29(閑話) とある捻くれた商人の呟き
『カナッツ、知ってるか? 新しい女領主の話だよ』
ファリス領地に、新たな領主がやってきたという噂を聞いた。酒のつまみとして、飲み屋の席で隣に座る商人は、真っ赤な顔で語る。
なんでも新しくやってきた領主は女で、若くて、騙しがいがあって、金払いもいいという。
そうなのかい、そりゃあいい儲けだったねと相槌を打ちながら、商人のくせに酒を一杯奢った程度でペラペラと情報を口にするなど、馬鹿な男だな失笑した。
商人ならば、自身の情報にもっと確かな価値を見出すべきだ。
それはそうと、ファリスの新たな領主に関する噂は、まるで鴨がネギを背負っているような話ばかりだった。せっかくだ、儲けられるのならと俺もファリス領地に向かうことにした。
しかし、屋敷で女領主と対面して俺は自身の目を疑った。
文字通り、自分の『目』がおかしくなったのかと驚き、焦った。
――俺は、商人としてはまだまだ若手であり、未熟である。だというのに、どの商会にも属すことなく、個人で活動を続けている理由は、自身の『目』にある。『心眼』と名が付くスキルは、目の前にいる人間の情報を、俺の『目』に筒抜けにする。
よくある『鑑定』は物に対して使用できるのだが、俺の場合は人間相手に限定される。だが、相手の年齢、職業、適正の他、ある程度の感情まで覗き見ることができるのだ。
本来スキルとは神から捧げられた些細な力であることが多いが、些細などとんでもない。この力のおかげで、俺は吹き溜まりのようなクソのような世界を生き抜くことができた。
俺は、レア中のレアを引き抜いたというわけだ。
商人という職業は、まさに天職だった。相手の感情を覗き見て、不安を埋めるように商談を動かせば、あっさりと物は売れる。買い取るときも同じだ。相手の能力を確認し、さらに感情を読めば、間違いない品を手に入れることができる。『心眼』さえあれば、俺は絶対に間違わないと、信じていたはずだった。
『ふふ。許すだなんてとんでもない。どうぞお掛けになってくださいな』
そう言って笑い、俺の言葉に照れる、呑気な女。ファリスの女領主の第一印象はそれだった。しかしすぐに気がついた。『心眼』で、相手の内側を読み取れないことに。
まるで人生を繰り返しているかのように、情報が書かれているはずの文字が重なり、滲み、まともに読み取れない。
――本当に、人間かこいつ?
疑う感情の後で流れ込んだのは、恐ろしさ。女領主相手にだけではない、自身の能力の危うさを、俺は実感していた。いや、心の奥底ではもともと感じていたことだ。
『心眼』がなければ、俺はもしかすると商人として、下の下の存在なのではないかと。
あるのはただ、人間を見る目ばかりで、目利きとしての自分の腕に、自信が持てない。
質のいい品を手に入れても、本当に自分がいいものだと俺が思うから手に入れるのか、それとも、『心眼』に頼り切って、いいものだと思い込んでいるだけなのか、いつしかわからなくなっていた。
他人の天職はいくらでも『心眼』で覗き見ることができても、自分の天職は見ることができない。鏡を覗いたとしても、そこにはなんの文字も映さない……。
そんな不安が大きくなっていたとき、俺はあの絵に出会った。
とある商店の端の方で埃を被っていた、天才画家ヨールの手で生み出された絵画。贋作を買い取るなんて、酔狂なやつだと店主には笑われた。だというのに、俺の目には光り輝いて見えた。
だからこそ、絵の価値を誰もが気づくはずだと様々な商談に持ち込んだ。
しかしどの貴族も大商人も目にくれることなく、俺にとっては素晴らしい絵画を、ただのゴミとして扱う。自分でも、馬鹿らしい話だと思う。
俺自身の手で選んだ、輝くようなこの絵画を、いつか、誰かが価値を見出してくれるのではないかと、願い続けて――。
『こちら、いただくわ!』
その願った相手が、カモとして狙った女だとは思わず、つまらないものだと言葉を濁して動揺してしまったが。
『この絵は、ヨール・アステラッサの手によって描かれたものよ。お前が違うと否定したとしても、お前が持つ絵の価値を、私は認めます。金貨五十枚! それ以上は金貨一枚たりとて応じられません!』
銅貨三枚でもいい品に、価値を認めるという。
わけもわからぬくらいに、奇妙な喜びを感じていた。まるで、商人としてのお前を信じていると言われたような。横っ面を叩かれたような感覚……。
けれど、こんなもので心を許すわけはない。俺は商人だ。物事に価値を見出し、正しく商売をしなければいけない。絵画の売却を決めはしたが、それ以上の心の変化はないはずだと自身に言い聞かせていたとき、謎のアイコンタクトに気がついた。
外に出ていく際に、付いてこいと言わんばかりのジェスチャーをしながら女領主は俺を見つめた。
あんなに明らかな意図を感じるような目だったのだ。まさか意味がないわけがないだろうとこっそり部屋を抜け出し、侍従と女領主の後を追う。
『私は前領主様の時代から、長らく、領地の資金の着服を行っておりました。しかしその理由はリッカ様がご存じの通り、すべてはファリス村のためでした』
そして漏れ聞こえてきた内容に、顔を引きつらせる。
(おいおいおい。なんてやべーもんを聞かせるんだよ……。下手すりゃ、あの侍従どころか領主の首も飛ぶような話じゃねぇか。こんなもん知っちまった上で隠したら、俺だって危ねぇだろ……!)
まともな人間ならば、考えられない行動である。
(いや、まともではないのか……?)
廊下の曲がり角で、そっと顔を出す。すると、はたと女領主と目が合った。
慌てて身を隠し、再度様子を窺うが、何事もなかったかのように侍従と女領主は会話を続けている。
……まさか見られていなかった?
そんなわけはない。間違いなく、俺は女領主と目が合った。
これほど重要な話をしていて、ぼんやりしている間抜けが存在するわけがない。
会話をしている中でも、常に神経を研ぎ澄ませているはずだ。
そもそも、なぜ俺にこんなものを聞かせているのか。そこに意味などあるのか。
……あの女領主が意味のない行為などするわけがない。
(考えろ……この行動のどこに意味があるのか、考えろ……)
そろそろ俺も部屋に戻っておくべきだろう。急いでもとの場所に移動しつつ、いくつかの理由を整理していく。
自身の資金源が潤沢であることを俺に見せつけるため。
領主の代替わりで環境を一新したことをこちらに遠回しに主張するため。
どれも理由としては弱く、説得力に欠ける。それなら……。
(自身の現状を包み隠さず伝えることで、俺への信頼を伝えた?)
……そんな青臭い理由であるはずがない。
なんせ相手は、俺の『心眼』でも見破れないほどの、底が知れない女だ。けれども、なぜだろうか。ひどくしっくりとくる理由なような気もした。
先程の話し合いが嘘のように、侍従と女領主は穏やかな様子で戻ってきた。金については小切手を作ることに決め、大切に持ち続けていた絵画を俺は受け渡した。
絵画を手放すとき、きっといくばくかの寂しさがあると思っていたはずが、なんてことはない。ただ手の中から一つだけ、荷物が消えてしまっただけだ。
また新たな商いに赴くために、俺は屋敷を後にした。
馬車に乗って、馬の轡を引きながら、ふと、少しだけ振り返る。少しずつ、屋敷は小さくなっていく。
見ていたのは一瞬だけ。すぐに前を向いて、誰に聞かせるわけでもなく呟く。
「あの女領主……いや、リッカ様だったか。領主と商人という立場であったとしても、取り引きの場においては対等な立場。商人としての俺のプライドを信じる……だったか。散々言ってくれたもんだ」
そうだ、一番に信じなければいけないのは、俺自身だったのかもしれない。『心眼』に頼り切るあまりに、いろんなものを見失いかけていた。
絵画を通して、俺自身の価値をリッカ様が伝えてくれたように、俺も、自分自身の価値を信じるべきだろう。
「……そろそろ俺も、専属の取引先を作っておくべきかもしれないな」
秋の涼やかな風が、ささやくように通り抜けた。




