで、わかったの?」
「逆に、どうしてわからないと思う?」
ルーは、ただ柔らかな口調だった。私は今、自分がどんな表情をしているのかわからない。
「近くで見ていればわかる。お前が、頑張り続けていることもな。何か理由があるんだろう?」
彼の手が、私の頭をそっとなでる。誰かに頭をなでられるなんて、一体どれくらいぶりだろう。もうわからないくらい、遠い昔のことなのかも。
「だが、今くらいは休め。大丈夫だ。起きるまで、傍にいる」
一周目の私は、あっけなく死んでしまったから。
今の人生が、私が死ぬ寸前のほんの少しの時間に見た長い夢ではないかと、誰が否定できるだろう。本当は、今この時間は夢の中にいるのではないかと、ずっと疑っていた。
眠ってしまえば、ここが夢だと気づいてしまうかもしれない。
怖くて、怖くて仕方なかった。
次に目を覚ましたとき、夢から覚めてしまったらどうしようと――。
いつしか、私は、声を押し殺して泣いていた。片手で顔を隠して、こんな情けない顔を見られないことを祈って。でも、その間も、ずっとルーは私の頭をなでてくれた。
「うん、眠れ。大丈夫だ。大丈夫だから」
子守唄のような、穏やかな声が耳元に届く。とっぷりと、落ちていく。
優しい眠りに、包まれていく。
目が覚めると、なんだか世界が変わっていた。
こんなにぐっすりと眠ったのは、どれくらいぶりだろうと思うほどで、不思議なくらいに頭がすっきりしている。そうすると、世界まで明るく感じてくる。
「……おはよ。ルー」
「ああ、おはよう」
約束通り、私が起きるまで枕元にいてくれたらしいルーへにこりと笑いかけると、彼も同じように笑った。
「よし! 元気になった! ちゃんと起きる。お腹も減ったし!」
「もういいのか?」
「うん!」
さあさあ、お色直しが必要ですよとルーを追い出し、ユフィを呼んでもよかったけれど、ささっと一人で着替えてしまう。そしてドアをあけると、廊下にはルーとエヴァンが並んでいた。
「リッカ様……! お体の具合は大丈夫なのですか!」
「ばっちりよ」
にかっと胸を張って返事をする。そのとき頭の中で、一つの声が重なった。
――あなたには誰も期待していないのです。何もしないでください。
冷たい瞳で、私を見下ろす冷酷な騎士の姿。過去の彼は、ずっと近くにいたはずなのに、まともに話すことすらままならなかった。
私の返事に安堵の息を吐いて、嬉しげに微笑む今の彼の姿とは似ても似つかない。
「り、リッカ様!? ルー様から目を覚ましたと聞きました! ああ、そんな! お一人で準備されてしまったのですか!?」
普段はお淑やかな私の侍女が、慌てて廊下を駆けつける。泣き出しそうな八の字眉毛は、いつだって変わらない。けれど、以前の彼女は私と目を合わせることすらなくて、いつも隅で怯えていた。
「……リッカ様! 心配しておりました……! あなたのおかげで、ファリス村は無事です。今も注意深く確認を続けておりますが、病の症状が出ている者は、誰もおりません」
グレイが遅れて到着する。
私を騙して、一人きりで闘っていた侍従だった。私と同じく、未来の彼は、たった一人で死んでしまった。
「…………」
どうしてだろう。ふいに、涙の膜が薄く瞳を覆って、視界を揺らめかせる。
私は、自分の居場所がほしくて、強い領主になると誓った。けれども、いつしかその考えが変わっていることに気がついた。
私はこの場所を守りたい。だからこそ、今ここに立っているのだ。
鼻の頭がわずかに熱くなって、ぐっと唇を噛み締める。息を吸い込む。にかりと笑う。
「――それは、いい知らせだわ! でもグレイ! まだまだ油断はできません。気を引き締めていくのよ!」
「……ええ! リッカ様!」
グレイは頷き、ユフィも、エヴァンも続く。ルーも、ふ、と小さく口元をほころばす。
泣くのはもう終わりだ。だって私はもう、とっくに一生分は泣き尽くした。
ならば、次にできるのは、前を向くことだけなのだから。




