27 小娘だって舐めてんじゃねぇ、これは一周目の私の分だ!
ヨール・アステラッサ。
それは百年ほど前に生きた画家の名前である。彼の手で描かれた風景画は、見る者の心を震わせるといわれ、今もなお高い人気を誇る。カナッツが持ってきていた品も、画家ヨールの手によって描かれた絵だ。と、いっても未発表作であるため、絵の価値は従来のものと比べ、さらに跳ね上がる。まだ世間の誰も知ることがない、マニア垂涎の品である。
なぜ未発表作なのかというと、彼の風景画には本来、人が描かれることがない。しかし私の前にあるこの絵は、生き生きとした一本の木の下に、可愛らしい女の子がこちらを向いている。女の子は画家ヨールの一人娘だ。
あくまでも娘の成長記録として描かれたその絵は、長く市場に出ることはなかった。
突如市場に現れた絵だが、独特なタッチと残されたサイン、画家ヨールの娘の容貌、過去に住んでいた土地を合わせて、鑑定した人間たち全員は、間違いなく本物であると太鼓判を押した。時間軸でいうと、今から二年後のことである。
とある大貴族が大々的に発表し、見つけ出した商人の名とともに詳しいエピソードも添えられていた。見つけ出した商人とは――カナッツのことだ。
若き日のカナッツは、画家ヨールの絵を手に入れた後、貴族たちとの取り引きの際には必ず絵を持っていったと話していた。だというのに、くだんの大貴族以外は誰も絵の価値に気づかなかったのだと。
……どうして自分から売り出すことなく、相手の反応を待っていたのか?
ようは、カナッツは自分の客を試していたのだ。もちろん試された客の中には私も入っていた。
大貴族が発表した号外を知り、当時の私は目を丸くした。ちょうど、騙されて売られた本の中身が、まったく違うと気づいた頃でもあったので、とにかくカナッツに連絡を取らねばと躍起になったのだが、反応は梨の礫。大貴族というコネを手に入れたカナッツにとって、私など取るに足らない存在だったのである。
私や、多くの貴族を口先で騙し続け得た資金を足がかりにコネクションを作り、とうとう大貴族にまでたどり着いた悪徳商人――というのは少し言い過ぎなのかもだけど。
謎の本を売りつけられたとき、『領主として必要な心得のような雑学』を記載したと言っていたけれど、たしかに書かれていたのは雑学なので間違いではない。
領主として必要な心得というのも、人によって範囲が広いし……。嘘ではないけれど、本当でもないグレーな男。やり返したいかと聞かれると微妙なところだけど、カナッツ自身はどうでもよくても、『絵』だけは絶対に手に入れたい。私が知る限り、一番の有望株なのだから!
この先の目的のためにも、絶対に必要なものでもあるのだ。
「あ、ああ、その絵は……どうでしょう。つまらないものです。うっかり紛れ込んでしまったのかも……」
「絵のタッチに覚えがあるわ。これは約百年前の画家、ヨール・アステラッサによるものね。風景画のみ……人物を描かない彼の画風に対しては珍しいけれど、これはヨールの一人娘でしょう。端のサインも、間違いないわ」
オホホ! ぜ~んぶ、以前読んだ号外に載っていたことだけどね! でも深く突っ込まれるとわからないからね。絶対にやめてちょうだいね……なんて思っている私よりも、カナッツの方が動揺している。
「いや、それは……どうでしょう……」
普段の軽口すら忘れているみたい。商人のくせにやすやすと表情を表に出すってどういうこと? と訝ったが、彼はまだ二十代半ば程度の若造である。彼が大商人として名を馳せるようになるのは、これから二年後のことで、絵を売り飛ばした後だ。
(……ほほう?)
これなら私でもカナッツの足をすくえるかも、ときらんと目の端が輝いてしまう。
「あら。よく見たらサインの形がやっぱり違うかも。贋作かもしれないわね。けれど私、この絵をとっても気に入ったわ。つまらないものなら、買い取っても問題ないでしょう? ただの贋作だもの。銀貨三枚くらいで十分よね?」
「はあ!? ふざけてんのかよ!?」
銀貨百枚で金貨一枚の価値がある。さらに、画家ヨールの未発表作品ならば、金貨百枚でもいいくらいだろう。カナッツが思わず素の声を出してしまう気持ちはわかる。
とはいえ、商品として運び込んだのはカナッツだもの。それを私が買いたいと言ったのに拒否するのはおかしい話だわ。きっと、実際の私を見て、『こんな小娘に売るのは惜しい』と思ったんでしょうけど。ん? 考えてきたらなんだかムカムカしてきたわ。
「こほん、失礼いたしました。……リッカ様、この程度の絵をファリス領の領主様にお売りするなど、私の商人としてのプライドが許しません。リッカ様には、もっと素晴らしい品をご準備いたしますので……」
「そんなものは不要です。客がこの品がいいと言っているのよ。なぜあなたに否定する権利があるの?」
実際のところ、商人側に拒否する権利があるかないかといわれればあるだろう。
領主だからといって、なんでも金で買えるというわけではない。
わけでは――ないんだけど。
「それともお前は、自身の客を選ぶというの? 私とあなたは、領主と商人という立場であったとしても、取り引きの場においては対等だと思っていたわ。商人としてのお前のプライドを、私は信じていたのよ!」
もう自分でも何を言っているのかわからない。しかし感情だけはノリノリだった。
ぶっちゃけ、『小娘だって舐めてんじゃねぇ~~~~!』という全力パンチの八つ当たりである。これは一周目の私の分だ!
なのにどうしてかわからないけれど、カナッツは、はっとした顔で目を見開き、私を見つめた。なになに怖い怖い。八つ当たりバレちゃった? じゃあ対等なら今すぐ取り引きを終了して帰りますねとか言われたらどうしよう。そうなったら土下座するしかない。『売ってくださいごめんなさぁい!』とすがりつくしかない。こっちは最終的に命がかかってるんでね! いくらでもしちゃうわよ!
と考えつつも、できる限りプライドは保っておきたくはある。
「この絵は、ヨール・アステラッサの手によって描かれたものよ。お前が違うと否定したとしても、お前が持つ絵の価値を、私は認めます。金貨五十枚! それ以上は金貨一枚たりとて応じられません!」
金貨五十枚がギリギリだから! それ以上のお値上げは無理だから!
どさくさに紛れて、購入の決断を叫んでみたんだろうけど、さすがに無理だっただろうか? ビシッと私に片手を突きつけられて、カナッツはただ瞠目していた。ぶるりと唇を震わせて、すぐにどこか皮肉そうに口元を歪める。
そしてふと、優しげな瞳でこちらを見つめて微笑む。
「……認めるとまで言われたのなら、仕方がない。かしこまりました。ヨール・アステラッサの絵を、リッカ様。あなたにお譲りいたします……」
なぜか恭しい態度で、静かにカナッツは頭を下げる。
やったあ! と心の中で拳を振り上げると同時に、全然見当違いの会話をお互いしているような……と、不思議な気分になった。
でも別にいいわ! あっちの気が変わる前に、さっさと手に入れてしまわないとね!
私はちょっと待っておいてちょうだいな、とばかりにちらりとカナッツに視線を送った。彼はぴくりと片眉を上げる。『お金のことは大事ですからね』とばかりに、私はドアを見て、くいと顎を向けた。
金貨五十枚となれば大金だ。こんな小さな領地の屋敷で、本来ならぽんと渡せる額ではない。本来なら、だけど。
私がいそいそと応接室の部屋から出ると、すぐにグレイもついてくる。振り返ってグレイの顔を確認すると、まさに顔面蒼白、という言葉が似合いすぎるくらいだった。
「どちらに行かれるのですか」
「執務室よ。資金の担保にできそうなものはいくつかあるもの」
こつこつと廊下を進む。私は軽く話しているように見せかけて、慎重に周囲を確認する。
よし、誰も人影はいない。
「どうかしたの? さっきからとっても顔色が悪いけれど」
「リッカ様……! 金貨五十枚などと、どこからそんな金を出すとおっしゃるのですか!」
私は遊ぶように反転し、グレイを見上げた。場所も選ばず大声を張り上げるグレイを見て、彼でもこんなに焦ることがあるのね、となんだか面白くなってしまう。
そりゃそうよね。グレイだって人間だもの。
――人間だから、着服だって王家にバレて、あっさりと処刑されてしまうのよ。
「あるじゃない。そこに。……あなたが一番知っているでしょ?」
私は片手を背に回して一歩踏み出す。そして、とん……とグレイの左胸を人差し指でついた。わずかな間の後、大げさなほどにグレイが息を呑み込む。
うん、よかった。伝わったみたいね。
ただただ、私は微笑んだ。




