第68話「 回転寿司では、皿の数で戦わないでください」
町内清掃が終わった翌日。
朝比奈邸のダイニングで、ユウトは一枚の紙を眺めていた。
「……回転寿司の割引券?」
紙には、街の駅前にある回転寿司店の名前が印刷されている。
その下には、大崎会長の丸い字でメモが添えられていた。
『町内清掃のお礼に。みんなで行っておいで。よく食べる若い人には寿司が一番。 大崎』
ユウトは少し笑った。
「会長、ほんとにいい人だな」
サッちゃんが横から身を乗り出す。
「ご主人様。回転寿司とは、食料が自動で搬送される施設のことでしょうか」
「言い方は間違ってないけど、もう少し楽しく言ってほしい」
リナは割引券を受け取り、冷静に確認した。
「五名まで使用可。会計から二割引。利用期限は今週末まで。悪くないわ」
メグミが手を上げる。
「はい、行きたいです。私は普通にお寿司が食べたいです」
「普通に、を強調したわね」
「前回の町内清掃で、普通のありがたみを知ったからね」
ミナミが地下ラボから顔を出す。
「回転寿司かあ。注文端末のレスポンスとか、レーンの制御とか、気になるよね」
「食べる前に店のシステムを評価しないで」
ユウトが言う。
サッちゃんは真剣な顔で拳を握った。
「ご主人様。サッちゃん、食事任務に参加いたします!」
「もう任務から離れて」
メグミが即座にツッコんだ。
◇
日曜の昼。
駅前の回転寿司店は、家族連れや学生で賑わっていた。
レーンには、まぐろ、サーモン、えび、たまご、いくら。
色とりどりの皿が、ゆっくりと店内を回っている。
サッちゃんは席に着くなり、目を輝かせた。
「ご主人様……食料が隊列を組んで巡回しています」
「寿司が回ってるだけだよ」
「これほど整然とした補給ラインは初めて見ました」
「補給ラインじゃないって」
メグミはタッチパネルを手に取り、軽く笑った。
「サッちゃん、最初は何食べる?」
「ご主人様のおすすめを」
「じゃあサーモンとか?」
「サーモン、了解しました」
サッちゃんは流れてきたサーモンの皿を、まるで任務物資を受領するように両手で取った。
リナは座るなり、皿の色と価格表を確認していた。
「一皿百二十円、百八十円、三百円。金色の皿は高額枠。サッちゃん、その皿は一度戻して」
「金色は危険なのですか?」
「会計上の高危険皿よ」
メグミが箸を持ったまま固まった。
「高危険皿って何?」
「外食費を乱す皿よ」
「寿司屋でも用語が強い」
ミナミはタッチパネルをじっと見ていた。
「この注文端末、反応いいね。注文履歴のUIも見やすい」
「レビューしに来たの?」
ユウトが言うと、ミナミはにこっと笑った。
「いや、分解してないからセーフ」
リナが即答する。
「分解しようとしたら止めます」
「まだ何もしてない」
「あなたが“反応いい”と言った時点で警戒対象よ」
ユウトはお茶を入れながら苦笑した。
「今日は普通に食べよう。町内清掃の打ち上げみたいなものだし」
「そうそう。今日は平和にお寿司を食べる日」
メグミが笑顔で言った。
その三分後。
サッちゃんの前には、空になった皿が五枚積まれていた。
メグミは箸を止めた。
「早くない?」
サッちゃんは真面目に頷く。
「サーモン、まぐろ、えび、たまご、いか。基礎補給を完了しました」
「まだ開始三分だよ?」
リナは皿の枚数を見て、手元のメモに何かを書いた。
「サッちゃん、一人十五皿を超える場合は報告して」
「十五皿ですか?」
「予算管理上の節目よ」
メグミが小声で言う。
「寿司屋で節目って言葉、初めて聞いた」
その時、隣の席から静かな視線が飛んできた。
◇
隣のカウンター席に座っていたのは、小柄な女性だった。
淡い白いパーカーに、ゆるくまとめた髪。
見た目は穏やかで、どちらかといえば小動物のような雰囲気がある。
しかし、その前に積まれた皿の枚数だけは、まったく小動物ではなかった。
皿が、塔になっていた。
メグミが小声で言う。
「え、あれ何枚?」
ユウトが目を細める。
「二十……いや、もっとある?」
店員が慣れた様子で声をかけた。
「マシロさん、追加の炙りサーモン五皿です!」
「ありがとうございます」
女性はにこりと笑い、丁寧に頭を下げた。
リナがわずかに目を細める。
「飯田マシロ。テレビの大食い番組で見たことがあるわ」
メグミが驚く。
「えっ、有名人?」
「回転寿司チャレンジ三連覇。別名、“白米のマシロ”」
「名前の圧がすごい」
その飯田マシロが、サッちゃんの皿を見て立ち上がった。
そして、まっすぐサッちゃんを見る。
「あなた……食べられる人ですね」
サッちゃんも、なぜか真剣な顔で立ち上がった。
「はい。任務に必要な補給は怠りません」
ユウトは即座にサッちゃんの袖を引いた。
「その返事、大食いバトルを受ける流れだからね」
マシロは静かに微笑む。
「よければ、少し勝負しませんか?」
「勝負?」
サッちゃんの青い目がきらりと光った。
「サッちゃん、勝負と聞いて逃げるわけにはいきません」
「逃げて。寿司屋では逃げて」
メグミが真顔で言った。
「私のツッコミ筋、昨日の町内清掃からまだ完全回復してないんだけど」
リナは手元の割引券と価格表を見た。
「待ちなさい。勝負内容によっては、外食費上限を超えるわ」
マシロは穏やかに説明する。
「制限時間十分。好きな皿を取って食べる。ただし、食べ方はきれいに。残したら失格です」
サッちゃんは胸に手を当てた。
「食材を残すことはありません」
ミナミが面白そうに身を乗り出す。
「いいね。皿数カウント用に簡易センサーを――」
「作らない」
リナが即座に止めた。
そこへ、店長らしき男性がやってきた。
「お客様、もしよろしければ店内ミニイベントにしましょうか。飯田マシロさんがいらっしゃる日は、よく盛り上がるんです」
ユウトが目を丸くする。
「盛り上がるんですか?」
「ええ。もちろん、お代は通常通りですが」
リナの目が一段冷たくなった。
「重要な情報を最後に出したわね」
メグミが小声で言う。
「リナさんの監査スイッチ入った」
サッちゃんはユウトを見た。
「ご主人様。参加許可をいただけますか」
「え、俺?」
「はい。朝比奈邸の名誉に関わる補給勝負です」
「たぶん関わらないよ」
マシロは柔らかく笑った。
「大丈夫です。勝ち負けより、美味しく食べることが大切ですから」
その一言に、サッちゃんは少しだけ表情を緩めた。
「なるほど。美味しく食べる勝負……」
リナはため息をついた。
「上限を決めるわ。二人とも、三十皿を超えた時点で私が止める」
マシロが目を瞬かせる。
「三十皿で止めるのですか?」
「会計は勝負より重要なの」
メグミが小さく拍手した。
「名言出た」
◇
勝負は、店内の小さな拍手とともに始まった。
マシロは静かだった。
流れてくる寿司を選び、醤油を少しだけつけ、丁寧に口へ運ぶ。
速い。
だが、所作が美しい。
まるで食べることそのものが競技のようだった。
「まず白身で流れを作ります。次に赤身。脂は中盤以降です」
マシロが淡々と言う。
メグミが目を細めた。
「寿司に戦略がある」
サッちゃんは真剣に頷いた。
「勉強になります」
「そこで学ばないで」
ユウトが即座に言った。
一方、サッちゃんも真剣だった。
「サーモン、補給。まぐろ、補給。えんがわ、補給」
「補給って言わない!」
メグミがすぐにツッコむ。
ユウトは皿を数えながら、少し青ざめていた。
「サッちゃん、ちゃんと味わってる?」
「もちろんです。ご主人様。サーモンは脂の広がりが見事です。まぐろは落ち着いた旨味。たまごは甘く、補給後の精神安定に向いています」
「意外とちゃんと食レポしてる」
マシロはサッちゃんを見て、嬉しそうに笑った。
「食材への敬意がありますね」
「ありがとうございます!」
「でも、まだ余裕がありそうです」
「マシロさんこそ、皿の積み方に隙がありません」
「皿の積み方?」
ユウトが聞くと、マシロは淡々と答えた。
「崩れないように、重心を意識しています」
メグミが目を細める。
「大食いって、そこまで技術いるんだ……」
サッちゃんはマシロの皿の塔を見つめた。
「なるほど。皿塔、再構築が必要ですね」
「寿司屋で塔の再構築しないで」
メグミの声が、少しだけ疲れていた。
その時、タッチパネルが鳴った。
注文品が、新幹線型の高速レーンに乗って滑ってくる。
サッちゃんの目が輝いた。
「高速補給便です!」
「注文品だよ」
ユウトが言う。
マシロは真剣に頷いた。
「あれは速度があるぶん、取り逃がすと流れが乱れます」
メグミが両手で頭を抱えた。
「大食いの人もそこまで見てるの?」
ミナミは端末を出しかけた。
「高速レーンの速度データ、ちょっと取りたい」
リナが無言で見る。
「取らないよ。見るだけ」
「見るだけで済んだ試しがある?」
「ないね」
「自白が早いわ」
店内の子どもが声を上げた。
「お姉ちゃんたち、すごーい!」
サッちゃんは笑顔で手を振りかけたが、その瞬間、皿が流れてきた。
「失礼します。補給対象、通過中」
「子どもより寿司を優先した」
メグミが言う。
リナは冷静に皿数を数える。
「サッちゃん、二十二皿。マシロさん、二十四皿」
ユウトが驚く。
「もう?」
サッちゃんの額に、うっすら汗が浮かぶ。
だが、その目は輝いている。
「強敵です」
「寿司屋で言わないで」
マシロは小さく頷いた。
「あなたも、とても良い食べ手です」
「食べ手って言葉、初めて聞いた」
メグミのツッコミが追いつかなくなってきた。
◇
勝負開始から八分。
皿の塔は、明らかにおかしな高さになっていた。
周囲の客がちらちらと見ている。
店員も楽しそうに追加皿を運んでくる。
店長は、なぜか小さなホワイトボードまで持ってきた。
リナが即座に言う。
「店長。正式イベント化するなら、事前説明と会計条件の明示が必要です」
「す、すみません」
メグミが感心する。
「リナさん、店のイベントも監査してる」
ミナミは楽しそうに言う。
「このままなら二人とも三十皿超えるね」
「超えさせないわ」
リナはきっぱりと言った。
サッちゃんは流れてきた炙りえびを取る。
「炙りえび、確保」
マシロは同時にいくらを取る。
「いくら、いただきます」
ユウトは皿の数を見た。
「サッちゃん、二十九」
メグミがマシロの皿を数える。
「マシロさんも二十九!」
店内が少しざわつく。
サッちゃんとマシロは、同時に次の皿を見た。
まぐろ。
一皿だけ。
レーンの上を、ゆっくりと流れてくる。
サッちゃんの指先が伸びる。
マシロの箸も、まぐろへ向かう。
ユウトが思わず息を止めた。
メグミも固まった。
店長のホワイトボードのペンが止まる。
その瞬間、リナの声が落ちた。
「終了」
サッちゃんの手が止まる。
マシロの箸も止まる。
まぐろの皿だけが、何事もなかったように通り過ぎていった。
「リナさん?」
サッちゃんが振り向く。
「三十皿目に到達する直前。ここで終了よ」
マシロが静かに言う。
「勝負の途中です」
リナは一切揺れなかった。
「会計は勝負より重要なの」
店内が、なぜか静かになった。
メグミがぽつりと言う。
「二回目でも強い」
サッちゃんは少しだけ名残惜しそうに、流れていくまぐろを見つめた。
「ご主人様……」
ユウトは苦笑する。
「リナの判断が正しいと思う」
ミナミが言う。
「まあ、このままだと外食費がレーンの向こう側に行くからね」
「その表現は嫌だな」
マシロはしばらくまぐろを見ていたが、やがてふっと笑った。
「分かりました。勝敗は預けます」
サッちゃんは姿勢を正す。
「飯田マシロさん。素晴らしい補給技術でした」
「サッちゃんさんも、素晴らしい食べ方でした」
メグミが小声で言う。
「補給技術って褒め言葉なのかな」
ユウトは苦笑した。
「サッちゃんにはたぶん褒め言葉」
◇
勝負は、引き分けということになった。
正確には、リナによる会計停止。
だが、店長は満足そうだった。
「いやあ、盛り上がりましたね。お客様、ありがとうございました」
リナは伝票を受け取る。
「では、二割引を適用してください」
「もちろんです」
メグミが伝票をちらっと見て、少し固まった。
「……二割引って、ありがたいね」
ユウトも頷く。
「うん。ほんとに」
ミナミは最後にデザートメニューを見ていた。
「プリン、頼んでもいい?」
リナが伝票から目を上げる。
「自費なら」
「今日はやめとく」
「判断が早い」
サッちゃんは、マシロと並んで店の外に出た。
マシロは穏やかに微笑む。
「今日は楽しかったです。またどこかで勝負しましょう」
「はい。次は、より美しく、より正確に食べます」
「サッちゃん、方向性が競技になってる」
ユウトが言うと、マシロは小さく笑った。
「でも、大切なことです。たくさん食べることより、美味しく食べること。今日はそれができました」
サッちゃんは真面目に頷いた。
「はい。寿司は補給物資ではなく、美味しくいただくものなのですね」
メグミが即座に言う。
「そこ、今さら?」
「でもいい学びだよ」
ユウトが笑う。
リナは伝票を財布にしまいながら言った。
「次回から、外食時の大食い勝負は禁止事項に追加するわ」
ミナミが手を上げる。
「じゃあ、食べ放題なら?」
「対象外に見せかけた危険領域ね。別途審査」
「外食が制度化されていく」
メグミが苦笑した。
サッちゃんは店の看板を振り返り、深く一礼した。
「本日は、美味しい補給――いえ、お食事をありがとうございました」
「言い直せたね」
ユウトが言う。
サッちゃんは少し照れたように笑う。
「はい。学習しました」
町内清掃の翌日の回転寿司は、普通の打ち上げになるはずだった。
けれど、朝比奈邸が座れば、レーンの上の寿司でさえ、なぜか勝負の舞台になる。
皿の数で戦ってはいけない。
それはこの日、朝比奈邸の外食ルールに新しく追加された。
【第68話・完】




