第9話 焼け跡へ
王城を出た馬車は、王都の大通りをゆっくりと進んでいた。
アオイは窓を覆う布を少しだけ持ち上げ、隙間から外を眺める。
石造りの建物が軒を連ね、その前には色とりどりの品物を並べた露店が続いていた。
籠いっぱいの野菜を売る者。
焼きたてらしいパンを棚へ並べる者。
荷車を引きながら大声で通行人へ道を空けるよう求める者。
通りには多くの人が行き交い、その声が馬車の中まで聞こえてくる。
「へえ……思ってたより普通ね」
「何が普通なのですか?」
隣に座るリシアが尋ねた。
「町よ。もっと魔法で何でも動いてるのかと思ってた」
アオイの言葉に、向かいへ座るゾルムが眉を上げる。
「魔法で馬車を動かして、何になるというのじゃ。馬に引かせればよかろう」
「魔法使いの言うこととは思えないわね」
「何でも魔法で済ませればよいというものではない。馬の方が安く、誰にでも扱えるのでな」
「意外と現実的なのね」
「王宮に仕える魔術師を何だと思っておる」
少し考え、アオイは答えた。
「変わり者?」
「誰がじゃ!」
ゾルムの声が馬車の中に響く。
外を歩いていた者が何人か振り返ったが、王家の紋章が掲げられた馬車だと気づくと、すぐに視線を逸らした。
アオイは再び窓の外へ目を向けた。
角を見られて騒ぎになるのではないかという懸念は、どうやら杞憂だったらしい。
王家の馬車が通ると、道を行く者たちは自然に脇へ寄る。軽く頭を下げる者はいても、窓の中を覗き込もうとする者はいなかった。
窓には薄い布がかけられ、外より暗い馬車の中は見えにくくなっている。
誰も、アオイのフードが一本の角によって不自然に膨らんでいることには気づかなかった。
「……誰もこっちを見ないわね」
「王家の馬車を覗き込む方は、そうそうおりませんので」
リシアが答える。
アオイはフードの上から角へ触れた。
「じゃあ、これ要らなかったんじゃない?」
「馬車を降りた後には必要になるかと思います」
「それもそうね」
アオイはあっさり納得すると、また窓の布を持ち上げた。
見たことのない果物や、用途のわからない道具が次々と視界を流れていく。
露店で交わされる言葉は、なぜか自然に意味を理解できた。文字の書かれた看板も、意識を向ければ読むことができる。
魔力によるものなのだろうが、仕組みまではわからない。
前の世界でも同じだったので、深く考えることは既にやめていた。便利だし。
やがて大通りを外れると、建物の数が少しずつ減り始めた。
リシアは窓の外を注意深く眺め、ときおり御者に近い位置に座るクレインへ声をかける。
「次の分かれ道は、左だったと思います」
「承知いたしました」
クレインが御者へ伝えると、馬車は速度を落として左の道へ入った。
「ずいぶん曖昧ね」
「申し訳ございません。一昨日の夜は暗いうえ、平静ではありませんでしたので……」
「ああ、責めてるわけじゃないわよ。私も道なんて気にしてなかったし」
アオイが覚えているのは、暗い道を歩き続けたことと、少しずつ家が増えていったことくらいだった。
そのとき、窓の外に見覚えのある建物が現れた。
通りに面した二階建ての建物。入口の脇には幾つもの酒樽が積み上げられ、剣と杯を描いた看板が軒先から下がっている。
一昨日の夜は窓から明かりが漏れ、夜更けにもかかわらず騒がしい声が聞こえていた店だ。
「あ、この酒場、覚えてる」
アオイが窓の外を指さした。
「一昨日の夜、まだ騒いでたところよね?」
リシアも建物を確認し、ほっとしたように頷いた。
「はい。わたくしも覚えています。道は間違っていないようです」
昼間の酒場は静かだった。
入口は開いているが、店内に客の姿はほとんどない。代わりに、店の前では男が大量の杯を水で洗っていた。
馬車は酒場の前を通り過ぎ、そのまま王都の外縁へ向かう。
やがて家並みが途切れ、左右には畑や草地が広がり始めた。
整えられていた石畳も次第に荒くなり、土の道へ変わっていく。
馬車の揺れが大きくなるたび、ゾルムの膝に置かれた帳面が小さく跳ねた。
「おぬしが現れた魔法陣は、どのようなものじゃった?」
「どんなって、床に大きく描いてあったけど」
「使われていた文字は?」
「知らない。興味なかったし」
「形は覚えておらぬのか?」
「これから行くんだから、気になるなら自分で見たらいいじゃない」
「焼け残っておればよいがの」
「そのときは諦めて」
リシアは二人の会話を聞きながら、困ったように微笑んでいる。
馬車は畑の間を抜け、やがて木々の生い茂る場所へ入った。
王都から続いていた道よりも細く、左右から伸びた枝が馬車の屋根を時折こすっていく。
さらにしばらく進んだところで、先を走っていた騎士が手を上げた。
馬車がゆっくりと止まる。
「この先は道が狭く、馬車で進むのは難しいようです」
クレインが扉を開けて告げた。
リシアが窓の外を確認する。
「この辺りだったと思います」
一行は馬車を降り、騎士たちを先頭に森の中を進んだ。
地面には焦げた枝や、炎に焼かれて黒くなった草が残っている。
ほどなくして、木々の向こうに崩れかけた建物が姿を現した。
屋根は半ば落ち、黒く炭化した柱が空へ突き出している。石造りの壁もところどころ崩れ、周囲には焼けた瓦礫が散乱していた。
「ここね」
アオイが言った。
リシアも建物を見つめ、小さく頷く。
「間違いありません」
騎士たちが周囲へ散り、安全を確認し始めた。
馬車から杖と帳面を持ってきたゾルムは、焼け残った建物を見上げながら顎ひげを撫でる。
「ふむ。もとは狩猟小屋か、林番の詰所といったところかの」
「地下は、見た目よりずっと広かったわよ」
「地上の建物は偽装ということかもしれぬな」
ゾルムは焼けた壁へ近づき、残された石組みを確かめ始めた。
「地下への入口はどこじゃ?」
アオイは建物を眺めた。
夜中に出てきたときとは景色が違って見える。炎によって屋根や壁が崩れ、形が変わっているためだ。
「たしか……こっちだったと思うけど」
「裏手です」
リシアが建物の脇を指した。
「外へ出たあと、すぐに後ろで炎が上がりました。あちらの方向だったはずです」
一行は建物の裏手へ回った。
焼け落ちた木材と瓦礫が折り重なり、その向こうに地面へ沈む石段の一部が見えている。
騎士たちが慎重に瓦礫を取り除くと、地下へ続く入口が姿を現した。
石段の奥は暗く、焼け焦げた臭いが、今もかすかに漂っている。
ゾルムが杖の先に小さな光を灯し、地下を覗き込んだ。
「さて、何が残っておるかの」




