表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
97/104

第66話「気配り上手は、たまには休息対象になります」



 日曜の午後。


 朝比奈邸のリビングは、珍しく平和だった。


 掃除機は暴走していない。

 お茶会用の茶器も片づけられている。

 ミナミの試作機は、リナの監査により地下ラボで封印中。

 サッちゃんも、今日は朝から一度も「制圧」という言葉を使っていない。


 つまり、朝比奈邸基準ではかなり安全な休日である。


 そんなリビングに、メグミがやってきた。


「やっほー。今日も朝比奈邸は無事に爆発してる?」


 いつもの軽い声。

 いつもの笑顔。


 だが、ユウトは少しだけ首を傾げた。


 声は明るい。

 でも、いつもよりほんの少しだけ反応が遅い。


 サッちゃんが台所から顔を出す。


「メグミさん、いらっしゃいませ! 本日は爆発していません!」


「それ、報告する時点で普通じゃないんだよね」


 メグミは笑って返した。


 けれど、そのツッコミにも、いつもの切れ味が少しだけ足りなかった。


 リナはダイニングで帳簿を閉じ、メグミを見た。


「メグミ」


「ん?」


「今日は疲れているわね」


 メグミは目を丸くした。


「え、そんなことないよ?」


 リナは即答する。


「否定が早い時ほど危険よ」


 ユウトが思わず言った。


「それ、俺以外にも使うんだ」


「汎用性が高いわ」


「嫌な汎用性だな……」


 メグミは軽く手を振った。


「いやいや、本当に大丈夫だって。ちょっと寝不足なだけ。昨日、学校のグループ連絡とか、家の用事とか、なんか細かいのが重なってさ」


 ミナミが地下ラボから顔を出した。


「それ、大丈夫じゃない人の説明じゃん」


「ミナミさんに言われると、ちょっと説得力が迷子になる」


「失礼な。私は限界まで作業してから寝るタイプだから、疲労には詳しいよ」


 リナが静かに言った。


「それは詳しいのではなく、悪い例よ」


 サッちゃんがリビングに出てきた。


 表情は真剣だった。


「メグミさん」


「な、何?」


「本日は、全力で休んでください!」


 メグミは一拍置いた。


「……全力で休むって、何?」


 リナがすぐに訂正する。


「全力は禁止。休息は静かに」


 サッちゃんは力強く頷いた。


「では、静かに全力で!」


「もう矛盾してる」


 メグミが言うと、ユウトは苦笑した。


「とりあえず、座ろうか」


     ◇


 五分後。


 リビングのソファ周辺は、なぜか休息拠点になっていた。


 サッちゃんがクッションを並べる。

 リナが温かい飲み物を用意する。

 ミナミがホットアイマスクを持ってくる。

 ユウトがテレビの音量を少し下げる。


 メグミはソファの前で立ったまま、困った顔をしていた。


「いや、あの、私、そこまでしてもらうほどじゃ……」


 リナがカップをテーブルに置く。


「今日は手伝い禁止」


「禁止されるほどのこと?」


「あなたはすぐに人の空気を整えようとする。今日は整えなくていい」


 メグミは、少しだけ言葉に詰まった。


「そんなこと、してるかな」


「しているわ」


 リナは淡々と答える。


「ユウトとサッちゃんの空気が甘くなりすぎたら茶化す。ミナミが暴走しそうになったら先にツッコむ。私が言いすぎた時は、少し軽くする。あなたは全方位に気を配りすぎる」


 メグミは笑おうとした。


 でも、笑う前にサッちゃんが身を乗り出した。


「メグミさん、ツッコミ筋の疲労が心配です!」


「ツッコミ筋って何?」


 ユウトが即座に言う。


 サッちゃんは真剣だった。


「場の空気を支える筋肉です!」


「たぶん筋肉じゃない」


 ミナミがホットアイマスクを掲げる。


「ちなみに、脳波測定ヘッドギアはリナさんに禁止されたので、今回は普通のホットアイマスクです」


 リナが頷く。


「成長ね」


「褒められた」


「普通の道具を普通に使うことは、評価対象よ」


「リナさんの褒め方、業務評価っぽいね」


 メグミがそう言って笑った。


 少しだけ、肩の力が抜けたように見えた。


 サッちゃんはクッションを三つ重ねて、満足そうに言う。


「休息防壁、完成です!」


 メグミがソファを見る。


「埋もれるやつだよね?」


「外部刺激からメグミさんを守ります!」


「外部刺激って、だいたいこの家の人たちなんだけど」


 ユウトは小さく笑った。


「それは否定できない」


 リナがクッションを一つ減らした。


「防壁ではなく、背当てで十分」


「はい!」


 サッちゃんは素直に頷いた。


 メグミはようやくソファに座った。


「なんか、すごいね。人に休まされるのって、変な感じ」


 ユウトが温かい飲み物を手渡す。


「今日はツッコミ休んでいいよ」


「それ、私の存在意義を奪ってない?」


「奪ってない。むしろ守ってる」


 メグミはカップを受け取り、少しだけ目を伏せた。


「……そういう言い方、ずるいね」


 サッちゃんがすぐに反応する。


「ご主人様は時々、非常に高威力な支援発言をされます」


「サッちゃん、それは分析しなくていいから」


     ◇


 休む側になったメグミは、思ったより忙しかった。


 サッちゃんがブランケットをかけようとすると、


「いや、自分でできるよ」


 と言いかける。


 ミナミがホットアイマスクの説明を始めると、


「それ、電池ちゃんと入ってる?」


 と確認しようとする。


 リナが台所へ向かおうとすると、


「あ、洗い物手伝うよ」


 と立ち上がりかける。


 そのたびに、リナが淡々と止めた。


「座って」


「でも」


「座って」


「はい」


 三回目には、メグミもさすがに苦笑した。


「私、そんなに動こうとしてる?」


「しているわ」


 リナが即答する。


「気を遣うな、と言われても難しいでしょう。だから今日は、こちらで環境を整える」


 サッちゃんも頷いた。


「メグミさん。本日は、歩行も代行できます!」


「それは怖いからやめて」


「では、物を取る係を担当します!」


「それは助かるけど、全力で飛んでいかないでね」


「低速移動で対応します!」


 ユウトが言う。


「低速って宣言するほどのことじゃないんだよな」


 メグミは少し笑った。


 その笑いは、いつものように場を軽くするためのものではなく、少しだけ素直な笑いだった。


 ミナミがホットアイマスクを差し出す。


「はい。これ、ほんとに普通のやつ。温かくなるだけ。ログも取らない」


「ログ取らないって、わざわざ言うところが怖い」


「今回は本当に取らない」


 プリズミアの声が端末から軽く響いた。


プリズミア《メグミちゃん休息ログ、保存♡》


 メグミはホットアイマスクを持ったまま止まった。


「保存しなくていい……」


 リナが端末を見る。


「プリズミア、削除」


プリズミア《はーい。記憶には残すね♡》


「それは削除ではないわ」


 ミナミが小声で言う。


「プリズミアは空気を読むようで読まないよね」


「作った人に似たのでは?」


 ユウトが言うと、ミナミは少しだけ目を逸らした。


「否定しきれない」


     ◇


 しばらくして、リビングの空気は少し落ち着いた。


 テレビの音は小さく、窓から入る午後の光は柔らかい。

 テーブルには温かい飲み物と、商店街で買った小さな焼き菓子。


 メグミはソファに座り、ホットアイマスクを膝に置いたまま、カップを両手で包んでいた。


「なんかさ」


 彼女はぽつりと言った。


「別に嫌じゃないんだよ」


 誰も急かさなかった。


 メグミは、カップの中の湯気を見つめる。


「みんなといるの楽しいし。ユウトとサッちゃん見てるのも面白いし、リナさんの真面目なところも、ミナミさんの危なっかしいところも好きだし」


「危なっかしいは褒めてる?」


 ミナミが小さく聞くと、リナが首を横に振った。


「今は聞かない」


「はい」


 メグミは少し笑って、それから続けた。


「ただ、たまにさ。私、どこに立ってるんだろうって思う時があるんだよね」


 リビングが静かになった。


 その言葉は重くはなかった。

 でも、軽くもなかった。


「みんな、けっこう濃いじゃん」


 メグミは冗談っぽく言う。


「元傭兵メイドとか、監査できるメイドさんとか、天才発明家とか、AIとか、世界大会とか。ユウトもなんだかんだ中心にいるし」


「俺は巻き込まれてるだけの気もするけど」


「でも、中心にいるよ」


 メグミはユウトを見て、少しだけ笑った。


「私はさ、みんなが楽しそうならいいなって思うし、空気が重くなったら軽くしたいし、変な方向に行ったらツッコみたい。でもたまに、自分がいなくても回るんじゃないかなって思う時がある」


 サッちゃんが目を見開いた。


「そんなことはありません!」


 声が少し大きくなり、サッちゃんは慌てて口元を押さえる。


「す、すみません。休息中でした」


 メグミは小さく笑った。


「そういうとこ、サッちゃんらしいね」


 ユウトは少しだけ間を置いてから言った。


「メグミがいると、助かるよ」


 メグミはカップを見つめる。


「ツッコミ役として?」


「それもある」


「あるんだ」


「かなりある」


 ユウトは少し笑ってから、真面目な声に戻した。


「でも、それだけじゃない。メグミがいると、俺も少し普通でいられる気がする」


 メグミの表情が、少しだけ変わった。


 ユウトは続ける。


「サッちゃんたちといると、どうしても毎日がすごいことになるだろ。だから、メグミが普通に笑って、普通にツッコんでくれると、助かる。ここがちゃんと日常なんだって思える」


 サッちゃんも頷いた。


「メグミさんがいると、朝比奈邸の空気が軽くなります。私が力みすぎた時も、メグミさんが笑ってくださると、少し戻れます」


 リナは静かにカップを置いた。


「あなたは調整役をしすぎる。でも、役割があるから居場所があるわけではないわ」


 メグミはリナを見る。


 リナの声は、いつも通り淡々としていた。


「何かをしているから、ここにいていいのではない。ここにいていいから、たまたま役割が生まれているだけよ」


 メグミは、何も言わなかった。


 ミナミが少しだけ照れたように頭をかく。


「まあ、私もメグミちゃんがいると助かるよ。暴走前にツッコまれると、たまに正気に戻るし」


「たまになんだ」


「うん。たまに」


 メグミは少し笑った。


 その笑いは、さっきよりずっと柔らかかった。


「そっか」


 短い返事だった。


 でも、それで十分だった。


     ◇


 その後、メグミはようやくホットアイマスクをつけた。


 サッちゃんがそっとブランケットをかける。

 今度は、過剰な防壁ではなく、軽く肩にかかるくらい。


 ミナミは照明を少しだけ落とす。

 リナは温かい飲み物を手の届く位置に置く。

 ユウトはテレビを消した。


 メグミはソファに深く沈んだ。


「なんか、これ……負けた気がする」


 ユウトが小さく聞く。


「何に?」


「みんなの優しさに」


 サッちゃんは真剣に言った。


「勝敗ではありません。休息です」


 メグミはホットアイマスクの下で笑った。


「サッちゃんに正論言われた……」


 リナが静かに言う。


「回復には受容が必要よ」


「リナさん、それ、休むにも業務感ある」


「事実よ」


「でも、ありがと」


 リナは一瞬だけ黙った。


「……業務よ」


 メグミは笑った。


「うん。そういうことにしとく」


 しばらくすると、メグミの呼吸が少しずつゆっくりになった。


 完全に眠っているわけではない。

 でも、目を閉じ、肩の力を抜いて、ちゃんと休んでいる。


 サッちゃんは小声で言った。


「ご主人様。メグミさん、ちゃんと休めています」


「うん。よかった」


 リナはブランケットの端を軽く整えた。


「たまには、こちらが整える番よ」


 ミナミが小声で言う。


「じゃあ次は、ツッコミ疲労測定器を――」


 メグミはホットアイマスクを外さないまま、低い声で言った。


「作らなくていい」


 全員が止まった。


 ユウトが笑う。


「戻った」


 サッちゃんが嬉しそうに拳を握る。


「メグミさん、通常運用復帰です!」


「いや、今日はもう休ませて……」


 メグミの声は、少し眠そうだった。


 ユウトは頷く。


「うん。今日はそのまま休んで」


 メグミは小さく息を吐いた。


「……じゃあ、そうする」


 朝比奈邸のリビングに、静かな時間が戻る。


 いつも気を配って、笑って、ツッコんで、場を軽くしてくれる人が、今日は何もしなくていい。


 それだけのことが、少しだけ特別だった。


 気配り上手は、たまには休息対象になる。


 そして朝比奈邸は、そういう人をちゃんと休ませられる場所でありたかった。


【第66話・完】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ