24(閑話) 護衛騎士エヴァンの呟き
辺境の地に訪れる末王女の護衛のために王都の騎士団から離れるという命令。
たとえ王族の護衛という名誉な仕事であったとしても、それは俺にとって、左遷以外の何者でもなかった。
王都近辺の有力貴族であるランカス家の三男坊として生まれた俺の選択肢は、どこか他家に婿入りするか、もしくは王家に仕える騎士になるかの二択しか存在しなかった。長男、次男のように家を盛り立てていくような器用さが自身にないことは知っていた。だからこそ、迷うことなく王家の騎士となったが、案外性に合っていたらしい。
上司の指示のままに行動し、ときにはそれ以上の成果を上げる。求められるものはただそれだけ。騎士である以上、誰もが立場が同じ。年齢も、貴族としての立場も関係ない。
……そう信じていた中で唐突に言い渡された任務に、目の前が暗くなった。
『エヴァン。君にだからこそ、頼むのだよ』
副騎士団長にささやかれた言葉に、眉をひそめる。
『とある方から末王女を監視するようにと命じられている。何かあれば逐一報告するように』
騎士団長は俺の肩を叩き、笑みを浮かべて話した。
曖昧に伝えられた内容だったが、王族の監視を願う者など、同じ王族以外にありえない。
王族からの依頼――そのことを聞いて、俺はさらに心が冷たくなっていくのを感じた。
結局はどこにいようと、上の立場の意思ひとつで翻弄されるだけと気づいてしまった。
……貴族として生まれた以上、もともとわかっていたことを、はっきりと理解しただけかもしれない。そして末王女であるリッカ・エスターチェといえば、王族の中でも厄介者として扱われているのは、城では周知の事実だった。
末王女を幾度か見かけたことがあるが、誰に馬鹿にされようとも気づいてすらいないのか、穏やかな笑顔を浮かべるだけの、つまらない王女といった印象しかない。誰の邪魔にもならないよう生きているだけのような、毒にも薬にもならない存在のような。
だから、初めてリッカ様とまともに話をしたとき。
『……エヴァン・ランカス……?』
自身の名を呼ばれ、ライラックのような薄紫の瞳と目が合い、まるで別人を相手にしているかのような、奇妙な感覚があった。
俺はリッカ・エスターチェという少女の、何を知っていたつもりだったのだろう。
金が盗まれることを、事前に知っていたかのような見事な機転。
見ず知らずの子供をなんの打算もなく助ける慈悲。
彼女はファリス騎士団の団長を相手にも、襲いくる刃に怯えることなく、ただまっすぐに前を見ていた。……盛大な啖呵を吐いて挑発していたのだ。武器を持った相手がそれを使用しないなどと、聡明な彼女がお花畑のような考えでいたはずがない。
……俺は今までのことを、リッカ様の部屋の前で門番のように立ち、静かに思い起こしていた。もうすでに、心の内では気づき始めている。
(リッカ様は無能な厄介者ではない。城ではあえて道化を演じていただけだ……)
リッカ様は末王女。王位を継ぐ可能性はほぼゼロといってもいい。
そんな中で、自身の有能さを見せるのはマイナスにしかならないだろう。
無能であり、取るに足らない存在とあえて周囲に思わせることで、このような辺境の地にリッカ様は送られた。しかし、それすらも彼女の本来の目的なのではないだろうか。
現に、リッカ様は会ったばかりの使用人たちの名をご存じだった。
それは、この地を事前に調べ、領民たちの暮らしを嘆き、心を砕いていらっしゃった証拠に他ならない。ファリス村も僻地ではあるが、エスターチェ国の一部なのだから。
リッカ様は、エスターチェ国すべての住人の幸せを願い、そして身を犠牲にしてでも行動し続けていらっしゃるのだ。
……耳の端が、とにかく熱い。俺は、はっきりとした羞恥を感じていた。
『別に、まったく気にならないわ。百の利益があるのなら、悪役にでもなんでもなってやるってもんよ』
そうはっきりと言い切り、細い体で前を向く彼女が痛々しかった。
傷ついてなどいないのだと自分に言い聞かせているような、なんてことのない口調だったことが、さらに憐憫を増した。俺は彼女の横顔を思い出し、自身の浅慮を恥じた。
(……俺は、リッカ様の完璧な味方にならねば。勘違いをされやすい彼女を、守るために)
リッカ様とお話ししていると、心臓がなぜか奇妙な動悸を起こすことがある。
そのため、もともと険しい顔だと人に言われやすいこの顔を、いつも以上に引き締める必要があるときも多い。
おそらく、彼女を心の底から尊敬しているからこその心臓の動きなのだろう。こんな感情は今まで他者に持ったことがないので、自分でも不思議だ。
ふう、とゆっくりと息を吐き出し、背筋を正す。
領主の館はそれほど使用人の数は多くないため、すれ違う者は少ない。だが、気をつけるに越したことはないだろう。
そのとき、背後のドアが微かな音を立てて開いた。
「あ」
ドアの隙間から、ひょっこりと薔薇色の髪が覗いた。こちらを見上げて小さな口をあけ、ぱちぱちと薄紫色の目を瞬かせる。その色を見ると、ふいに心の中を柔らかな感情が彩る。
しかしすぐに表情を硬くさせ、彼女を見下ろす。
「リッカ様。どこかにお出かけでいらっしゃいますか」
「そういうわけではないけれど……誰かの気配がしたように思ったから。エヴァンだったのね」
「はい。自主的に護衛の任に当たらせていただいております」
「うーん。けど、今は屋敷の中だし……。エヴァンにはファリス騎士団の指導役とか、色々と頼んでいることがあるから、休めるときには休んでいいのよ」
たしかに、自身の体が二つあればと願いたくなるときは多々ある。
けれど、こればかりは頷けない。
「いいえ。可能な限り、俺はあなたの傍にいたいのです」
ただ普通の返答をしただけのつもりだったのに、リッカ様はたいそう不思議そうな顔をされた。なぜなのか、まったくもってわからない。
「そ、そう……。それなら別にいいけど……」
リッカ様は、なぜかとても困惑したようなお顔だった。
「……どうかなさいましたか?」
「どうかしているのはそっちというか……あ。もとに戻ってる。よかったわ」
「……もとに戻っているとは?」
このときの俺は、自身がとんでもなく甘く優しい表情で、『傍にいたい』と彼女に伝えていたことなど、知りもしなかった。
いつか自分が、別の羞恥に悶えるであろうことも、もちろん予想だにしていなかった。




