第52話「勝ち進んだ先は、バレー部でした」
球技大会当日の朝、朝比奈邸のダイニングには、前日よりさらに本気の空気が漂っていた。
テーブルの端には、
スポーツドリンク
タオル
補給ゼリー
小さめの氷嚢
なぜか替えの靴下
が、妙に整然と並んでいる。
ユウトは席についた瞬間、それを見て言った。
「……高校の球技大会って、ここまで準備いるのか?」
サッちゃんは真顔で頷いた。
「一勝を目指すなら必要です」
「そこまで言うと、なんか急にちゃんとしてるな」
「無傷で帰ることも重要です」
「そっちはいつも通りだな」
その横で、ミナミが作戦ボードを開く。
昨日より項目が増えていた。
サーブ成功率
回収率
水分補給
無理しない率
レオ・普通に返す
ユウト・つなぎ優先
「まだやるのか、それ」
ユウトが言うと、ミナミは悪びれない。
「今日は本番だよ?
昨日の練習で終わるわけないじゃん」
「部活のマネージャーみたいになってきたな」
「似たようなものでは?」
ノアが静かに言う。
「お前まで乗るな」
リナはコーヒーを飲みながら、作戦ボードの端に目を止めた。
「……何でバッグにジャージが入ってるの」
ミナミが一瞬だけ止まる。
「え」
「見えてるわよ」
「いや、これはその、念のため」
「何の念よ」
「ほら、汗かくかもしれないし」
「見学で?」
「……まあ、そう言われると弱い」
サッちゃんは、その横で小さなバッグの中身を確認していた。
タオル、飲み物、簡易救急セット。
ユウトはその手元を見て、少しだけ嫌な予感がした。
「……サッちゃん、お前も何か持ってないか」
「応援用の最低限です」
「その“最低限”が毎回怪しいんだよ」
リナがため息をつく。
「見に行くだけよ。
そこは忘れないで」
「はい」
サッちゃんは真面目に頷いた。
「今のところは」
「今のところって何だよ」
ユウトが言うと、ミナミが吹き出した。
「さすがサっちゃん、自分でもちょっと分かってるじゃん」
「分かってるから困るんです」
少しうるさい。
でも、それが朝比奈邸の朝だった。
ユウトは箸を置いて立ち上がる。
「じゃあ行ってくる」
「はい」
サッちゃんがすぐに返す。
「一勝です」
「そればっかりだな」
「大事なので」
「大事だけど」
その繰り返しが、今日は妙に心地よかった。
体育館は、朝から熱かった。
笛の音。
ボールの音。
歓声。
床を擦るシューズの音。
たかが球技大会。されど球技大会。
学校という場所は、こういう日だけ妙に本気を出す。
一回戦。
ユウトたちのクラスは、前日の練習よりずっとましだった。
最初からうまいわけじゃない。
でも、誰が何をすれば少しマシかは、最低限わかっている。
ユウトが拾う。
ノアへ送る。
ノアがつなぐ。
レオが、今度は本当に“普通に返す”。
「よし!」
レオが言う。
「今の、かなり普通だったな」
ユウトが言うと、レオは少しだけ不満そうな顔をした。
「褒めてるのか?」
「褒めてる。今日はそこが一番大事だろ」
「……まあ、そうか」
メグミはコート外から声を飛ばす。
「レオ、そのくらいでいい。
ユウト、無理に前へ返さない。
ノア、そのまま普通にやって」
「全部普通なんだな」
ユウトが言うと、メグミが肩をすくめた。
「変に盛ると崩れるから」
そのまま一回戦は勝った。
クラスの空気が、一段だけ上がる。
“いけるかもしれない”が、少しだけ本物になる。
二回戦は、もう少ししんどかった。
相手クラスの方が勢いはある。
でも、こちらは変に崩れない。
ノアが静かに拾う。
ユウトがつなぐ。
レオが今日はちゃんと抑える。
クラスメイトたちも、さすがに声を出し始める。
「ある!」
「後ろ!」
「いける!」
その声が出るだけで、だいぶ違う。
「……本当に一勝で終わらないかもね」
メグミがぽつりと言う。
「急に言うなよ」
ユウトが返す。
「だって昨日より回ってる」
「それはそう」
二回戦も勝った。
体育館の空気が、明らかに変わる。
須賀先生ですら少しだけ意外そうだった。
「……勝ったな」
「勝ちましたね」
ノアが真顔で言う。
「お前、その顔で言うとじわじわ来るな」
ユウトが笑うと、ノアは小さく首を傾げた。
「そうですか」
だが、そこで終わりではなかった。
運営の先生がマイクを持って、妙に明るい声で言う。
「はい、ここで恒例のエキシビションを行います!
勝ち残りクラスは、女子バレー部・男子バレー部混成チームと対戦でーす!」
体育館がざわつく。
「……聞いてない」
ユウトが小さく言う。
「急に話が大きくなったね」
メグミが言う。
レオだけは、少しだけ口元を上げた。
「悪くない」
「お前はそうだろうな」
「ここまで来たなら、華のある相手がいい」
「球技大会に華を求めるな」
ノアはコートの向こうを見ていた。
バレー部は、当然のように落ち着いている。
立ち方からして違う。
「競技レベルが上がります」
「今それ、ちょっと怖いな」
ユウトが言うと、ノアは静かに頷いた。
「事実です」
観客席を見ると、ミナミが思い切り手を振っていた。
その隣に、サッちゃんとリナもいる。
本当に見に来ていたらしい。
「勝ち進んでるじゃん!」
ミナミの声がよく通る。
プリズミアが端末越しに弾んだ声を出した。
《思ったより早く本番きたね♡》
「そこは予想してなかったんだな」
ユウトが呟くと、リナが遠くから淡々と返した。
「勝ち進んだのはそっちなんだから、責任持ちなさい」
「責任の所在が雑なんだよな」
サッちゃんは、応援席にいるのに、少しずつ目が真剣になっていた。
エキシビションの最初は、予想以上に戦えた。
もちろん、相手は強い。
サーブもレシーブも、ボールの軌道そのものが違う。
でも、クラス側も完全には崩れない。
ユウトが拾う。
ノアがつなぐ。
レオが返す。
メグミは外から短く指示を飛ばす。
「今のいい!」
「無理して決めなくていい!」
「返るなら返して!」
派手じゃない。
でも、ちゃんと試合にはなっていた。
レオが一回だけ、きれいにコースへ落とす。
体育館が少しどよめく。
「……よし」
レオが小さく言う。
それで十分だった。
ノアは相変わらず静かに仕事をしている。
無理をしない。
でも穴も作らない。
「ノア、助かる」
ユウトが言うと、ノアは短く頷いた。
「こちらもです」
点差は開く。
だが、完全に試合が壊れるほどではない。
19対15。
20対17。
まだ終わっていない。
そう思えた、その時だった。
高く上がったボールが、コート中央へ落ちてくる。
クラスメイト二人が、同時にそこへ飛び込んだ。
「待っ——」
言い切る前に、ぶつかる音がした。
鈍い衝突。
転がるボール。
片方は足首を押さえ、もう片方は肩を押さえている。
体育館の空気が、一気に変わった。
「大丈夫!?」
メグミが立ち上がる。
先生が駆け寄る。
周囲もざわつく。
大怪我ではない。
でも、続行は無理だと分かる程度には痛そうだった。
「……人数、足りない」
ユウトが呟く。
運営の先生が、すぐに確認する。
「エキシビションは、人数不足時のみ事前登録の応援者から助っ人二名まで可です!
見学者パス保持者、経験者優先!」
「そんなルールあったんだ」
ユウトが言うと、メグミが半分呆れた顔で返した。
「ミナミが見学者パス取ってた時点で、嫌な予感はしてた」
「たしかにな……」
その観客席で、ミナミがすでに立ち上がっていた。
そして、バッグから二着のジャージを取り出す。
「はい、ここで予備ジャージ!」
「やっぱりそれか!」
ユウトが叫ぶ。
ミナミは悪びれない。
「念のため!」
「その“念のため”が毎回でかいんだよ!」
サッちゃんは一歩前へ出ていた。
リナは深いため息をついてから立ち上がる。
「……だから見に来るだけのつもりだったのに」
「出るんですか!?」
クラスメイトの誰かが言う。
リナはジャージを受け取りながら、冷静に言った。
「人数不足なら仕方ないでしょ。
ただし、勝ちに行くというより、崩壊を止めるわよ」
サッちゃんは真顔だった。
「守備します」
「いや、言い方」
ユウトが思わず言う。
「でも、今はそれでいい」
ジャージ姿のサッちゃんとリナがコートへ入ると、体育館がもう一段ざわついた。
サッちゃんは見た目からして“普通の見学組”ではない。
リナは逆に、妙に落ち着いている。
二人とも場違いなのに、場違いすぎて逆に自然だった。
「朝比奈」
須賀先生が短く呼ぶ。
「お前は真ん中でつなげ。
風間、そのまま。
嵐山、浮くな」
「最後だけ雑じゃないですか!?」
レオが言う。
「お前にはそのくらいでちょうどいい」
メグミが外から言う。
「今日は全方位で刺さるな……」
試合が再開する。
最初の一球。
相手のサーブは速い。
だが、サッちゃんが落ちる寸前で拾う。
派手じゃない。
でも、反応が速い。
とにかく落とさない。
「うわ……」
誰かが小さく声を漏らす。
その球をユウトがつなぐ。
ノアが前へ送る。
レオが返す。
リナが短く指示する。
「そこ。
詰めすぎない」
その声だけで、コートの形が少し整う。
サッちゃんは決めにいかない。
ひたすら拾う。
残す。
つなぐ。
それだけに徹している。
プリズミアが観客席から嬉しそうに言う。
《今の、完全に“落とさない”動きだった♡》
「実況しないで!」
ミナミが叫ぶが、目は完全に試合へ向いている。
リナも、派手ではない。
でもサーブがうまい。
前と後ろの間、嫌なところへ落とす。
「……やるな」
ユウトが言うと、リナは平然と返した。
「学生時代に少しね」
「少しってレベルじゃないだろ」
「こういう時だけ思い出すのよ」
点差は少しずつ縮まる。
20対18。
22対20。
23対22。
体育館全体が、少しずつ三年二組側へ傾き始める。
「いける!」
誰かが叫ぶ。
最後の一球。
相手の強い返球。
ユウトが拾う。
ノアがつなぐ。
サッちゃんが落とさず残す。
リナが短く言う。
「レオ、今」
レオが飛ぶ。
今度は見栄じゃない。
ちゃんとタイミングだけを見て打つ。
鋭く入る。
——が、相手のリベロが拾った。
返された球が、ラインぎりぎりへ落ちる。
ぽす、と小さな音。
試合終了。
一瞬、体育館が静かになる。
それから拍手が起きた。
負けた。
でも、誰も完全な敗北みたいな顔はしていなかった。
レオが着地して、悔しそうに言う。
「……惜しい」
「惜しかったな」
ユウトが答える。
ノアが静かに頷く。
「接戦でした」
「お前の総括、毎回真顔なのにちょっと効くな」
「事実なので」
サッちゃんは、少しだけ息を整えてから言った。
「負傷者は増えませんでした」
「そこを最初に確認するんだな」
ユウトが笑うと、リナも小さく息を吐く。
「でもまあ、悪くなかったんじゃない」
「はい。
かなり、悪くなかったです」
その返事が妙にまっすぐで、ユウトは少しだけ笑った。
帰り道。
体育館の熱気が少しずつ引いていく中で、ミナミが満足そうに言った。
「だから言ったじゃん。
見に来て正解だったって」
「予備ジャージまで持ってきてたのは正解を通り越してるけどな」
「結果オーライでしょ?」
「そこは否定しづらいわね」
リナが言う。
クラスメイトたちはまだざわざわしていた。
「あの助っ人、誰?」
「朝比奈んち、どうなってんの?」
「いやでも、普通に強かったよな……」
そこは深掘りしない方がいい。
ユウトはそう判断して、聞こえないふりをした。
朝比奈邸に戻ると、サッちゃんが靴を脱ぎながら、少しだけ困ったように言った。
「……普通の応援の予定だったんですが」
「普通ではなかったな」
ユウトが言う。
「はい」
「だいたいあなたの周りはそうでしょ」
リナが切る。
「否定できないな……」
ミナミは上機嫌だった。
「でもさ、すごかったよ。
一勝どころか、あそこまで行くとは思わなかった」
「私もです」
サッちゃんが素直に言う。
「かなり、立派でした」
その言い方が妙にまっすぐで、ユウトは少し照れくさくなる。
ノアは最後に、静かに総括した。
「結果としては惜敗ですが、十分に健闘でした。
少なくとも、最初に想定していた“一勝”は超えています」
「お前のその言い方、ちょっと好きだよ」
ミナミが言うと、ノアは少しだけ首を傾げた。
「そうですか」
「うん。妙に報告書っぽいけど」
「そこはいつものやつだな」
ユウトが言うと、ようやく全員に笑いが広がった。
球技大会は終わった。
静かには終わらなかった。
でも、たぶんあれでよかったのだ。
【第52話・完】




