第69話「 護衛任務は遊園地デート」
回転寿司騒動から数日後。
朝比奈邸のリビングで、サッちゃんが一枚の封筒を両手で持ち、きりっとした顔で立っていた。
「ご主人様。新たな任務が発生しました」
「今度は何?」
ユウトが身構えると、サッちゃんは封筒の中身を取り出した。
そこには、カラフルなイラストが描かれたチケットが二枚入っていた。
「駅前商店街の抽選会にて、遊園地ペアチケットを獲得しました」
「すごいじゃん」
「はい。つきましては、ご主人様に同行をお願いしたく」
「俺?」
サッちゃんは真剣な表情で頷いた。
「遊園地という不特定多数が集まる大型娯楽施設における、安全確認および護衛任務です」
その場にいたメグミが、飲んでいた紅茶をそっと置いた。
「それ、普通にデートだよね」
サッちゃんの動きが止まった。
「……デ」
「で?」
「デ、デー……」
サッちゃんはチケットを持ったまま、耳まで赤くなった。
「デートではありません。護衛任務です」
メグミはにこにこしながら首を傾げる。
「でもペアチケットだよ?」
「二名一組で行動する必要があるためです」
「遊園地だよ?」
「娯楽施設の警備状況を確認する必要があります」
「ユウトくんと二人で行くんだよね?」
「…………」
サッちゃんは、完全に沈黙した。
ユウトも少しだけ頬をかく。
「まあ、せっかくだし行こうか。サッちゃんが当てたんだし」
「ご主人様……」
サッちゃんがぱっと顔を上げる。
その瞬間、リナが手帳を開いた。
「出発は午前九時。帰宅予定は午後六時。食事代と交通費は上限を設定。アトラクション内での過剰防衛は禁止。施設設備への介入も禁止」
ミナミがソファの後ろから小さな機械を差し出した。
「じゃあこれ、二人の相性測定装置」
「不要よ」
リナが即答した。
「まだ説明してない」
「名称だけで不要と判断できるわ」
ミナミは残念そうに装置を引っ込めた。
「ちなみに心拍数、距離、会話の間、視線滞在時間を総合して――」
「不要よ」
「二回言われた」
メグミはサッちゃんの肩にそっと手を置いた。
「サッちゃん。今日は護衛任務じゃなくて、ちゃんと楽しんできなよ」
「楽しむ……」
「そう。ユウトくんと二人で」
サッちゃんは一瞬だけユウトを見た。
そして、すぐに視線を逸らす。
「ぜ、善処します」
「仕事っぽいなあ」
メグミが笑う。
ユウトはチケットを見ながら、少しだけ苦笑した。
「じゃあ、明日行こうか」
「はい!」
サッちゃんは勢いよく返事をした。
その顔は、任務を受けたメイドのものだった。
けれど、握りしめたチケットの端だけが、少しだけ震えていた。
◇
翌朝。
駅前で待ち合わせをしたユウトは、改札前で思わず足を止めた。
サッちゃんは、いつもの戦闘メイド服ではなかった。
白いブラウスに、淡い青のカーディガン。
膝丈のスカートに、歩きやすそうな靴。
金色の長い髪は、少しだけゆるくまとめられ、リボンで留められている。
普段のサッちゃんは、どこに立っていても「戦闘メイド」だった。
けれど今日の彼女は、違った。
強そうなのに、少しだけ緊張していて。
凛としているのに、どこか落ち着かなくて。
ユウトは一瞬、声をかける言葉を忘れた。
「……サッちゃん?」
「はい。サッちゃんです」
サッちゃんは背筋を伸ばしたまま答えた。
「変、でしょうか」
「いや、全然」
ユウトは慌てて首を振った。
「すごく似合ってる」
そう言ってから、自分の声が少し上ずっていたことに気づく。
サッちゃんは一瞬だけ目を見開いた。
それから、視線を落として小さく言う。
「ありがとうございます」
その声は、いつもの元気な声より少しだけ小さかった。
「今日はメイド服じゃないんだね」
「リナさんから、遊園地における過度な戦闘服装は周囲の注目を集めるため不適切、と判断されました」
「たしかに」
「ただし、最低限の護身装備は――」
「持ってきたの?」
「……持ってきていません」
サッちゃんは一拍遅れて答えた。
ユウトがじっと見る。
「ほんとに?」
「……小型の警戒笛だけです」
「それはまあ、セーフかな」
サッちゃんは少しほっとしたように胸を撫で下ろした。
「本日は、ご主人様の安全確保と、遊園地施設の健全な利用を目的として――」
「サッちゃん」
「はい」
「今日は、遊びに来たんだよ」
ユウトがそう言うと、サッちゃんは口を閉じた。
駅前の人混みの中で、少しだけ風が吹いた。
「……はい。遊びに来ました」
サッちゃんは、言い直した。
◇
遊園地の入口には、家族連れやカップル、友達同士のグループが並んでいた。
ゲートの向こうからは、明るい音楽と歓声が聞こえてくる。
サッちゃんは案内マップを広げた。
「ご主人様。まずは周辺地形の把握を」
「最初からマップを作戦図みたいに見ないで」
「こちらに飲食施設、こちらに休憩所、こちらに救護室。非常口は――」
「サッちゃん」
「はい」
「最初にどれ乗りたい?」
ユウトがそう聞くと、サッちゃんは少しだけ戸惑った。
「乗りたい、ですか」
「うん。せっかくだから」
サッちゃんは案内マップをじっと見つめた。
その指が、ゆっくりと一つのアトラクションを指す。
「では……こちらを」
ユウトは指先を見た。
「ジェットコースターか」
「高速移動型軌道施設です」
「呼び方」
サッちゃんは真面目な顔で言った。
「ですが、楽しそうです」
その一言に、ユウトは少しだけ笑った。
「じゃあ、行こう」
◇
ジェットコースターは、見た目よりずっと速かった。
急上昇。
急降下。
左右に振られ、風が顔に当たり、周囲の悲鳴が一気に流れていく。
「うわあああああ!」
ユウトは思わず声を上げた。
一方、隣のサッちゃんは真剣な顔でレールを見ていた。
「この角度、この速度……回避訓練に応用できます」
「今、応用しなくていいから!」
コースターが最後のカーブを抜け、駅に戻る。
降りた瞬間、ユウトは少しだけ足元がふらついた。
「ご主人様!」
サッちゃんがすぐに手を伸ばした。
ユウトの手を、サッちゃんの手がしっかりと包む。
「大丈夫ですか」
「うん。ちょっと目が回っただけ」
「顔色に軽度の変化があります。休憩を推奨します」
「ありがとう。サッちゃんは平気そうだね」
「はい。高速移動には慣れています」
「何で慣れてるのかは聞かないでおくよ」
ユウトが笑う。
サッちゃんはまだ、ユウトの手を握っていた。
「あ」
サッちゃんが気づいて、慌てて手を離そうとする。
けれどユウトは、少しだけその手を握り返した。
「もう少し、このままでいい?」
サッちゃんの肩が小さく跳ねた。
「……はい」
声が、いつもよりずっと小さかった。
人混みの中で、二人はしばらく並んで歩いた。
サッちゃんは正面を向いたまま、耳だけを赤くしている。
ユウトも、平気なふりをしていた。
でも、握った手の温かさが妙にはっきり分かって、顔を上げるタイミングが少し難しかった。
「ご主人様」
「何?」
「これは、護衛上の接触ですか」
「うーん」
ユウトは少し考えた。
「迷子防止、かな」
「迷子防止」
「それと、普通に手をつないで歩いてる」
サッちゃんは、黙った。
そして、さらに少しだけ手に力を込めた。
◇
次に入ったのは、お化け屋敷だった。
古びた洋館を模した建物の前には、いかにも不気味な看板が立っている。
サッちゃんは入口を見上げ、真剣な顔になった。
「ご主人様。内部に複数の待機者の気配があります」
「それ、お化け役の人だから」
「右奥、成人男性一名。足音から判断して靴底はゴム製。左側の壁裏にも一名」
「ネタバレしないで」
薄暗い通路に入ると、冷たい風が頬を撫でた。
ユウトは少しだけ肩をすくめる。
「こういうの、サッちゃんは怖くないんだね」
「はい。視認できない敵より、視認できないご主人様の方が危険です」
「どういう意味?」
「暗いので、距離感が」
言いかけたところで、奥の壁から白い影が飛び出した。
「うらめしやあああ!」
サッちゃんの手が反射的に動いた。
ユウトは慌ててその腕を掴む。
「サッちゃん、ストップ!」
「敵襲です!」
「スタッフさん!」
白い影の人が、固まった。
「あ、あの、お客様……」
サッちゃんはすぐに姿勢を正した。
「申し訳ありません。反射行動でした」
「い、いえ……大丈夫です」
お化け役の人は、若干震えながら通路の奥へ戻っていった。
ユウトは小さく息を吐く。
「危なかった……」
「申し訳ありません。施設職員への攻撃行動は禁止事項でした」
「普通は言われなくても禁止だよ」
さらに奥へ進むと、通路は一段と暗くなった。
足元も見えにくい。
ユウトが少し近づくと、サッちゃんがぴたりと固まった。
「ご主人様」
「何?」
「距離が近いです」
「暗いからね」
「敵より危険です」
「俺、敵より危険なの?」
「はい。対応手順がありません」
サッちゃんの声は、震えてはいない。
けれど、明らかにいつもの調子ではなかった。
ユウトは少し笑って、手を差し出した。
「じゃあ、手をつないでおく?」
サッちゃんは暗闇の中で、しばらく黙った。
それから、そっと手を重ねる。
「……お願いします」
その後、どんなお化けが出てきても、サッちゃんは反応しなかった。
ただ、ユウトの手だけは、ずっと離さなかった。
◇
昼過ぎ。
二人はゲームコーナーに来ていた。
射的、輪投げ、ボール投げ。
景品棚には、ぬいぐるみやキーホルダーが並んでいる。
サッちゃんの目が、静かに輝いた。
「ご主人様。対象物が多数配置されています」
「景品ね」
「全制圧しますか」
「しないよ」
ユウトは苦笑しながら、射的の台にコインを置いた。
「ひとつ取れたら十分じゃない?」
「ひとつでよろしいのですか」
「うん。遊びだから」
「……遊び」
サッちゃんは、その言葉を小さく繰り返した。
射的の銃を構える。
その姿勢は、やけにきれいだった。
店員が目を丸くする。
「お、お姉さん、経験者?」
「基礎訓練は受けています」
「何の?」
ユウトが横から言う。
「深く聞かない方がいいです」
サッちゃんは棚の端に置かれた、小さな白い犬のぬいぐるみを狙った。
一発。
ぬいぐるみが、ぽすんと落ちる。
「命中しました」
「うまっ」
ユウトが思わず言う。
サッちゃんはぬいぐるみを受け取り、少し考えてから、ユウトに差し出した。
「ご主人様。本日の任務成果です」
「任務じゃなくて、デートの記念じゃない?」
サッちゃんの手が止まる。
ユウトは自分で言ってから、少し照れた。
サッちゃんも、見る見るうちに頬を赤くする。
「……はい」
小さな白い犬のぬいぐるみを、サッちゃんはもう一度差し出した。
「デートの、記念です」
ユウトはそれを受け取った。
「ありがとう。大事にする」
サッちゃんは、少しだけ嬉しそうに笑った。
その顔は、どんな勝利報告の時よりも柔らかかった。
◇
フードコートで軽く昼食を取ったあと、二人はベンチで休んでいた。
ユウトの手には、チュロス。
サッちゃんの手には、クレープ。
サッちゃんは、クレープをじっと見つめていた。
「食べないの?」
「本日は、皿の数で戦わないと学習しました」
「遊園地に皿はないけどね」
「ですが、食べすぎは予算管理上の危険領域です」
「リナの影響が強い」
サッちゃんは小さく笑って、クレープを一口食べた。
その瞬間、目が少しだけ丸くなる。
「甘いです」
「クレープだからね」
「とても、甘いです」
「気に入った?」
「はい」
サッちゃんはもう一口、ゆっくり食べた。
いつものように急がず、補給とも言わず。
ただ、味わうように。
「……ご主人様」
「うん?」
「楽しいです」
突然の言葉に、ユウトは少しだけ驚いた。
サッちゃんはクレープを持ったまま、視線を落としている。
「護衛任務としてではなく。作戦行動としてでもなく。こうして、ただ歩いたり、乗り物に乗ったり、甘いものを食べたりすることが……楽しいです」
ユウトは、少しだけ黙った。
それから、穏やかに笑った。
「そっか。よかった」
「はい」
サッちゃんは小さく頷いた。
◇
夕方。
遊園地の空が、少しずつオレンジ色に染まり始めた。
最後に乗ることになったのは、観覧車だった。
ゆっくりと上昇していくゴンドラの中で、ユウトとサッちゃんは向かい合って座っていた。
外には、遊園地の全景が広がっている。
昼間はあんなに賑やかだった園内も、上から見ると少し静かに見えた。
サッちゃんは窓の外を見ながら、いつものように周囲を確認しようとした。
「北側に駐車場。西側に搬入口。見通しは良好です」
「サッちゃん」
「はい」
「今は、護衛じゃなくていいよ」
その言葉に、サッちゃんはゆっくりとユウトを見た。
「護衛では、なく」
「うん」
「では、サッちゃんは何としてここにいればいいのでしょう」
ユウトは、少しだけ考えた。
けれど、答えはすぐに出た。
「サッちゃんとして、でいいんじゃないかな」
ゴンドラの中が、静かになった。
遠くで、遊園地の音楽が小さく聞こえている。
サッちゃんは膝の上で、両手をそっと握った。
「ご主人様」
「うん」
「本日は、とても緊張しました」
「そうなの?」
「はい。ジェットコースターより、お化け屋敷より、手をつなぐことの方が難しかったです」
ユウトは少しだけ笑った。
「それ、俺も少し分かるかも」
サッちゃんは顔を上げた。
「ご主人様も?」
「うん。俺も緊張した」
サッちゃんは驚いたように目を瞬かせた。
それから、少しだけ肩の力を抜く。
「そうでしたか」
「うん」
「では……同じですね」
「そうだね」
ゴンドラは、ゆっくりと一番高い場所へ近づいていく。
夕陽が、サッちゃんの金髪を柔らかく照らした。
ユウトは、膝の上に置かれたサッちゃんの手を見た。
さっきまで何度も自然に握っていたはずなのに、ここでは妙に勇気がいる。
サッちゃんも同じだったのか、少しだけ指先を動かして、けれど自分からは伸ばせずにいる。
ユウトは息を吸った。
「サッちゃん」
「はい」
ユウトは、そっと手を差し出した。
サッちゃんはその手を見て、少しだけ目を揺らした。
それから、ゆっくりと重ねる。
今度は迷子防止でも、護衛上の接触でもなかった。
ただ、二人で手をつないでいた。
サッちゃんは窓の外を見たまま、静かに言った。
「ご主人様と来られて、嬉しかったです」
その言葉は、いつもの任務報告ではなかった。
勝利報告でも、護衛結果でもない。
サッちゃん自身の言葉だった。
ユウトは、少しだけ頬を赤くしながら答えた。
「俺も、楽しかったよ」
サッちゃんは、ゆっくり振り向いた。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「では、本日の外出は……成功でしょうか」
「成功だと思う」
「はい」
サッちゃんは、胸に手を当てた。
「成功です」
観覧車は、静かに頂上を越えていった。
◇
帰宅した頃には、空はすっかり暗くなっていた。
朝比奈邸のリビングでは、メグミ、リナ、ミナミがなぜか揃って待っていた。
「おかえり」
メグミがにこにこしながら言う。
「で、デートどうだった?」
サッちゃんは玄関で固まった。
「で、デートではなく」
そこまで言って、止まる。
ユウトが横を見る。
サッちゃんは、ほんの少しだけ深呼吸した。
「……大変有意義な、デートでした」
メグミが両手で口元を押さえる。
「言った」
リナは手元の書類に淡々と記入した。
「外出報告書の分類、護衛任務から私用外出に変更しておくわ」
「リナさん、それ書類にするの?」
「記録は大切よ」
ミナミはテーブルの上に、見覚えのある小型装置を置いていた。
「ちなみに、デート成功率測定装置は未使用です」
ユウトが言う。
「使わなくていいから」
「でも、顔を見る限り成功っぽいね」
ミナミが面白そうに笑う。
サッちゃんは、ユウトが持っている小さな白い犬のぬいぐるみを見た。
メグミがそれに気づく。
「あ、それ景品?」
ユウトが頷く。
「サッちゃんが取ってくれた」
「へえ。デートの記念?」
サッちゃんはまた赤くなった。
けれど、今度は逃げなかった。
「はい。デートの、記念です」
メグミは満足そうに頷く。
「うん。今日は大勝利だね」
サッちゃんは少しだけ考えた。
「勝利……なのでしょうか」
リナが書類から目を上げる。
「少なくとも、過剰防衛、施設破損、予算超過の報告はないわ。十分な成果ね」
「基準がリナさんすぎる」
ユウトが苦笑する。
サッちゃんは、白い犬のぬいぐるみをもう一度見た。
「ご主人様」
「何?」
「また、行ってもよろしいでしょうか」
リビングが一瞬、静かになる。
ユウトは少し照れながら、それでもはっきり頷いた。
「うん。また行こう」
サッちゃんは、嬉しそうに笑った。
「はい」
その笑顔は、任務完了の笑顔ではなかった。
護衛成功の笑顔でもなかった。
ただ、ひとりの女の子が、楽しかった一日を思い出している顔だった。
遊園地では、護衛任務をデートと言い張らないでください。
けれど、その日だけは、サッちゃんも少しだけ認めた。
これは任務ではなく、ちゃんとデートだったのだと。
【第69話・完】




