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第50話「高三の席は、静かに決まらない」

花見の翌週、ユウトは教室に入った瞬間に嫌な予感がした。


黒板の端に、妙に整った字でこう書いてあったからだ。


本日:席決め/係決め/面談希望表配布


「朝から情報量が多いな……」


自分の席に鞄を置きながらぼそっと言うと、隣に来たメグミがあっさり返した。


「今日はだるいやつだね」

「もう少し希望のある言い方しろよ」

「ないでしょ」


その通りなので、ユウトは反論できなかった。


少し離れた席では、レオが窓際を見ていた。

見ているというより、熱視線を送っていた。


「今年こそ、窓側後方だ」

「何の決意なんだよ」

ユウトが言うと、レオは真顔で振り返る。


「僕には僕にふさわしい席というものがある」

「初手から席に理想を乗せるな」

「重要だろう。成熟した雰囲気、落ち着き、午後の光、そういうものは――」


「午後の日差しは眠気を誘発します」

前の方から、ノアが静かに口を挟んだ。


レオが止まる。

「夢がないなあ!」

「合理性です」

「今それは求めてない!」


その時、教室の前の扉が開いた。

須賀先生が出席簿を片手に入ってくる。


「はい座れ」


一言で、教室の空気が少し締まる。

須賀先生は黒板を見もせず、そのまま言った。


「今日は席を正式に決める。ついでに係も決める。あと面談希望表を配る。以上」


「“以上”じゃないだろ……」

ユウトが小さく呟くと、メグミが肩をすくめた。


「もう十分長いよ」


須賀先生はそんな空気を気にしない。


「最初に言っとくが、席に夢を見るな。どこ座っても授業はある。係からも逃げるな。高三だからな」


後半だけ妙に重い。

教室のあちこちで、誰ともなく微妙な顔が生まれた。


「じゃあまず席だ。適当に揉めるなよ」


その言い方で揉めないわけがない。


席決めは、予想通り静かには進まなかった。


ユウトは、できれば静かな場所がよかった。

前すぎず後ろすぎず、会話が生まれにくい位置。

高三の最初から余計な騒がしさはいらない。


だが現実は、そういう人間に優しくない。


「そこ、いいな」

レオが窓側後方を見て言う。

「言ったな?」

ユウトが反応すると、レオはにやっとする。


「言うとも。ここは僕の場所だ」


その時、メグミが淡々と口を挟んだ。


「そこ、午後は西日きついよ」

「うっ」

「あと、後ろすぎると先生に当てられた時だるい」

「うっ」

「でもレオは雰囲気重視だから、座るんでしょ」

「……座る」


そこにノアが重ねる。


「窓側後方は黒板反射もあります」

「追い打ちをやめてくれないかな!?」


結局、席はくじ引き半分、先生の修正半分で決まった。


ユウトは、自分の席を見てしばらく黙った。


「……全然静かじゃないな」


斜め前にノア。

横にメグミ。

少し離れた窓側後方に、なんだかんだ希望を通したレオ。


「便利でしょ」

メグミが言う。

「その言い方ほんと好きだな」

「便利だからね」


ノアは席に座ると、すぐに周囲を見た。


「視認性は高いです。先生の動きも追いやすい」

「お前はなんで毎回そういう評価なんだよ」

「事実です」


レオはというと、窓の外を見て一度頷いた。


「……悪くない」

「満足したのかよ」

「多少の欠点は受け入れる。それもまた成熟だ」

「言い方だけ立派なんだよな」


席が決まると、須賀先生は間髪入れずに黒板へ次の文字を書いた。


進路資料整理補助

面談希望表回収係

配布物確認


教室の空気が、一段だけ重くなる。


誰も手を挙げない。

それはもう、笑えるくらい見事だった。


須賀先生は三秒だけその沈黙を見た。

それから、一番面倒のない方法で崩した。


「朝比奈」

「はい」

「進路資料整理補助」

「なんでですか」

「こういうの、結局やるだろ」

「雑だなあ……」


先生は聞いていない。


「橘」

「はいはい」

「補助」

「だと思った」


メグミは驚きもせず頷いた。

それが余計に腹立たしい。


「風間」

「問題ありません」

「嵐山」

「えっ、僕も!?」

「人手」

「理由が短い!」


教室のあちこちで小さな笑いが起こる。

レオは本気で不満そうだったが、須賀先生は一切動じない。


「残りは日直と黒板だ。そこは好きにしろ。面倒な方は、面倒そうなやつに任せた方が早い」


「今の分類、かなり失礼だと思うんですけど」

ユウトが言うと、須賀先生はあっさり返した。


「失礼でも早い方が勝つ」


高三の担任は、たぶんこういう人間なのだ。


面談希望表と進路資料が配られ始めると、教室はまた別の意味でざわついた。


紙の束。

志望校記入欄。

受験方式。

三者面談希望日。

模試日程。


「紙、多くない?」

レオが率直に言う。

「多いよ」

メグミが即答する。

「高三って感じするでしょ」

「したくないタイプの実感だな……」


ノアはすでに配られた資料を順番に整えていた。

インデックス付き。

速い。

そして無駄がない。


須賀先生がその様子を見て、小さく頷く。


「風間は仕事が早いな」

「ありがとうございます」

レオがすぐに横を見る。

「今ので完全に便利枠確定じゃないか」

「もうなってるだろ」

ユウトが言うと、メグミも小さく笑った。


資料整理補助になったユウトの前には、すでに紙の山ができている。

進路関係、面談表、配布残り、予備。

まだ授業も始まっていないのに、仕事だけが増えていく。


「……花見の方が静かだったな」

ぽつりとそう言うと、メグミが横でファイルを差し出した。


「はい、これ。

“花見より静かじゃない教室”用」

「そんな用途のファイルがあってたまるか」

「でも必要でしょ」

「必要なのが嫌なんだよ」


そこでレオが、配布物を持ったまま眉をひそめた。


「待って、これどこまで今日持って帰るやつ?」

「全部」

メグミが言う。

「えっ」

「高三だよ?」

「急に現実が重い!」

「ずっと重いよ」

ユウトが言うと、なぜかレオは少しだけ悔しそうな顔をした。


ノアが淡々と整理済みの束を差し出す。


「ユウトさん、進路資料はこっちでまとめておきました」

「早いな……」

「作業量が見えていたので」

「学校生活で“作業量が見えていたので”って返しを聞く日が来るとは思わなかった」


でも、助かる。

ものすごく助かる。

そこが余計に悔しい。


放課後になる頃には、席も係も資料も、ひとまず形になっていた。


完璧ではない。

でも、高三の最初としてはこんなものだろうという、雑な納得だけが残る。


ユウトは進路資料の束を抱え、教室を出る前に一度だけ自分の席を見た。


静かではない。

でも、たぶん今後いろいろ起きるにはちょうどいい。

そんな席だった。


「どう?」

メグミが聞く。


「何が」

「新クラス」


ユウトは少し考えてから答えた。


「落ち着かない」

「うん」

「でも、回りそうではある」


メグミはそこで小さく笑った。


「それ、かなり良い評価だよ」


レオは相変わらず窓側後方で満足そうに鞄をまとめていた。

ノアはすでに明日の準備を考えている顔だ。

教室は騒がしく、少し面倒で、でも去年より少しだけ現実的だった。


高三は、静かには始まらない。

でも、たぶんこういうものなのだ。

早く家に帰りたい。



朝比奈邸の玄関を開けた瞬間、ユウトは一歩だけ止まった。


「……なんで家の中に矢印があるんだ」


床に、色違いのテープが貼られていた。

玄関からリビングまで、妙に丁寧な導線ができている。


紙類はこちら

食事前の一時置き場

配膳動線注意


嫌な予感しかしない。


そのままリビングへ入って、予感は正しかったと知る。


ダイニングテーブルの半分が、夕食ではなく書類仕分けレーンになっていた。


回転台の上に、A4ファイルが三色。

横では小型アームが、進路資料らしき紙を透明ファイルへ差し込もうとしている。

だが差し込まれているのは進路資料だけではない。

学校の案内プリントと、スーパーのチラシと、なぜかレシートまで混ざっていた。


その横で、ミナミがぱっと振り返る。


「おかえり。

見てこれ。生活負荷軽減型・配膳整理サポーター試作二号」


「名前からしてもう嫌だな」

「今日はわりと本気でいいやつだよ。

ユウトは紙が多い。サッちゃんは配膳が多い。リナは管理が多い。

だから家側の作業を減らそうと思って」


理屈は分かる。

分かるのだが、成功している家の様子ではない。


キッチンの方から、リナの声が飛んだ。


「最初はちゃんと書類だけ仕分けてたのよ」

「じゃあなんでこうなったんだ」

「ミナミが“せっかくだから配膳も補助できるかも”って追加したから」

「追加できるかも、でやるなよ……」


サッちゃんは食卓の端で、味噌汁の椀を守っていた。

守っていた、という表現が一番正しい。


「ご主人様、おかえりなさい。

現在、だし巻き卵の配置を死守しています」

「その報告だけで状況が伝わるのすごいな」


よく見ると、小型アームは配膳補助も兼ねているらしい。

だが、食器とファイルの置き場を同じ“効率棚”として認識してしまい、

箸置きの横に付箋、取り皿の隣にクリップ、味噌汁の進行方向にクリアファイルが割り込んでいる。


ノアがその惨状を真顔で見ていた。


「目的は理解できます。

ただ、夕食導線と事務処理導線を同時に最適化しようとして衝突しています」

「さらっと言ってるけど、今かなりひどいぞ」

「はい。

結果として、サッちゃん先輩とリナ先輩の仕事が増えています」


「増えてます!」

サッちゃんがはっきり言った。

「味噌汁の安全確保と、書類の退避を同時にやることになりました」

「被害報告が的確なんだよな……」


ミナミは、そこでさすがに少しだけしおれた。


「……でも、紙も増えてたし、みんなちょっとずつ大変そうだったから」


その言い方は、言い訳というより本気だった。


「だから、良かれと思って」

「そこは分かるわよ」

リナが、ため息まじりに言う。

「分かるから余計に怒りにくいの」


その一言で、空気が少しだけやわらぐ。


ユウトはテーブルの端から、自分の進路資料とチラシを分けた。

ノアは小型アームの電源を落とす。

サッちゃんは、その隙にようやく味噌汁を正しい位置へ戻した。


「……で、これ、役に立った部分はあるのか?」

ユウトが聞くと、リナが一枚のファイルを持ち上げた。


「進路資料だけは、もう仕分け済みよ」

「え」

「そこだけは妙に有能だったの」

サッちゃんも頷く。

「だし巻き卵の横へ来なければ、もっと評価できました」

「評価の軸が独特だな」


ミナミが少しだけ顔を上げる。


「じゃあ次は、配膳機能を切って、書類だけに——」

「段階を踏みなさい」

リナが即答する。

「はい……」


そこでようやく、みんな席についた。


少し遅れた晩ごはん。

少し散らかったままのリビング。

でも、味噌汁は温かくて、照り焼きはちゃんとおいしそうだった。


ユウトが席につくと、サッちゃんが味噌汁を置いた。

置き方はいつも通り、妙に丁寧だ。


「今日は紙に負けない献立です」

「何だよそのコンセプト」

「疲れた時は、温かいものと甘くない卵が効きます」

「甘くない卵って限定の仕方が細かいな」

「だし巻きなので」

「そこは強いんだな」


ミナミは照り焼きを見て、少しだけ元気を取り戻した。


「うわ、これ絶対うまいやつ」

「絶対うまいやつです」

サッちゃんが真顔で返す。

ノアが小さく頷く。

「見た目からして成功率が高いです」

「料理を成功率で語るな」

ユウトが言うと、ノアは静かに箸を取った。

「ですが、重要です」

「今日お前、その返し好きだな」


リナが味噌汁を飲んでから、資料の束を見た。


「それで、係は何になったの」

「進路資料整理補助」

「似合うわね」

「うれしくないな、その評価」

「逃げられなさそう、って意味よ」

「もっと嫌だ」


ミナミが笑う。

「でも、先輩なら結局やるもんね」

「それは否定しづらい」

「朝比奈先輩は途中で投げないので」

ノアが言う。

「お前ら、人を勝手に便利枠へ入れるな」


サッちゃんはそこで少しだけ胸を張った。


「紙の整理なら、家でも支援できます」

「やっぱりそこに来るんだな」

「はい。

高三の敵は、だいたい紙なので」


一瞬、全員が止まった。

それからミナミが吹き出した。


「それ、今日の名言じゃん」

「名言かなあ……」

ユウトが言うと、リナが静かに頷く。


「でも間違ってないわね」

「認めるんだ」

「現実だもの」


少し遅れて、ノアも頷いた。


「紙は蓄積します。

対処を先送りすると被害が広がります」

「お前は本当に言い方が物騒なんだよ」


ミナミがそこで箸を振る。


「じゃあ決まり。

今後は“紙害対策チーム”でいこう」

「絶対に嫌だ」

ユウトが即答すると、サッちゃんが真面目に聞き返した。


「名前が嫌ですか、それとも体制が嫌ですか」

「両方だよ」

「では名称は再検討します」

「体制の方も止めろ」


食卓に笑いが広がった。


学校より、花見より、たぶんこっちの方がうるさい。

でも、そのうるささは少しも嫌じゃなかった。


ユウトは箸を置いて、小さく息をついた。


「……まあでも、悪くなかったな」

「何がですか」

サッちゃんがすぐに聞く。


「今日」

ユウトはそう言って、並んだ顔を順番に見る。

サッちゃん。リナ。ノア。ミナミ。

それから、まだテーブルの端に残っている進路資料の束。


「高三、面倒そうだけど。

思ったより、一人で抱える感じじゃなかった」


その言葉に、食卓が少しだけ静かになる。

ほんの一瞬だけ。


サッちゃんが、やわらかい声で言った。


「はい。

一人で抱えない方が、たぶんちゃんと前に進めます」


リナも、今度はからかわずに頷く。


「そうね。

少なくとも、抱え込んで黙るよりはずっといいわ」


ミナミは空気を重くしすぎないように、すぐ笑った。


「で、紙が増えたらまた対策マシーンを——」

「段階を踏みなさい」

リナが即座に切る。

「はい……」

「そこは本当に学んで」

ユウトが言うと、ミナミは苦笑した。

「善意が先走るの、直すよ」

「そこ直るとかなり助かる」

「がんばる」


少し遅れて、また笑いが起きる。


外はもう暗い。

でもダイニングの灯りは明るくて、湯気はあたたかくて、会話は少し多すぎるくらいに続いていた。


高三は忙しい。

学校へ行けば紙が増える。

家へ帰れば、たまに機械まで増える。

でも、こうしてちゃんと晩ごはんに戻ってこられるなら、たぶん何とかなる。


そんなふうに思える夜だった。



【第50話・完】

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