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第51話 球技大会プロトコル:やる気だけでは勝てない


球技大会の前日だと聞いて、ユウトが最初に思ったのは、

そんな話、もっと早くちゃんとしろよ

だった。

朝比奈邸のダイニングでは、サッちゃんがタオルを三種類に分けていた。

普通のタオル、首用の細長いタオル、汗拭き用の小さいタオル。

横にはスポーツドリンクと補給ゼリーまで並んでいる。

「……まだ本番じゃないんだけど」

ユウトが言うと、サッちゃんは真顔で答えた。

「前日準備は大事です。

運動行事は、前日から始まっています」

「言い方が完全に遠征前なんだよな」

その横で、ミナミが黒いバインダーを持ち上げる。

折りたたみ式の小型ホワイトボード。

しかもマグネット付きだ。

「じゃーん。球技大会用・簡易作戦ボード」

「嫌な予感しかしない」

「今日はちゃんと便利寄り」

「“寄り”で信用が落ちるんだよ」

リナがコーヒーを置きながら、一瞥した。

「高校の球技大会よ」

「だからだよ」

ミナミは本気だった。

「だいたいこういうの、気合いだけで何とかしようとして崩れるんだから」

「その分析はちょっと分かるのが嫌ね」

リナが言う。

風間ノアは制服姿で座ったまま、静かにボードを見ていた。

「作戦共有自体は合理的です」

「お前まで乗るなよ」

ユウトが言うと、ノアは首を振る。

「ただし、必要以上の項目は混乱を増やします」

「お、そこは切るんだな」

「重要です」

サッちゃんは補給ゼリーを二列に並べ直した。

「ご主人様、これは前半用と後半用です」

「球技大会に前半用と後半用のゼリーある?」

「あります」

「言い切るな」

ミナミがそこで、うれしそうに作戦ボードを開いた。

コート図の横に、すでに項目が増えている。

サーブ成功率

回収率

水分補給タイミング

嵐山・かっこつけ抑制

ユウトはそこで止まった。

「最後いらないだろ」

「いや、かなり大事でしょ」

ミナミが言う。

「いらない!」

レオ本人がいないのに、声だけ聞こえた気がした。

リナは額を押さえた。

「その欄、本人に見せたら面倒になるわね」

「面倒になる前提なんだな」

「なるでしょ」

サッちゃんは、真剣な顔で言った。

「では目標は、一勝して無傷で帰る、でどうでしょう」

「球技大会に無傷目標を入れるなよ」

「でも大事です」

「大事だけど」

朝から少しうるさい。

でも、そのうるささは嫌じゃなかった。

教室に入ると、須賀先生がすでに黒板の前に立っていた。

「はい座れ。

球技大会、種目はソフトバレー。

出るやつ決める。揉めるなら短く揉めろ」

それだけで十分だった。

教室の空気が、見事に微妙になる。

レオだけが胸を張った。

「任せてくれ。

こういう場には華のある人間が必要だ」

「まずサーブ入れてから言おうか」

メグミが即座に切る。

「言い方!」

「まだ何もしてないからね」

風間ノアが静かに口を挟んだ。

「ソフトバレーなら、強打よりつなぎの方が安定します」

「始まる前から正論を置くな!」

レオが叫ぶ。

「夢が削れる!」

須賀先生は一拍も置かずに言った。

「嵐山。

夢はサーブ入ってから見ろ」

教室に笑いが起きる。

レオだけが本気で不満そうだった。

結局、クラスの中心は

ユウト

メグミ

風間ノア

レオ

この四人に、何人か足して組むことになった。

だいたい予想通りだ。

予想通りだからこそ、ちょっと面倒だ。

「朝比奈、嵐山、風間は出ろ。

橘は外から見ろ。たぶん一番まともだから」

須賀先生が雑に言う。

「“たぶん”で決めるんですか」

ユウトが言う。

「当たってるだろ」

「まあ、それはそう」

メグミがあっさり頷いた。

その返しが早い。

放課後の体育館は、思ったよりずっとひどかった。

ボールを持って立っているのに、誰も動かない。

いや、正確にはみんな口だけ動いている。

「サーブ順決めよう」

「先にポジションじゃない?」

「いや、まず感覚でやってみれば?」

「感覚でやって崩れるやつだろ、それ」

ユウトはボールを抱えたまま、少しだけ遠い目になった。

朝のミナミのボードが、少しだけ頭をよぎる。

悔しいから認めないけれど、たぶんあれは少し役立つ。

「じゃあ一本やれば」

メグミがコートの外から言った。

「立ってるだけだと永遠に決まらないし」

それは正論だった。

正論なので、誰も反論できない。

最初の一本は、期待を裏切らずひどかった。

レオがいきなり決めようとして、ネットにかける。

そのままボールがぽとっと落ちる。

沈黙。

「今のは確認だ」

レオが言う。

「失敗の?」

メグミが返す。

「言い方!」

二本目はもっとひどい。

誰が取るのか曖昧なまま、全員が一歩ずつ譲って落ちた。

「いや、今のは誰か行けよ!」

ユウトが思わず言う。

「朝比奈くんも行けたでしょ」

メグミが即座に返す。

「そうだけど!」

「そういうとこだよ。

全員“誰かがやるだろ”って思ってる」

そこでようやく、空気が少しだけ現実に戻る。

三本目。

風間ノアが普通にレシーブする。

普通に上げる。

普通に返る。

普通なのに、妙にうまい。

「風間、なんでそんな普通にできるの?」

クラスメイトの一人が聞く。

風間は少し考えてから答えた。

「授業でやったことはあります」

「“授業でやったことある”の範囲が広いんだよな」

ユウトが言うと、風間は静かに頷いた。

「否定はしません」

だが、問題はそこじゃない。

ノアがうまくても、全体はまだ噛み合っていない。

四本目。

レオが前へ出すぎて、後ろが空く。

五本目。

別のクラスメイトが声を出さず、ボールが間に落ちる。

六本目。

ユウトが拾ったあと、誰に返すか一瞬迷う。

崩れている。

だいぶ崩れている。

「ちょっと待って」

メグミがそこで言った。

「いったん止めて」

全員が止まる。

体育館の空気が、少しだけ耳に痛い。

メグミは指を折りながら言う。

「まず、レオは前に出すぎ。

朝比奈くんは拾ったら自分で何とかしようとしない。

風間は普通にやって。

普通にやるのが一番強いから。

あと、声。

“誰かが行くだろ”で落ちるのが一番しょうもない」

レオが口を開く。

「ちょっと待って、僕だけ厳しくない?」

「目立つから」

「理由が雑!」

「でも合ってる」

ユウトが言う。

「朝比奈くんまで乗るの!?」

「そこは乗るだろ」

風間ノアが静かにボールを持った。

「では、役割だけ簡単に固定しましょう。

朝比奈先輩は回収優先。

嵐山先輩は前寄り。ただし無理に決めない。

自分は中継します」

「普通に作戦になるな……」

ユウトが言うと、メグミも小さく頷いた。

「うん。これで十分」

次のラリー。

ユウトが拾う。

無理に返さず、風間へ送る。

風間が前へつなぐ。

レオが今度は力まず、ふわっと返す。

相手コートへ、ちゃんと入る。

「あ」

誰かが言った。

失敗じゃない方の“あ”だった。

次も続く。

三回。四回。

完璧じゃない。

でも、さっきよりちゃんとクラスになっている。

「……一勝くらいなら、あるかもね」

メグミがぽつりと言う。

レオがすぐ反応する。

「“くらい”って言い方が気になるな!」

「優勝って言ったら崩れるでしょ」

「否定できない!」

ユウトはそのやり取りを聞きながら、少しだけ笑った。

一勝。

そのくらいなら、たしかに現実的だった。

朝比奈邸に戻ると、案の定、家の中も少し騒がしかった。

リビングのテーブルには、見覚えのある黒いバインダーが開かれている。

しかも、朝よりだいぶ進化していた。

作戦ボードの欄が増えている。

サーブ成功率

回収率

水分補給

嵐山・かっこつけ抑制

無理しない率

声出し忘れ注意

「なんで帰ったら項目が増えてるんだ」

ユウトが言うと、ミナミが得意げに振り返った。

「実戦を想定して改善した」

「改善の方向が完全に部活なんだよ」

「違うよ。

高校の球技大会を、ちょっとだけ勝ちやすくしたいだけ」

「その“ちょっとだけ”が毎回重いんだよな」

サッちゃんはその横で、スポーツドリンク、タオル、補給ゼリーをきれいに並べていた。

こちらもこちらで本気である。

「本番用の支援物資を調整しています」

「だから言い方が遠征なんだよ」

「本番ではあります」

「否定しづらいな……」

リナがソファから顔だけ上げる。

「高校の球技大会にここまで要らない」

「でも、暑かったらどうするんですか」

サッちゃんが真顔で聞く。

「そこは大事。

でも“氷嚢二種”はいらない」

「二種?」

ユウトが振り返ると、ミナミがすぐ答えた。

「首用と手首用」

「細かいな!」

「意外と違うんだよ」

「知識の使いどころを間違えてるんだよ」

風間ノアは、作戦ボードを静かに見ていた。

それから、ひとつだけ指を差す。

「ここは不要です」

「どこ?」

ミナミが身を乗り出す。

風間は淡々と言った。

「“嵐山・かっこつけ抑制”です。

抑制を目標にすると、逆に意識します」

一瞬、リビングが静かになる。

それからユウトが吹き出した。

「それ、かなり分かる」

「でしょ?」

風間は真顔のまま頷いた。

「なので、“普通に返す”の方が良いです」

ミナミがペンを走らせる。

「なるほど。“嵐山・普通に返す”で」

「本人が聞いたら絶対嫌がるやつだな」

「でも有効っぽい」

「有効っぽいのが一番ひどい」

サッちゃんが、ふと手を止めた。

「ご主人様」

「ん?」

「一勝、できそうですか」

ユウトは少し考えた。

体育館で続いた、あの数回のラリー。

思ったより悪くなかった空気。

それを思い出して答える。

「……たぶん、一回くらいなら」

サッちゃんは小さく頷いた。

「では、一勝を目標にしましょう」

ミナミもすぐに乗る。

「いいね、それ」

リナが肩をすくめる。

「そのくらいがちょうどいいわね」

風間も静かに言う。

「現実的です」

ユウトはその顔ぶれを見て、少しだけ笑った。

学校でも、家でも、なんだかんだで少しずつ騒がしい。

でも、悪くない。

少なくとも、去年よりはそう思える。

「じゃあ明日の目標は“一勝して、できれば平和に帰る”で」

「平和、大事です」

サッちゃんが即答する。

「だから言い方が任務なんだよ」

でも、その返しにまた少し笑ってしまう。

球技大会は、まだ始まっていない。

けれど、もう少しだけ楽しみになっていた。



【第51話・完】

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