第47話「ABEL発進、巨大モールは静かに買えない」
新学期の準備というものは、本来もっと静かに始まるべきだとユウトは思っている。
ノートを買う。
提出物を揃える。
足りない文具を補充する。
せいぜいそれくらいで終わるはずだ。
少なくとも、朝比奈邸の玄関に
新学期買い出し計画表
予算管理シート
巨大モール館内マップ
昼食候補一覧
緊急時集合地点メモ
「筆箱は三つまで」
と書かれた紙が貼られる必要はない。
「筆箱は三つまでって何だよ……」
靴を履きながらぼそっと言うと、リナが当然のように答えた。
「上限設定よ。
設定しないと、サッちゃんが“予備”を増やし始めるから」
「必要な予備はあります」
すぐ後ろから、サッちゃんの真剣な声が飛んできた。
今日は私服だ。けれど顔つきだけは、これから巨大モールへ突入する隊員のそれだった。
「ご主人様の新学期初日です。
筆記具、ノート、ハンカチ、ティッシュ、折り畳み傘、予備靴下、携帯食、応急セット——」
「待て。
山登りに行くわけじゃないぞ」
「でも、新学期初日は何が起きるか分かりません」
「それはそうだけども」
妙に説得力があるのが困る。
少し離れたところで、ミナミがショルダーバッグを抱えてにやにやしていた。
その顔を見た瞬間、ユウトは嫌な予感しかしなかった。
「私は今日は“見るだけ”とは言わないからね」
「何をだよ」
「大型文具店の最新ガジェットコーナー」
「開始前からだめそうだな……」
メグミは玄関の館内マップを見上げて、小さくため息をつく。
「モールに行くだけで、なんで作戦図になるの」
「効率のためよ」
リナはきっぱり言い切った。
「無駄に歩かされるのが一番疲れる。
今日は、文具、制服小物、通学用品、必要なら私服補充。動線は短く」
「昼食は?」
ミナミが即座に聞く。
「買い物の進捗次第」
「厳しっ」
「当然」
そこへ、玄関先に停まったABELが落ち着いた声で割り込んだ。
《出発準備完了。
目的地までの所要時間は三十四分です》
「やっとまともな声が来た……」
ユウトが小さく呟くと、サッちゃんが真顔で聞いてきた。
「ご主人様、準備万端ですか?」
「大丈夫、準備の為にいくんだから」
メグミが小さく笑う。
「リナも待ってるし、早く行こう!」
リナも頷いた。
「いつでも行けるわ」
五人が乗り込むと、ABELは静かに発進した。
車内がわずかに揺れる。
《本日の推奨進行。
文具売場、靴・小物、昼食、最終確認、撤収》
「合理的だな」
ユウトが言うと、ミナミがすぐ不満そうに顔を上げた。
「その順番、雑貨売場が入ってないんだけど」
《必要性が低いためです》
「ひどい!」
「事実だろ」
「ユウトもひどい!」
車内にはすでに、いつもの騒がしさが戻りつつあった。
隣町の巨大モールは、春休みらしい賑わいに満ちていた。
吹き抜けのアトリウム。
ガラス張りの壁。
新生活フェアの赤い文字。
人の流れは多いが、休日ほどではない。
ちょうど“歩き回るには疲れるが、まだ戦える”くらいの混雑だ。
入口をくぐった瞬間、サッちゃんが少しだけ立ち止まった。
「広いです」
「広いな」
「敵に回したくない広さです」
「なんで敵にするんだよ」
その瞬間、ミナミのスマホ画面が光った。
《ようこそ、巨大モールへ♡
館内ナビはプリズミアが引き継ぎます》
ミナミは得意げだった。
「プリズミア、館内サイネージと私の端末、あとフードコート案内板にも軽く潜ってるから」
メグミが眉をひそめる。
「軽く、で済むのそれ」
《済みます♡ 今日は買い物支援モードです》
「いつもの余計なことは?」
《ちょっとだけします♡》
「するんじゃない」
リナが入口付近のフロアガイドを確認しながら言う。
「三階で文具、二階で靴と小物。
まずは必要物資を押さえる。寄り道はそのあと」
《補足♡
ミナミをガジェット雑貨売場へ近づけると、予算逸脱率が上昇します》
「プリズミア!?わたしの邪魔するの!?」
「正確ね」
リナがさらりと返す。
ミナミは本気で不満そうだった。
三階の文具売場は、想像以上に危険地帯だった。
危険と言っても戦闘的な意味ではない。
やる気を刺激する色合い、整然と並ぶノート、限定色のペン。
必要ないのに必要そうに見えるものが、やたら多い。
サッちゃんの目の色が変わった。
「……ご主人様」
「なんだ」
「予備が必要です」
「まだ売場に入って五秒だぞ」
だがサッちゃんは本気だった。
すでにシャーペン売場の前で二種類を握り比べている。
「こちらは軽いです。
でも、こちらは握り込みが安定しています」
「学校は握り込みの安定で行く場所じゃない」
「長時間筆記において重要です」
そこへリナが即座に割って入る。
「一本でいいわ」
「予備を——」
「一本」
「……二本」
「一本」
「……はい」
交渉が早い。
サッちゃんは少しだけしょんぼりしながら一本を棚へ戻した。
その様子が妙に素直で、ユウトは逆に少し不憫になってくる。
一方その頃、ミナミはすでに別の棚で怪しいものを見つけていた。
「見て見て見て。
“自動で消しカスを吸う卓上クリーナー付きペン立て”!」
メグミが静かに聞く。
「要る?」
「ロマンがある」
「要るかどうかを聞いてる」
「……ロマンがある」
そこへプリズミアが楽しそうにかぶせた。
《ミナミ、現在の目の輝き、不要品発見時の典型です♡》
「実況しない!」
《でも好き♡》
「お世辞を言わなくてもいいの」
リナが無言で箱を棚へ戻した。
それで終了だった。
しばらくして、リナが全体を見回して言った。
「このままだと時間を食うわ。
ここで一度、班を分ける」
ユウトが顔を上げる。
「どう分ける」
「A班はご主人様とサッちゃん。
あなたたちは文具と、必要な通学用品。
B班は私とメグミ。小物と不足分を最短で回収する」
「で、私は?」
ミナミが聞く。
リナは一拍も置かずに答えた。
「単独行動は禁止」
「聞いてない」
「だから私とメグミのルートに合流」
「監視が厳しい!」
プリズミアがうれしそうに言う。
《ミナミは私と一緒にB班だね♡》
「試作品のアイデアを探したいのに……」
集合は一時間後、四階フードコート前。
そのルールだけ決めて、三方向へ散った。
A班――と言っても、実態はユウトとサッちゃんの二人だ。
文具売場を半周しただけで、サッちゃんのカゴにはすでに
ノート一セット、シャーペン一本、消しゴム二個、定規、クリアファイル、替え芯、蛍光ペンまで入っていた。
「……多くないか」
「必要です」
「蛍光ペンまで?」
「見やすいので」
「まあ、それはそうだけど」
サッちゃんはさらに、ノート五冊パックをもう一つ手に取りかけた。
ユウトがすぐ止める。
「待て。
それ二学期まで見てないか」
「でも途中で足りなくなるよりは——」
「その時に買えばいい」
「……でも」
「“今ある不安を全部物で埋めると荷物だけ増える”って、リナが言ってただろ」
サッちゃんはそこで少しだけ止まった。
そして、二つ目のノートセットをゆっくり棚へ戻す。
「……分かりました。
では、一セットで運用します」
「言い方」
ユウトは笑う。
サッちゃんも、少しだけ照れたように笑った。
そのあと、サッちゃんはなぜか靴下売場の前で立ち止まった。
「ご主人様」
「ん?」
「靴下、薄いです」
「急にどうした」
「見ました」
「いつ」
「家で」
「見られてたのか」
サッちゃんは悪びれずに頷いた。
「新学期なので、新しい方がいいです」
そう言って、ごく自然に二組カゴへ入れる。
自分のものではなく、ユウトのものを。
「それ俺のだよな?」
「はい」
「なんで確認なしなんだ」
「必要そうだったので」
言い返しづらい。
しかも、ちょっと嬉しいのがさらに困る。
一方その頃、B班はB班でひどかった。
リナとメグミが最短距離で必要物資を回収しようとしている横で、ミナミが三回くらい寄り道しかけていた。
「見て、メグミ。
“自動でページを押さえる読書台”」
「要る?」
「ロマンがある」
「またそれ?」
プリズミアが楽しそうに追撃する。
《ミナミ、現在の購買欲、基準値の二・四倍です♡》
「なんでそんなに詳細なの!?」
《好きだから観察してる♡》
リナは歩きながら、商品だけ棚へ戻す。
手際が良すぎる。
「ミナミ、今日は買い出しよ。発明素材の偵察じゃない」
「両立できるでしょ!」
「必要な物ならね」
メグミはそんなやり取りを眺めつつ、必要なハンカチや予備の文具を淡々とカゴへ入れていく。
その途中で、ふと小さく言った。
「でも、ミナミが変なもの見つけるの、嫌いじゃないよ」
ミナミが止まる。
「え」
「買わなければね」
「最後が冷静すぎるんだよなあ……」
一時間後、フードコート前に集合した時点で、すでにひと山終わっていた。
しかも、全員のカゴの中身が微妙におかしい。
サッちゃんは必要なものを必要以上に整えている。
ミナミは却下されたはずの“置き忘れ防止アラーム付きキーホルダー”をなぜかまだ持っている。
メグミは必要品しかない。完璧だ。
リナはレシートをすでにまとめている。早い。
ユウトはその全部を見て、少し疲れていた。
「……なんで再集合しただけで、もうイベント一個終わった感じなんだ」
「巨大モールなので」
サッちゃんが真顔で言う。
「理由になってない」
席探しも、もちろん平和には終わらなかった。
《混雑率上昇中♡
推奨は右奥、窓際ブロックです》
プリズミアの案内で移動したのだが、最後のテーブルを他の家族連れとほぼ同時に見つけた瞬間、サッちゃんの目が変わった。
「席の確保ですね」
「普通に言うと席取りだ」
「制圧ではないですね?」
「制圧ではない」
そこは確認されるのか。
結局、ぎりぎりで席を取れた。
サッちゃんが座った瞬間、露骨にほっとした顔をしたので、ユウトはつい笑ってしまう。
昼食は、全員ばらばらだった。
ユウトはうどん。
サッちゃんは定食。
リナはサラダとスープ。
メグミはパスタ。
ミナミはハンバーガーとポテト。
選び方に性格が出すぎている。
「ご主人様、それで足りますか」
サッちゃんが当然のように聞いてきた。
「足りるよ、大丈夫」
「大事なので」
「大事だけども」
ミナミがポテトをつまみながら笑う。
「サッちゃんは、もう完全にユウトの栄養監督だね」
そこへリナがレシートを整理しながら言った。
「ちなみに、現時点の予算は概ね予定通りよ。
ミナミが暴走しかけたわりには優秀」
「“わりには”って何」
「事実」
メグミが静かに返す。
その横で、プリズミアがうれしそうに追加した。
《でもミナミ、今日は三個しか余計なもの拾ってないよ♡ 成長♡》
「成長判定の基準が低い!」
フードコートの笑い声の中で、ユウトはふとカゴの中身を思い出した。
新しいノート。シャーペン。ハンカチ。靴下。
少しだけ先の自分の生活が、ちゃんと手触りを持ち始めている。
「……ほんとに始まるんだな」
リナはスープを一口飲んでから言った。
「完璧な新学期なんてないもの。
忘れ物しなければ上出来よ」
「だからこそ、忘れ物しないよクリップが必要では?」
ミナミが言うと、四人に同時に見られた。
さすがにそこで自分でも少しだけ笑う。
「……分かった。試作のままにしとく」
《えらい♡》
帰りのABELの中は、行きよりずっと静かだった。
荷物が増えた。
疲れも少し増えた。
その分だけ、新学期の準備は確かに進んでいる。
《帰路へ移行します。
本日の買い出しは概ね成功です》
サッちゃんは膝の上の紙袋を大事そうに抱えていた。
中には自分のものより、ユウトのものの方が多い気がする。
たぶん本人は気づいていない。
ユウトがその袋を見て、少しだけ笑う。
「今日、俺のものの方が多くなかったか」
サッちゃんはきょとんとして、それから少し考えた。
「……そうかもしれません」
「無自覚なのがすごいよな」
「でも、新学期なので」
後部座席でメグミが小さく笑い、リナは「まあ必要なものだったし」とだけ言った。
ミナミはスマホの画面を見ながら、まだ少しだけ未練がありそうな顔をしている。
《ミナミ、次は雑貨だけの日を作ろうか♡》
「……それはちょっと魅力的」
「だめよ」
リナの却下が早い。
「即答!?」
「学習したから」
そのやり取りに、車内の空気がまた少しだけゆるむ。
窓の外では、夕方の光が街を薄く染めている。
準備する。
揃える。
迷う。
少し騒ぐ。
それでも前へ進む。
新学期というのは、案外そういうものなのかもしれない。
ABELが、いつも通り落ち着いた声で補足した。
《補足。
サッちゃん様の“予備”概念には改善の余地があります》
サッちゃんが真剣に答える。
「はい。
ですが、ゼロにはできません」
ユウトは笑った。
「そこは譲らないんだな」
「譲ると不安になります」
「それは分かる」
少しだけ間が空いて、それからサッちゃんも小さく笑った。
その笑いは、戦いのあとのものではなく、ちゃんと日常の中の笑いだった。
朝比奈邸へ戻る頃には、日はだいぶ傾いていた。
新学期はまだ来ていない。
でも、ちゃんと近づいてきている。
その感じが、少しだけ楽しみになっていた。
【第47話・完】




