44 姉、タニーマリア
「リッカは領地で随分努力しているそうではないか。だというのに、タニーマリア、お前と来たら……」
お父様の言葉を、私はただ頭を下げて粛々と受け入れるしかなかった。
目の前にいるのはエスターチェ国の王。正妃に権限のすべてを握られている愚かな男だ。
そのくせ、自身が無能であることに気づかない。私という娘の手のひらの上で転がされ、忠言であると嘯かれて、末王女を領主として辺境の地に送る間抜けな王。
私はこんな男のようにはなりたくなかった。だからこそ、箱庭のような閉ざされた王宮の中で、正妃を相手に神経をすり減らし、自身の立場を確立していた。
そのはずだったのに……!
「エヴァンだったか? 騎士からの報告は受けている。タニーマリアよ。イーリという女を使って、リッカの悪評を流そうなどと、どうしてそのようなことを……。いくら下賤の血を引くといっても、あれはお前の妹ではないか」
「そんな、まったくの勘違いでございます!」
イーリとは、ファリス村の領主館でメイド長を勤めていた女である。
今現在、イーリは王族を侮辱した罪人として、城の牢獄に繋がれている。
何もかも、計算外だった。
リッカを送り込むに当たって、私はファリス村の状況を入念に調べた。その中でイーリという女の存在を知った。イーリは前領主が死んだことで、自身の立場が揺らぐことを極端に不安に思い、怯えていた。だからこそ、私は教えてやったのだ。
『次の来る領主は、お前よりも下の立場である』と。
踏み潰してもいい存在であることを、丁寧に伝えてやっただけなのに。
たとえ事実とは異なろうと、あの気弱な女は言い返しもしないはずだ。そして、言い返す気力すら失わせるように、いじめて、いじめて、いじめ抜いてやれとも命じた。
リッカの顔を思い出し、私は怒りを抑え込むことができなかった。
この地獄のような王宮の中で、ただ一人関係ないという顔をして、のうのうと平和に暮らしていた女。あんな女が。私の妹などと、認めたくもない。
「リッカは、わたくしの大切な妹です! 誰が前領主の『妾』などと、嘘偽りを伝えましょう……! リッカをファリス村へと送ることをお父様に願ったのは、私のただ一つの姉心にございます! リッカはお父様の高貴な血を持つと同時に、平民の血を引いております。王宮にただ押し込むよりも、平民のもとへ送り届けた方が、よりリッカの心の平穏となるはずと、そうお伝えしたではありませんか!」
「う、むう……そうだったな……」
そう、私が何もしなければリッカは王宮でぬくぬくと暮らし続けていたはずだ。もしくは、立場ある臣下へ降嫁するか、人質として他国の王の側室として送られることになるか。
私はそのどちらも許せなかった。私がこんなに苦労して王宮を生き抜いているというのに、あの苦労ひとつ知らないような平和な顔をした女が、王族や貴族として扱われ生きていくことを想像すると、虫唾が走る。
「すべては勘違いにございます!」
「勘違いか……」
顔を上げ、お父様に懇願する。
私がこうして美しく涙を流せば、愚かな王はいつもころりと騙されてしまう。
今回も、そのはずだった。
「だが、証拠があるのだ。ファリス村のメイド長はタニーマリア、お前に命じられたのだと間違いなく証言している。さらにタニーマリアとお前を繋いだという人間も、エヴァンという騎士が、間違いなく調べ上げている」
びきり、と自身のこめかみに血管が浮き出るのを感じた。
「……それ、は」
エヴァン。それはリッカの護衛――いや、監視役としてつけた騎士だ。今回、イーリをわざわざ王宮に突き出したのも、この男だった。
余計なことを、とあまりの苛立ちに膝の上に合わせた手がぶるぶると震える。
命令通りに動く都合のいい男だと副騎士団長から聞いたからこそ、目をかけてやったというのに――!
「リッカは、画家ヨールの展覧会を開いて辺境伯との縁を繋ぎ、さらには発見した新たな植物で、領地の収益を増やしているそうだ。領民たちにも慕われているとか。さすが我が娘というもの」
どこか自慢げに馬鹿なお父様は頷く。
リッカが辺境の地へ行くまでは、存在すらも忘れていたくせに……!
「……まあ、よくできる妹を持ち、妬ましく思うこともあるだろう。今回ばかりは大目に見よう。お前も、リッカを見習うように」
あまりの屈辱に歪む表情を、頭を下げて隠すことしかできなかった。
謁見の場では、私とお父様以外にも、騎士や臣下たちが、その様を見つめている。
『リッカ様か……今までお名前を聞くことがなかったが、それほどの成果を見せているとは』
『ああ、タニーマリア様よりも、ご聡明であらせられるのかもしれない。辺境の地へ送ってしまうとは、もったいないことを』
『これ以上、王の不興を買うようなことがあれば、タニーマリア様は正妃殿下の後ろ盾を失う可能性すらあるぞ。我らも身の振り方を考えた方が……』
『しっ。口を閉ざせ。万一こんなことがお耳に入ったら……』
あんたたち、聞こえているのよ……! 噂をしている者たちの顔は、覚えたわよ……!
あまりの苛立ちに、歯ぎしりを繰り返す。しかし悟られぬように、必死に耐えた。
なんの知識もない、王城の隅で生きただけの女が、領主など務まるはずがない。せいぜい針の筵の中で逃げることもできずに、苦しみながら死ねばいいと思っていたはずなのに。
ふと、足元に一匹の蟻がいることに気づいた。
私は虚ろな表情で、惨めに床を這う蟻を見下ろす。
(……これだから、人任せはだめなのよ)
誰にも気づかれぬように、ため息をついて。
(私が受けた屈辱を、必ずそれ以上に返してあげる……)
靴の端で強く、強く、蟻を押し潰した。
***
「リッカ様、おはようございます!」
「……ほにゃ」
ユフィの元気な声に、しょぼしょぼと私は目を覚ます。抱き枕のように毛布を抱きしめていたからか、なんだか妙に寒い。寝ぼけ眼のまま顔を上げると、「もうすっかりお寝坊さんですね」と、ユフィがくすくすと笑っている。
「いや、昨日は少し夜ふかししちゃっただけで……」
ついつい、言い訳めいた口調になってしまう。以前は誰よりも早く目を覚まして、夜遅くまで起きていたのに。ちょっと気が抜けるとすぐこれだ。
でもいまだに眠るのは苦手だし、布団に入ると心臓が不安でドキドキする。
それでも、少しずつ眠る時間も増えている。いつかきっと、なんの心置きなく眠ることができる日だって来るに違いない。
もしかすると、それは二年以上先――私が死ぬはずのあの日を、越えてからかもしれないけれど。
「うわあ!」
そんなふうにベッドの上でぼんやり考え事をしていると、カーテンをあけたユフィが驚いたような声を出す。
「雪が降っていますよ、リッカ様!」
「通りで寒いと思った……」
ぶるっと震えつつ、服の上に羽織る枚数を増やす。
はしゃぐユフィの声に苦笑して、彼女の隣に並んだ。外は、一面の銀世界だ。
はらはらと、大粒の雪が降り落ちている。
「綺麗ですねぇ……雪の精霊が、踊っているみたいです」
「……ええ、そうね」
そのとき私は、一つの苦難を乗り越えたのだと、はっきりと意識した。
冬の始まりに訪れる病を打倒し、その先へと進むことができたのだと。
(まだ、たったの半年程度が過ぎただけ。私はあと、二年半を耐え切らなければいけない)
白く染まっていく美しいファリス村を見守り、ショールの端を強く握りしめる。
(闘い続けなければいけない。今度こそ、誰にも、何者にも騙されることなく)
そして、味方を増やすのだ。
少しずつ、力をつけて生きていく。
(――絶対に、生き延びて見せる!)
強く心に、そう誓った。
ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました!
こちらで1章は終了です。2章は準備中です。
もうしばらくよろしくお願い致します。
雨傘ヒョウゴ




