第63話「 新しい掃除機は、戦闘装備ではありません」
朝比奈邸の朝は、掃除機の断末魔で始まった。
リビングの中央で、サッちゃんが掃除機を構えている。
いつもの黒と白のメイド服。金髪を揺らし、指ぬき手袋の手で掃除機を握る姿は、どう見ても掃除というより戦闘前の構えだった。
だが、問題はサッちゃんではない。
掃除機の方だった。
「ご主人様!」
サッちゃんが叫ぶ。
「掃除機が……負傷しました!」
ユウトは朝食後のコーヒーを持ったまま、リビングに顔を出した。
「負傷?」
掃除機は、ぶおん、ぶおん、と低い音を立てたあと、急に「ぎゅいん」と不穏な声を出した。
そして、止まった。
サッちゃんは掃除機の前に膝をつく。
「しっかりしてください! あなたはまだ戦えます!」
「掃除機に戦意を求めないで」
ユウトが言うと、リナが横から冷静に掃除機を確認した。
コード、フィルター、モーター音。すべてを短く確認し、淡々と結論を出す。
「寿命ね」
「寿命……!」
サッちゃんが衝撃を受けた顔をする。
メグミがちょうど遊びに来ていて、ソファの横から覗き込んだ。
「掃除機にそんな顔する人、初めて見た」
そこへ地下ラボからミナミが顔を出す。
「掃除機壊れたの?」
「壊れたというより、引退ね」
リナが言うと、ミナミの目がきらっと光った。
「じゃあ電気屋行こう。最新モデル見たい」
「購入対象は掃除機のみ」
「まだ何も言ってないのに先手打たれた」
「あなたの場合、先手を打たないと家計が負けるわ」
サッちゃんは立ち上がり、拳を握った。
「新型掃討支援装備の選定ですね!」
「掃除機よ」
リナが即座に訂正する。
メグミは額に手を当てた。
「掃除機買うだけで、なんで兵器更新みたいになるの?」
ユウトは止まった掃除機を見下ろした。
「まあ、買い替えは必要だよね」
サッちゃんは古い掃除機に向かって深く一礼した。
「これまで、床面防衛任務、お疲れさまでした」
「だから掃除だって」
◇
大型家電量販店は、朝比奈邸とは別の意味で情報量が多かった。
入口を抜けると、大型テレビの画面がずらりと並び、最新スマート家電の宣伝音声が流れ、空気清浄機が無音で空気を吸い、ロボット掃除機が展示スペースをくるくる回っている。
ミナミは入店三秒で目を輝かせた。
「センサー、駆動系、遠隔制御、家事支援AI……、宝の山じゃん」
リナが横で言う。
「購入対象は掃除機のみよ」
「見学は無料だよ?」
「あなたの場合、見学が設計につながるのが問題」
「設計は脳内だから無料」
「無料が一番高くつく場合もあるわ」
サッちゃんはロボット掃除機コーナーで足を止めた。
丸い小型機械が、床の上を静かに進んでいる。
「自律移動型掃討機……!」
メグミがすぐに突っ込む。
「名前を強そうにしないで」
店員が笑顔で近づいてきた。
「こちらは最新のロボット掃除機です。お部屋の間取りを学習して、自動でお掃除してくれます」
「間取りを学習……!」
サッちゃんの目が真剣になる。
「つまり、屋敷内の地形把握能力を持つ床面制圧ユニット……」
「お掃除してくれます」
店員がやんわり訂正した。
「お掃除……制圧ではなく……」
サッちゃんが考え込んでいると、展示用のロボット掃除機が足元へ近づいてきた。
サッちゃんは反射的に一歩下がり、道を譲る。
「先にどうぞ」
メグミが吹き出した。
「掃除機に礼儀正しい」
ユウトも苦笑する。
「サッちゃんらしいね」
「ご主人様。この子は黙々と床を守っています。敬意は必要です」
「守ってるんじゃなくて掃除してるんだよ」
ミナミはロボット掃除機をしゃがんで観察していた。
「へえ。障害物回避、マッピング、段差検知……なるほどね」
リナの目が細くなる。
「ミナミ」
「見てるだけ」
「その顔は見てるだけじゃない」
「研究者の顔だよ」
「だから危険なのよ」
◇
コードレス掃除機のコーナーには、スリムなもの、軽量型、吸引力重視、静音型、紙パック式、サイクロン式と、いかにも選択肢が多そうな掃除機が並んでいた。
店員が説明する。
「こちらは軽量タイプです。こちらは吸引力が強く、こちらはヘッドが自走します」
「ヘッドが自走……!」
サッちゃんが一歩前に出た。
「先端部が自ら前進するということは、掃討圧を自律的に――」
「掃除が楽になります」
店員はプロだった。
サッちゃんの物騒な語彙を、すべて家電用語へ戻していく。
リナは冷静に価格表を見ていた。
「吸引力、重量、手入れのしやすさ、バッテリー寿命、価格。総合評価で選ぶべきね」
ミナミが高機能モデルを指差す。
「これ、センサー多いよ」
「却下候補ね」
「まだ性能を見てない」
「あなたが食いついた時点で警戒値が上がるわ」
メグミが別の掃除機を持ち上げる。
「これ軽い。サッちゃんには物足りないかもだけど」
サッちゃんは真顔で首を振った。
「掃除機に重量を求めるのは間違いです。重要なのは、床面への誠実さです」
「急に哲学」
ユウトは実機を持ってみた。
「これ、使いやすそうだね。軽いし」
リナが確認する。
「価格も妥当。手入れも簡単。交換部品も入手しやすい。これでいいわ」
サッちゃんは少しだけ不安そうに聞く。
「もっと戦闘力の高いものではなくていいのですか?」
「家電に戦闘力を求めないで」
「ですが、敵性埃が――」
「敵性埃という分類はないわ」
ミナミが小さく呟く。
「いや、概念としては面白い」
「拾わないで」
リナの声が鋭かった。
◇
会計へ向かう途中、ユウトがふとマッサージチェア売り場の前で足を止めた。
「これ、ちょっと試してみたいかも」
「ご主人様、椅子ですか?」
「うん。座るだけ」
ユウトがマッサージチェアに座ると、店員が操作してくれた。
背もたれが倒れ、足元が持ち上がり、肩のあたりがぐいっと押される。
「おお……」
ユウトが思わず声を漏らした。
サッちゃんの目が一瞬で鋭くなる。
「ご主人様が椅子に拘束されています!」
「リラックスしてるだけだから!」
メグミが横で笑う。
「サッちゃん、顔が救出作戦前だよ」
「これは本当に安全な椅子ですか?」
店員が少し困ったように微笑む。
「安全です」
リナが隣のマッサージチェアに座った。
そして、無言になった。
ユウトが気づく。
「リナ?」
「……」
「リナ?」
「……これは、業務効率に関係あるわ」
メグミが小さく言う。
「気に入ってる」
リナは目を閉じたまま答えた。
「身体の保守よ」
ミナミがにやっとした。
「リナさん、買う?」
「買わないわ。予算が死ぬ」
「でも気に入ってる」
「試座よ」
マッサージチェアが、ぐいっとリナの肩を押した。
リナは少しだけ沈黙する。
「……試座時間をあと二分延長するわ」
メグミがユウトに小声で言った。
「めちゃくちゃ気に入ってる」
「うん」
サッちゃんはマッサージチェアを真剣に見つめた。
「ご主人様とリナを同時に無力化するとは……恐ろしい椅子です」
「違うよ」
◇
結局、購入したのはリナが選んだ堅実なコードレス掃除機だった。
軽く、手入れがしやすく、価格も妥当。
高機能すぎず、しかし十分に働いてくれる。
リナは満足そうに言った。
「良い家電は、目立たず仕事をするものよ」
サッちゃんは箱を見つめる。
「目立たず仕事をする……まるで忍びのようです」
「掃除機よ」
メグミが笑う。
「今日はその訂正、何回目?」
ミナミは最後までロボット掃除機コーナーを振り返っていた。
「自律移動、床面検知、生活支援……うん。見えた」
リナが即座に反応する。
「何が」
「朝比奈邸に足りないもの」
「いらないものが増える予感しかしないわ」
ミナミはにこっと笑った。
「掃除機に必要なのは、吸引力だけじゃない。判断力だよ」
ユウトが一瞬だけ感心した。
「急に良いこと言った?」
リナが冷静に言う。
「いいえ。危険な前置きよ」
ミナミは胸を張った。
「つまり、床の汚れを見つけて、自律的に支援する小型ユニットを作ればいい」
「作らなくていい」
「もう頭の中では完成した」
「それが一番危険」
サッちゃんは目を輝かせていた。
「ミナミさん、新型支援装備ですか!」
「違うと言いたいけど、たぶん近い」
「近づけないで」
リナは即座に言った。
◇
帰宅して二十分後。
朝比奈邸のリビングには、買ってきたばかりの新しい掃除機と、見たことのない小型機械が並んでいた。
小型機械は、丸い本体に小さなアームが二本。
下部には車輪。
上部には、ミナミが適当に貼ったラベルがある。
**生活負荷軽減型・床面健全化サポーター試作三号**
メグミはその名前を見て、顔をしかめた。
「名前からして不安」
リナは無言でミナミを見た。
「いつ作ったの」
「帰りの車内で設計して、帰宅後二十分で組んだ」
ユウトが額に手を当てる。
「スピード感が怖い」
サッちゃんは試作三号の前にしゃがみ込む。
「この子は何ができるんですか?」
ミナミは得意げに説明した。
「床の汚れを検知して、新しい掃除機に掃除ポイントを知らせる。さらに小さいゴミなら自分で回収する」
「すごいです!」
サッちゃんの目が輝いた。
「床面健全化……!」
リナは低い声で言う。
「実験は五分だけ。危険なら即停止」
「大丈夫。今回は安全寄り」
メグミが小声でユウトに言った。
「“今回は”って言ったよ」
「聞こえた」
ミナミがスイッチを入れる。
試作三号は、ぴ、と小さく鳴った。
そして、ゆっくり動き出す。
床に落ちていた小さな紙くずを見つけると、アームで器用につまみ、小さな回収ボックスに入れた。
「おお」
ユウトが素直に感心する。
次に、メグミがさっき落としたパンくずを見つける。
試作三号は迷いなく近づき、回収した。
「え、普通に優秀じゃん」
メグミが目を丸くする。
ミナミは満足げに頷いた。
「でしょ?」
サッちゃんは拍手した。
「すごいです、ミナミさん!」
リナも少しだけ目を細めた。
「今のところは悪くないわね」
その言葉が早すぎた。
試作三号は急に方向転換し、窓際へ向かった。
そこには、カーテンの影が落ちている。
試作三号が、ぴぴ、と鳴った。
ミナミが固まる。
「……あれ?」
次の瞬間、試作三号は影に向かって突進した。
「影です!」
サッちゃんが叫ぶ。
「それは汚れではありません!」
試作三号は構わず、カーテンの裾をアームでつかんだ。
リナの目が鋭くなる。
「誤認識ね」
メグミが叫ぶ。
「カーテン持っていかれる!」
サッちゃんがすぐに駆け寄ろうとした瞬間、試作三号は今度は方向転換し、メグミの足元へ走った。
「え、こっち来た!」
試作三号は、メグミの靴紐をつかんだ。
「それゴミじゃない!」
メグミが片足で跳ねる。
ユウトが手を伸ばす。
「ミナミ、止めて!」
「待って、今ログ見てる! 靴紐を長い埃と判断してる!」
リナが即座に言う。
「判断が悪い」
「判断力を持たせた結果がこれ!」
「設計者が言うことではないわ」
試作三号は靴紐を離すと、今度はユウトの足元へ向かった。
ユウトの靴下を、アームでつかむ。
「俺の靴下を持っていかないで!」
サッちゃんの目が鋭くなる。
「ご主人様の足元が攻撃されています!」
「攻撃じゃない。誤認識よ」
リナが訂正する。
メグミは靴紐を結び直しながら言った。
「でも絵面は攻撃だよ!」
試作三号はさらに暴走した。
リナの帳簿の端をつかみ、床上異物として引っ張ろうとする。
リナの声が一段低くなる。
「それは触ってはいけない紙よ」
試作三号は、ぴ、と鳴った。
ミナミが青ざめる。
「あ、帳簿を薄いゴミとして認識してる」
「ミナミ」
「はい」
「反省文、三枚」
「多くない?」
「帳簿に触れたわ」
「妥当だね」
ユウトが思わず納得した。
◇
試作三号はリビングを走った。
カーテンを敵視し、靴紐を回収し、帳簿を狙い、最後にはサッちゃんのスカートの影に反応した。
「私の影です!」
サッちゃんが叫ぶ。
ミナミがタブレットを操作する。
「停止信号送ってるんだけど、床面健全化モードが優先されてる!」
リナが冷たく言う。
「なぜそんなモードを作ったの」
「名前がかっこいいかなって」
「理由が最悪」
サッちゃんは一歩前へ出た。
「制圧します!」
ユウトが即座に叫ぶ。
「壊さない方向で!」
サッちゃんは、はっとした。
壊さない。
焦らない。
盛らない。
世界大会で学んだことが、まさか試作掃除機相手に必要になるとは思わなかった。
だが、必要だった。
サッちゃんは拳を開いた。
「……停止します」
「言い直した」
メグミが小さく言う。
サッちゃんは新しい掃除機を手に取った。
ノズルを低く構え、試作三号の進路を塞ぐ。
試作三号は方向転換しようとする。
そこへ、サッちゃんがタオルをふわりとかぶせた。
機械は中で、ぴぴぴ、と不満げに鳴る。
サッちゃんはタオルごと、そっと抱え上げた。
「捕獲完了。損傷なし」
ユウトがほっと息を吐く。
「すごい。ちゃんと壊さなかった」
メグミが拍手する。
「優しい捕獲」
リナも頷いた。
「成長ね」
ミナミは目を輝かせていた。
「データ取れた!」
リナが即座に言う。
「反省も取りなさい」
「はい」
◇
その後、試作三号は電源を抜かれ、ミナミの両手で厳重に回収された。
新しい掃除機は、何事もなかったように床をきれいにしていく。
静かで、軽くて、扱いやすい。
アームもない。
勝手に靴下を持っていかない。
帳簿をゴミ扱いしない。
それだけで、朝比奈邸においては十分な美点だった。
サッちゃんは掃除機をかけながら、真剣に言った。
「この子は、過剰ではなく、堅実です」
ユウトが笑う。
「掃除機への評価が真面目だね」
リナは満足そうに頷く。
「良い家電は、目立たず仕事をするものよ」
ミナミが腕を組む。
「じゃあ次は、目立たず暴走しないやつを作る」
全員が同時に言った。
「作らなくていい」
メグミが笑いすぎて、ソファに沈んだ。
「息ぴったり」
サッちゃんは掃除機の電源を切ると、軽く一礼した。
「これからよろしくお願いします」
「やっぱり掃除機に礼儀正しい」
メグミが言うと、ユウトも笑った。
その時、ミナミの工具箱の中で、何かが小さく動いた。
ぴ。
全員が止まった。
プリズミアの声が端末から軽やかに響く。
プリズミア《床面健全化サポーター試作三号、再起動準備中♡》
リナがゆっくりミナミを見た。
「ミナミ」
ミナミは工具箱を覗き込み、首を傾げた。
「あれ? 電源切ったはずなんだけどな」
サッちゃんが掃除機を構える。
「今度こそ制圧――ではなく、停止します!」
ユウトが叫んだ。
「成長してるけど、言い直しが怖い!」
朝比奈邸の新しい掃除機は、静かに床を守っている。
その横で、床を守ろうとしすぎた試作機は、二度目の停止処理に入った。
やはり朝比奈邸では、普通に動く家電が一番強い。
【第63話・完】




